第二十五話「良妻の条件 1」
翌日の放課後――如月は沢木詩織と共に職員室を訪れていた。二人の目の前には担任の菅原が頬杖をつきながら、椅子に腰を下ろしている。その表情は明らかに不機嫌そのものだった。
「――というわけだからよろしくね、如月君」
「どうして僕なんですか? 本来、彼女のサポート役は副委員長のはずでしょ」
如月は無表情のまま担任を見下ろした。
「その副委員長の杉村君だけどね、昨日の昼に自宅の階段から転げ落ちて、右の足首を骨折して入院。全治1カ月だって」菅原は気怠そうに人差し指を立てた。「だから代打が必要なわけ」
「だからってどうして僕が?」
「良い機会じゃない。これを機に如月君も少しはクラスに馴染みなさい。いつまでも三島さんに甘えていちゃダメよ」
思い込みもここまでくると否定するのも馬鹿らしい……。如月は相変わらずの表情で菅原から視線を逸らした。
その後は幾許かの抵抗を試みたが、結局のところその要求は聞き入れられることはなく、彼は詩織のサポート役に収まることとなった。
「ごめんね、私のせいで……」
詩織は廊下を歩きながら、申し訳なさそうな顔を如月に向けた。
「べつにキミが僕を推した訳じゃないんだろ? なら謝る必要はないよ」
「あのう、実は菅原先生に誰がいい? って聞かれて……」
詩織が途端に口ごもると、廊下を歩いていた如月の足がピタリと止まった。
「もしかして僕を推したのかい?」
「小夜ちゃんに相談したら ”如月君にしなさい、私も手伝うから” って」
「……また勝手なことを」
彼は吐き捨てるように呟くと、廊下の先を見つめながら大げさに溜め息を漏らした。
教室に戻るとクラスメイトたちが、ドーム作りを開始していた。当然ながら小夜たちもその輪に参加している。如月はそんな彼女に鋭い視線を向けた。 ”また余計なことを” 彼は目線だけで伝える。それに気づいた小夜は、微笑みを浮かべながらペロリと舌を出した。
その態度から、反省などしていないのは明らかだった。如月は肩を落としつつ、ドーム製作に精を出すクラスメイトたちに目を向けた。作業は仕切り屋の吉田を中心に、例のHPを見ながら行なわれていた。
ど、どこをどう見誤れば、これだけの間違いを犯すんだ……。如月は目の前の光景を見つめながら愕然とした。そしておもむろに作業中の吉田に声をかけた。
「あのさあ、ちょっといいかな?」
「おお、如月か。どうした?」
「そのまま作り続けていくと、ドームじゃなくて三角錐が出来ちゃうよ」
「えっ! マジで?」
「ああ、やっぱり? 私もなんか変だなあ、って思ってたのよ」早苗はすくっと腰を上げると、眉間にしわを寄せながら吉田を見下ろした。「あんたねえ、三角錐ってどういうことよっ!」
「しょうがねえだろ、こんな難しい設計図じゃ全然分んねえよ」
「なら調子こいて仕切んなやっ!」
「まあまあ、落ち着いて」
小夜はなだめすかすように、二人の間に割って入った。そして早苗たちの不毛ないい争いが鎮火したところで、彼女は一つの提案を打ち出した。
「工事現場でもそうだけど、何かものを作る時って、全体を見渡して的確な指示をくれる人が必要だと思うの。現場監督みたいな人ね」
「まあ、確かにそうだけど……でもその現場監督を誰がやんのさ?」
早苗の問いかけに、小夜は自信満々で如月に人差し指を向けた。
「僕は嫌だよ、そんな面倒な役回り」
冗談じゃない……これ以上厄介ごとに巻き込まれてたまるか。如月が心の中でそう呟いていると、小夜は無言で彼の腕をとり、足早に教室の出口へと向かってゆく。そして廊下に出ると彼女は小声でこうささやいた。
「現場監督はただみんなに指示を出すだけよ。楽な役回りだと思わない?」
「ドームを作ろうとして、三角錐になってしまうような人間に、的確な指示を出すのが楽な仕事だとは思えないね」
「そりゃ、そうだけど……」
「僕をクラスに馴染ませるにはいい機会だ、とでも思ったんだろ?」
