第二十四話「失意のスイートピー」
特定の毒物を継続して与える。相手が全く症状に気付かない程度の微量をだ。扱いやすい薬品としては、酢酸タリウムが適当だろう。微量を継続して摂取しても、重金属のため体に蓄積して慢性症状を示してゆく。そして徐々に衰弱して確実に死亡に至る。ゆえに病死と見せかけて毒殺するのには好都合な薬品だ。事件例としてはイギリスのグレアム・ヤングの母親殺しなどがある。
酢酸タリウムかあ……手に入れるのはそんなに難しくないな。如月は窓の外を眺めなら心の中で呟いた。丁度その時だった、隣の女子生徒が肩を軽く叩いてきた。
彼が女子生徒の方に顔を向けると、彼女は引きつった表情を浮かべながら、教壇の方に目配せしている。如月が女子生徒の目線を追うと、そこには眉間にしわを寄せる担任の姿があった。
「如月君っ、窓の外がそんなに気になる?」
「すみませんでした」
如月が表情のない顔でいうと、担任の菅原は溜め息交じりで大げさに肩を落とした。
4時限目――1年D組の教室では、文化祭での出し物をどうするか? というお題目で議論が交わされていた。いうまでもなく如月にとっては、全く興味のない話し合いだった。ふと黒板に目を向けると、メイド喫茶、たこ焼き店、お化け屋敷に、プラネタリウムなど、数々の案が出されていた。
何でもいいが、出来るだけ面倒じゃない物がいいなあ……。如月が黒板を眺めながらぼんやりとそんなことを考えていると、ポケットの中でスマートフォンが振動し始めた。画面に目を向けるとメッセージの相手は予想通り小夜だった。
【何ぼーっとしてんの?】
如月は画面を一瞥すると、すぐにさまジャケットのポケットにスマートフォンを滑り込ませた。すると程なくしてまた彼のポケットの中でスマートフォンが振動を始める。
【もしかして私のことでも考えてた?】
彼はまた無視を決め込んだ。すると再度、メッセージが届く。
【シカトすんなっ!】
如月は静かに溜め息を漏らすと素早く返信を送った。
【僕に見とれてないで、出し物の案でも考えてろ】
彼からの返信を受け取った小夜は、顔を赤らめながらようやくスマートフォンをジャケットに戻した。
最近の彼女は以前と比べて、表情が自然になった。長い間被り続けていた、重く分厚い鉄仮面をどうやら脱ぎ捨てたらしい。
結局クラスの出し物はプラネタリウムに決定した。家庭用のプラネタリウム投影機を使えば手間も殆どかからずに楽だ、という安直な理由からだった。
1年D組・昼休み――。
「そっちの出し物はなんに決まったんだ?」
「プラネタリウム」
清水の問いかけに如月は弁当を開けながら答えた。
「ふうん。楽そうでいいな」
「まあ、それが理由で決定したようなもんだからね」
「俺らんとこなんて女装メイドカフェだぜ。マジで最悪だよ」
「もしかして、あんたもメイドになるわけ?」
早苗は購買部で買った菓子パンに口をつけると、俯く清水の顔覗き込んだ。
「仕方ねえだろ、投票で決められたんだから……」
「楽しみー、絶対遊びに行くから。ねえ?」
小夜は微笑みを浮かべながら早苗に顔を向けた。すると彼女は大げさに何度も首を縦に振った。
「勘弁してくれよ……」
清水は苦笑いを浮かべながら愛母弁当に箸を伸ばすと、ふと何かを思い出したように如月に顔を向けた。
「あっ、そういえば妹から連絡いったか?」
「……犯人はキミか」
如月は冷めた表情でいうと、すぐさまスマートフォンを取り出した。そして昨夜から何度となく送られてくる、有紀からのメッセージを実兄に見せた。
20時12分【お兄ちゃん、今なにやってんの?】
20時13分【私はねえ、お風呂上がったところなの。だから今はマッパなんだよ】
20時14分【想像したでしょ? 因みにまだ裸ん坊だよー】
20時16分【風邪ひくとマズイからスエットに着替えるね。因みにノーブラ、ノーパンだよー】
「このてのメッセージが深夜まで続いた。因みに今は際限がないからブロックしてる」」
