第十三話「キューピッドと黒い瞳 3」
「ねえ、さっき権藤さんと話してた時……」
「彼と話してた時がどうしたって?」
小夜をマンションへと送る道中、口ごもる彼女に如月がゆっくりと顔を向けた。
「……あの時と同じ顔してたよ」
「あの時って?」
「こないだのナイフの……」
「ああ、そうだったかな……ただの偶然だよ」
「ねえ、トラウマってなに?」
「心的外傷。外的・内的の要因による衝撃的もしくは肉体的、精神的な衝撃を受けたことで――」
「そんなこと聞いてるんじゃないっ!」
「分ってるよ」如月はそういって自嘲した笑みを浮かべた。「悪いけど僕にはトラウマなんてないよ」
「ほんとに?」
「ああ、それともあった方が良かったのかい?」
「そんなこと……」
小夜は静かにかぶりを振ると、安堵するように肩を落とした。
「それにしても、あの鉄仮面女が随分としおらしくなったもんだね」
「鉄仮面女?」
「キミに対する僕の対第一印象だよ」
「どういう意味?」
「外面がよく、他人には決して本性を見せない。そんな鉄の仮面を被った性悪女」
「ふうん。お得意の人間観察?」
「ああ。昔に流行ったヨーヨー刑事みたいで、カッコ良いだろ?」
如月の軽口に小夜は途端に眉をひそめると、彼に対抗するかのようにこう続けた。
「私が感じたキミの第一印象は、地味で無口な根暗オタクかな」
「いってくれるね。ならそろそろ飽きてもいい頃だろ?」
「ううん。だって一緒にいるにつれて、その印象は180度変わったから……」
「因みにどんなふうに?」
「おとなしいかと思っていたら、全然そんなことないし。ああいえばこういうから、口で負かすのは絶対に無理。ぼーっとしてるかと思ったら、いきなりとんでもない行動に出たり……ほんと飽きるどころか、如月君にはドキドキさせられっぱなしだよ」
「ふうん、そう……」
その後、二人は無言で歩き続けた。
僕なんかと一緒にいて、彼女は一体なにが楽しいんだろう? 如月は小夜の歩調に合せながら、そんなことに考えを巡らせた。自分が誰かに好かれるような人間じゃないことは、誰よりも彼自身が1番よく分っていたからだ。
それなのに、どうして……。如月がそんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にか小夜のマンションに到着していた。
「それじゃ」
「ちょっと寄っていかない? コーヒーでも――」
「いいや、遠慮しよくよ。なんだか押し倒されそうだから」
「ほんと、口の減らない……」
「じゃあ、また学校で」
「あっ、ちょっと……」
「何だい?」
口ごもる小夜を見つめながら、如月は小首を傾げた。すると彼女はおもむろに口を開き始めた。
「トラウマはなくても悩みくらいあるでしょ? だから……」
「だから?」
「だからなにかあったらいってね。私って顔だけじゃなく、頭も良いから……だから結構、力になれると思うのよ」
小夜はそういうと、今日一番の微笑みを如月に向けた。
「ふん、10年早いね」
「……ほんと、可愛気ないんだから」
「僕の数少ない魅力の一つだよ」
如月はそういって小夜に背を向けると、ゆっくりと緑神駅へと歩みを進めた。
こんなことをしていて、良いのだろうか? 本当にそんな資格、僕にあるのだろうか? 緑神駅に向かう道中、如月は自問自答を繰り返していた。ねえ、神様はどう思います? 日の落ちかけた空を眺めながら、彼は心の中で問いかけた。