「……バレた?」
「バレるよ、そりゃ」
「こういうのって、やっぱウザいっすか?」
「ああ、かなりね」
「怒った?」
「お節介を焼かれるのは好きじゃない」
如月が冷めた眼差しを向けると、小夜は途端に俯きだした。
「……ごめん」
力なく呟く小夜――程なくして二人きりの廊下に沈黙が訪れた。
最近はこのての沈黙が苦手になってきていた。以前なら全く気にもならなかったのに……。如月はそう思いつつ俯く小夜に一瞬、目を向けた。すると案の定、彼女は悲しげに瞳を潤ませていた。ったく、ほんと厄介な女だ……。彼は溜め息を一つ漏らすと独り言のようにこう呟いた。
「でもまあ、それは焼かれる相手にもよるけど……」
「えっ、いま何て?」
「まあ、最初にドーム作りを提案したのは僕だし――」
「ねえ、いま何ていったの?」
「その点については、少なからず僕にも責任はあるから――」
「そんなことどうでもいいから、いまなんていったか教えてっ!」
如月のジャケットの袖を、小夜は強引に引っ張った。
「しつこいなあ……お節介を焼かれるのは嫌いだけど、それは焼かれる相手にもよる。ほら、これで満足かい?」
「それって……私からのお節介ならそれはそれで悪くない、っていうふうに聞こえるんですけど」
「いますぐ耳鼻科に行け」
如月のぶっきら棒な言葉に、小夜は悪戯っぽく微笑んだ。そんな様子を見て、彼は溜め息交じりで本筋から外れた話を軌道修正した。
「さっきもいった通り、ドーム作りを提案したのは僕だ。よく考えれば少なからず責任もある。なので今回はあえて、キミの浅知恵な策略に不本意ながら乗ってあげるよ」
「ってことは現場監督に?」
「ああ、でも一つ条件がある」
「なに? 条件って……あっ、もしかしてエロいこと?」
「よしっ、分った。この話はもう終わりだ」
如月は不機嫌そうに教室へと戻ってゆく。すると即座に小夜の手が彼の華奢な二の腕に伸びた。
「嘘嘘、冗談です、冗談っ! っで条件って何?」
「工事現場には監督をサポートする副監督が必ずいる。キミがそれをやれ」
如月がそういって静かに小夜を見据えると、二人だけの廊下に再び沈黙が流れだした。
「この条件に対して何か異論があるのなら……まあ、一応は聞くけど」
「無い。ある筈もない。絶無であり全くの皆無ですっ!」
小夜は即座にそう答えると満足気に微笑んだ。一方、如月は溜め息を漏らしながら眉間を押さえると、呆れ顔でかぶりを振った。
「表現が重複し過ぎだよ」
「現場監督の如月と副監督を務める三島です」
小夜はそういってクラスメイトたちに軽く頭を下げた。
「文化祭まであと7日間、ドーム製作期間は本日を入れて6日間で行いたいと思います。決して苦しい日程ではありませんが、みなさん気合を入れて作業に臨んでください」
彼女の言葉の受け、クラスメイトたちは盛大な拍手で応えた。
「現場監督からも一言お願いしますっ!」
早苗が相変わらずの大声で挙手すると、如月が怠そうに首を回しながら、ゆっくりと口を開き始めた。
「この度、嫌々ながら現場監督を引き受けることになりました、如月です。正直いってヤル気も情熱も全くありませんが、出来る限り頑張りたいと思います」
途端に教室の空気が一瞬にして凍りつく――。
「ええと、今のを要約しますと、自分にこんな大役が務まるのか不安ですが、精一杯やらせて頂きます、と彼はいっています」
咄嗟の小夜のフォローに場の空気は一気に和む。そして程なくして如月の指示のもとドーム製作がスタートした。
ドーム作成二日目――昨日は作業の工程を、分り易くクラスメイトたちに説明することで一日目が費やされた。そして本日からいよいよ本格的な作業へと移ることとなる。ドームの素材には予算的な面と、扱いやすさを考え段ボールを選択した。
五角形と六角形の台形のパーツを切り出していき、それを組み合わせ半球体を作っていく。丁度サッカーボールを想像すれば分りやすいはずだ。