如月はうんざりした表情で、スマートフォンをジャケットに戻した。
「すまん……妹には俺からちゃんといっとくから……」
「あちゃ、また始まったみたいね。あの子の悪い癖が……」
早苗が眉間にしわを寄せながら小夜に顔を向けると、彼女は苦笑いを浮かべながら静かに頷いた。
「どういうことだい?」
「有紀ってね、少しでも気になる人や物を見つけると、その対象物に一点集中になっちゃうのよ。どうやら今回の対象はあんたみたいね」
「……キミの後輩だろ? 何とかしてくれ」
「何ともならないから、悪癖なんでしょ」早苗はうんざりした様子で肩を落とした。そして「まあ、そのうち飽きるだろうから、ちょっとの間の辛抱よ」と、続けた。
「そのうち飽きる? ちょっとの間の辛抱? そうじゃなかった実例が目の前にいるんだけど」
如月が小夜を見つめながら呟くと、彼女は満足そうに微笑みを浮かべた。
LINEはブロックすれば問題ない。メール、通話も同様だ。だが直接的な接触は防ぎようがない……。如月はそう思いながら溜め息を一つ漏らした。
「如月くん、ちょっといいかな……」
HRも終了し、帰り支度をしていた時だった、学級院長の沢木詩織が声をかけてきた。先の一件から少しは変わった彼女だったが、相変わらず頼まれると断れない性格は健在だった。その証拠に各クラスから選出される、文化祭の実行委員も詩織がおこなうことになっていた。
「何?」
「今日ね、家庭用のプラネタリウム投影機を見に行こうと思うの……」
「ふうん、それで?」
「でも杉村君、今日休みで……」
副委員長の杉村は本日欠席していた。
「だから何?」
「一人じゃなんだから、先生が誰かに付き添ってもらいなさい、って……」
「へえ、因みにその誰かって誰だい? もしかして――」
「もう、いじわるしないで付き合ってあげなさいよ」小夜はげんなりした表情を如月に向けた。「私も一緒についていってあげるから。ねっ?」
「一つ聞きたいんだけど、どうして僕なんだい?」
如月は無表情の顔を詩織に向けた。すると彼女は気まずそうに「菅原先生の強い推薦が……」と、答えた。
あのズボラ担任め、さっきのことをまだ根に持っていたのか……それにしても最近、厄介事が日々増しているように感じる。何だかどんどん複雑になっていく……。如月はそう思いつつ本日何度目かの吐息を漏らした。
3人は取りあえず、三幻寺駅前の東急ハンズへと足を向けることにした。エスカレーターで目的階へと歩みを進めると、小夜がすぐにお目当ての家庭用プラネタリウム投影機を発見した。以外にも種類は豊富なようだ。
「うーん、どれがいいのかなあ……」
「これだけあると逆に決めにくいよねえ……予算は幾らなの?」
小夜は投影機を物色しながら詩織に尋ねた。
「生徒会から5万円。それで足りなければ生徒1人当たりから、1000円を上限に集金ってことになってるけど」
「ってことは、ここにある一番高いのを買っても3万近く余るってことよねえ?」
小夜の問いかけに詩織はこくりと頷いた。
「じゃあ、これにしようよ。見た目もスタイリッシュだし、値段からして機能も充実してるだろうから。ねえ?」
小夜はそういって如月に顔を向けた。
「ドームは?」
「ドームって?」
如月の問いかけに詩織は首を傾げた。
「その機械を置いて、教室を暗くするだけでいいのかい?」彼は小夜の持っているプラネタリウムを顎でさした。「それでは流石にあのいい加減な担任でも ”手抜きだ” と、いって怒ると思うけど」
「やっぱりそうだよね。でもドームの作り方なんて分らないし……」
詩織はそういって困り顔を浮かべた。
「分らなければ調べればいい」
如月は素早くスマートフォンで検索をかけた。程なくして彼は詩織に液晶画面を向ける。そこには段ボールで作る半球体ドームの作り方が、事細やかに説明されたHPが映し出されていた。
「これなら金も時間も労力もそれほどかからない。加えて ”苦労した感” もそれなりに出せる、と思うけど」
「うん、そうだね」
詩織は安心した様子で微笑みを浮かべると、投影機を持ってレジへと向かっていった。
「嫌々ついてきた割には結構ノリノリじゃん」
「担任に小言をいわれるのが嫌なだけだよ」
如月はそういいながら、会計している詩織をぼんやりと眺めた。
「ごめんね、私まで送ってもらっちゃって……」
詩織は自宅の玄関先で、申し訳なさそうな表情を浮べた。
「いいの、いいの。女子の一人歩きは危険なんだから。ねえ?」
「夜ならまだしも、今は日が落ちかけの夕方だよ? 別に女性一人で帰っても――」
「そういうことだから、じゃあまた明日ね」
また余計なことを――小夜はそう思いつつ、如月の言葉を遮った。そして詩織に軽く手を振ると、強引に彼の手を引き最寄駅へと歩みを進めた。
「二人とも今日はありがとうっ!」
詩織が二人の背中に声をかけると、小夜は微笑みながら手を振って応えた。一方、如月は相変わらず彼女に腕を引かれながら、振り返りもせずに歩みを進めている。そんな二人の様子を、詩織は微笑みながら見つめていた。
折角ここまで来たんだ、今日の夕飯はマスダの厚切りハムカツに決定だな。小夜を送り届けたあと如月はとぼとぼと歩きながら、本日の夕飯メニューを決めた。マスダ精肉店に到着すると、威勢の良い声が如月の鼓膜に届いてくる。彼はタエ子に薄い微笑みを向けながら、ゆっくりと近づいていった。
「いらっしゃい、お兄ちゃんっ! 今日も厚切りハムカツ弁当2つかい?」
「ええ。お願いできますか」
「勿論っ! それより今日は小夜ちゃんと一緒じゃないのかい?」
「さっきまでは一緒でしたよ」
「あらっ! もしかしてデートかい?」
「いいえ。文化祭の買い出しです」
「なあんだ、つまんないねえ」
「すみませんね、ご期待に添えなくて。それじゃまた20分ほど、その辺をぶらぶらしてきます」
如月の言葉にタエ子は愛想よく頷いた。彼はこないだと同様に商店街をぶらついた。すると一件の古書店を見つけた。如月がよくこの商店街に訪れていた頃には、まだ古本の魅力などは分らなかったが今は違う。彼は迷うことなく古書店に足を踏み入れた。
こじんまりとした店内には、所狭しと古書たちが積まれている。如月は鼻から大きく息を吸い込んだ。すると古書独特の匂いが彼の鼻腔をくすぐってゆく。店の奥にいる老店主は、そんな如月に訝しげな表情を向けた。
すると彼は苦笑いを浮かべながら、照れ隠しのように手近な棚から一冊の古書を手に取った。表紙には【絡み合う三本の蔦 】とある。ページを開き読み進めてゆくと、どうやらマメ科の植物たちの三角関係を描いた恋愛小説のようだ。
『私が愛してるのはシロバナフジさんじゃない、イタチハギ、あなたなのっ!』
『スイートピー、それは只の錯覚だよ』
如月は台詞の一節を目で追った。
何だこれ……それにしても、どっかでいったようなセリフだな。彼は古書を眺めながら小声で呟いた。そして珍しく微笑みを浮かべながら物語を読み進めゆく。
物語の序盤では、シロバナフジに心を惹かれていたスイートピー。だが彼女は突然現れた、武骨な性格のイタチハギのことが少しづつ気になりだしてゆく。最初はデリカシーもなく優しくもないイタチハギのことが、彼女は苦手だった。だが彼と過ごし少ないが会話を交わす中、スイートピーはどうしようもなくイタチハギに惹かれていった。
だがイタチハギは結局、彼女の気持ちに応えることはなかった。理由は以前浴びた農薬のせいで、彼の死期が迫っていた為だ。彼にもスイートピーへの気持ちはあったが、二人が結ばれても結果的に彼女が悲しむだけだ。イタチハギはそのような思いから、自ら身を引いたのだった。
その後、イタチハギは一人きりで亡くなる。悲報を聞いたスイートピーは、失意の中 ”もう恋なんてしない” と、誓ってマメ科植物の尼寺へ入った。物語はそこでエンディングを迎える。