作業的には単純だが、いざやってみると意外に時間がかかる。だが他のクラスの出し物と比べれば、時間もコストも少なくて済む。文化祭前日まではそのパーツづくりに専念する。そして前日に一気に組み立てていく、という工程で行われることとなった。完成すれば高さ3メートル、直径5メートル程度の大きさの物になる。
「ねえ、現場監督! これで大丈夫かな?」
女子生徒は、ドームのパーツを手にしながら如月に声をかけてきた。すると彼はパーツを受け取ると、静かに溜め息を漏らした。
「あのさあ、その現場監督っていうのはちょっと……」
「えっ……じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「普通に如月でいいよ」
「分った。それでパーツの方はどう?」
「うん、設計図通り出来てる。このまま進めていって大丈夫だよ」
「ありがとう」
女子生徒は力強く頷くと、如月からパーツを受け取り作業場へと戻って行った。
「結構さまになってんじゃん。ねえ?」
早苗は腕を組みながら小夜に顔を向けた。
すると彼女は「うん。似合ってるよ、如月現場監督」と、いってからかうように微笑んだ。
「だからその現場監督ってのは止めてくれ」如月は不機嫌そうに工程表に目を向けた。そしてふと思い出したように「そういえば、実行委員会の方はどうだった?」と、続けた。
「それがちょっとねえ……」
本日、小夜は如月の代理で詩織と共に実行委員会に出席していた。本格的な作業に入ってまだ1日目のため、彼が現場を離れるのは不安が残る、というのがその理由だった。
「何か問題でも?」
「うん……かなりの量の事務作業を押し付けられちゃった」
予想していた通りだ。如月は心の中で舌打ちをした。あの性格で上級生たちからの頼まれごとを断るのは無理だろう、とは思っていたけど……。彼はそう思いつつ小夜を見つめた。
「そうならない為にキミを付き添わせたんだけど」
「分ってるけど、私にもキャラっていうのがあるから……」
小夜は伏し目がちに呟いた。
「因みにそのキャラとは?」
「才色兼備、容姿端麗、純情可憐なお嬢様」
「自画自賛も甚だしいね。びっくりしたよ」
「だって事実でしょ?」
「一応、忠告しておくけど才色兼備の中には容姿が美しい、という意味も含まれる。国語力を疑われるから、容姿端麗とは一緒に用いない方がいいよ」
「……嫌な性格」
「お互い様だね」
如月は設計図に目を落としたまま呟いた。そしてゆっくりと顔を上げると更にこう続けた。
「キミのキャラは分った。なら今度から代理が必要な時は、荒川さんに頼むことにするよ。いいかな?」
「べつにいいけどさあ……でもなんか釈然としないんだけど」
「どうして?」
「 ”荒川ならズバズバものをいうだろう” 的な雰囲気が、言葉の端々からビシバシ感じるんだけど」
「被害妄想だね。べつに他意はないよ」
「そう? ならいいんだけど」
「それより、上映中に流すナレーションだけど――」
「現場監督、これであってるか?」
今度は吉田が段ボールのパーツを持って現れた。すると途端に如月の顔色が曇ってゆく。
「……わざとかい」
「えっ、何が?」
「何度もいってるけどキミが作るのは六角形だ。日本語が理解できないようだから、あえて英語でいうけどヘキサゴンだ」
「分ってるって、だから――」
「これはどう見ても七角形、ヘプタゴンだよ」
如月が目頭を押さえながら溜め息を漏らすと、途端に吉田の顔色が紅潮していった。
「吉田……あんたよくうちの高校受かったわね」
「こっ、こんなのちょっとした凡ミスだ、凡ミスっ!」
吉田は顔を赤らめながら、そそくさと作業現場へと戻っていた。
作業自体は難しくも何ともない単純なものだ。それにも関わらずこの状況……。如月は作業中のクラスメイトたちを見つめながら、軽い眩暈のようなものを感じていた。