「……めちゃくちゃだ」
読み終えた如月はいつもの無表情でポツリと呟いた。するといつの間にか老店主が彼の隣で佇んでいた。
「面白いだろ? それ」
「まあ、なんというか……斬新ではありますね」
「サインやろうか?」
「サイン?」
「その本は、わしが書いたもんだ」
「へえ、作家さんだったんですか」
「ほら、さっさとノートをだせ」
「いいえ、結構です」
「何だよ、遠慮すんなって」
「いいえ、ほんとに結構ですから」
「そうか? なら別にいいけどよ……で、感想は?」
「だから、斬新だと」
「他には?」
「……スイートピーへの気持ちを抑える、イタチハギの苦悩が上手く表現されてますね」
如月は本を棚に戻しながら適当に答えた。すると老店主は、満足そうに何度も頷いた。
「ああ、そうだろ。でもまあ、イタチハギはただのバカたれだけどな」
「バカたれ……と、いうと?」
「そりゃそうだろ? もうすぐ自分が死んじまうからってよ、おのれの気持ちを誤魔化すなんてただの大馬鹿野郎だ」
「スイートピーを思ってのことじゃないんですか?」
「確かにそうだ。でもそのスイートピーにしたって、イタチハギと結ばれた訳じゃねえのに、結局は尼寺に入っちまったじゃねえか。だったら最初っから自分に正直になって、スイートピーの気持ちに応えるべきだったんだよ」
「それは結果論です。イタチハギはスイートピーのことを、一番に考えたのは確かですよ」
「ああ、勿論そうだ。でもなお兄ちゃん、確かに人のことを考えるってのは、悪いことじゃねえよ。だけどまずは己のことを一番に考えないとダメだ。自分が幸せじゃないと、周りにいる人間も幸せにはなれねえんだから……スイートピーみたいにな」
「なら、取りあえずはそのスイートピーが幸せになるような、ハッピーエンドな小説を書いてくださいよ」
「はははっ、違いねえ」
「それじゃ、執筆活動頑張ってください」
如月は老店主に軽く頭を下げると、すでに出来上がっているだろう、厚切りハムカツ弁当を取りにマスダへと向かった。
「へい、お待ち! 出来立てホヤホヤだよ」
「どうも」
如月が代金を支払い、タエ子から弁当を受け取ろうとした時だった、店の奥から一人の女性が顔を出してきた。
「お義母さん、爪切りどこにあるかしりません?」
「何だいっ、お客さんの前でみっともないっ!」
店先に出てきたエプロン姿の女性に、タエ子は顔をしかめながらいった。
「……すんません」
「ほんと、騒々しい嫁だよ」
如月はタエ子の後ろで、苦笑いを浮かべる女性に目を向けた。どうやら彼女はマスダ精肉店に嫁いできた息子嫁らしい。それにしても……随分と丸いなあ。
「あっ、もしかして彼がこないだいってた小夜ちゃんの?」
「ああ、そうだよ。なっ、地味だろ?」
息子嫁の問いかけに姑が答えた。その遠慮のなさに、如月は無言のまま佇んでいた。
「ええ、ほんと。目立つ小夜ちゃんとは対照的だわ……」
「あのう、弁当もらえますか?」
「ああ、ごめんごめん。はい、毎度あり」
「どうも、それじゃ」
「ああ、ちょいお待ち。これも持ってきな、サービスだよ」
タエ子は小さな紙袋を如月に手渡した。すると彼は小首を傾げながら「何ですか? これ」と、尋ねた。
「うちの人気ナンバーワン、ジャンボメンチだよ。厚切りハムカツもいいけど、そっちも試してみな」
タエ子は自信満々の微笑みを浮かべた。
そういえば彼女もそんなこといってたなあ……。如月は手の中の紙袋を見つめながら、以前聞いた小夜の言葉を思い出していた。
「サービス? 太っ腹ですね。ありがとうございます、試してみますよ」
如月は薄っすらと微笑むと、軽く頭を下げて静かにその場をあとにした。帰り際、タエ子が大声で「また、おいでよっ!」と、彼の背中に声をかけてきた。
「ほんと、昔から元気な婆さんだ……」
如月は日が落ちた商店街を歩きながら小さく呟いた。




