第十三話「キューピッドと黒い瞳 2」
「はい、お待ちどうさま」
老婦人はパウンドケーキを小夜の前に置いた。しっとりとした生地に濃厚なチョコレートチップ。加えてナッツ類が練り込まれたケーキからは、カカオの良い香りが漂っていた。
「うわあ、超美味しそう」
小夜は胸の前で手を組むと、歓喜の声をあげた。
「ありがとうね」
老婦人は嬉しそうに小夜に微笑みかけると、相変わらずメニューに目を落としたままの如月に視線を移した。
「とっても可愛らしいお嬢さんね」
「まあ、見た目だけは」
「ちょっと、それどういう意味よっ!」
小夜は肘で如月の二の腕を小突いた。
「ふふっ、仲がよろしいことで」
如月は相変わらずの無表情でメニューから顔を上げると、ゆっくりと老婦人に視線を合せた。
「そうでもないですよ。それよりこの店のご主人は関西のかたですか?」
「えっ? ええ、そうだけど……でもどうして?」
老婦人は一瞬虚を疲れた表情を浮かべた。
「メニューにキューピッドがあったんで、もしかしたらと思ったものですから」
「ああ、なるほどね……でもお若いのによく知ってるわね」
「一般常識ですよ」
如月はそういうとメニューに視線を戻した。老婦人はそんな彼を微笑みながら見つめると「それじゃ、ごゆっくり」と、いい残しカウンターの奥へと戻っていった。
「ねえ、キューピッドって何よ」
琴音はケーキを口に運びながら、如月の顔を覗き込んだ。
「カルピスのコーラ割りですよ」
「へえ……でもそれがメニューに載ってたからって、どうしてマスターが関西人だって分ったのさ?」
「京阪神間で提供されている飲み物なんで、関東の人間には馴染みが薄いんですよ。だから関西方面の方なのかなあ、と。因みに1970年代の、大阪のとある純喫茶店が発祥らしいですよ」
「ふうん、相変わらずキミの頭の中はくだらない知識で一杯ね。そんなことより、はいっ! あーんしてごらん」
琴音は如月の口元にケーキを持ってゆく。すると彼はメニューに目を落としたまま無表情で断った。
「いいや、決してくだらなくなんかないさ。とても面白い知識だ」
権藤は微笑みながら如月を見つめた。
「そうですか? ただの雑学ですよ」
「因みにその手の知識はどこから?」
「色々なメディアから漏れ聞こえてきたりとか……あとは殆どがWEBや本からですね」
「本? へえ、意外とアナクロなんだね」
「ええ。紙媒体の方が圧倒的にレイアウトが美しいですから。WEBも情報量が豊富で利点は多いですが、やはり読みずらさは拭えませんからね」
「なるほどね」権藤は納得したようにいうと、アイスコーヒーを一口含んだ。そして如月を見据えると「小夜ちゃんからは人間嫌いって聞いていたんだけど、どうやら人間観察の方は好きみたいだね」と、続けた。
「ええ。マウスを観察する研究者が、マウスを好きになる必要はないですから」
「はははっ、全くその通りだ。どうして彼女がキミに惹かれたのか、その理由の一端が垣間見えた気がするよ」
権藤は相変わらず、微笑みを浮かべながら如月を見据えた。
「理由なんてないですよ。ただ物珍しいだけです」如月はゆっくりとメニューから顔を上げた。そして相変わらずの表情で「どうせ彼女もすぐに飽きますよ」と、続けた
「そんなことはないと思うよ。それに珍しいっていうのは、それだけで十分に価値があることなんだ。まあ、良くも悪くもだけどね」
「良くも悪くもですか……因みに僕はどっちです?」
「さあ、まだ出会って間もないから……ただね、僕はキミとよく似た目をした人物に以前、出会ったことがあるよ」
権藤はグラスの氷をストローで弄びながら、独り言のように呟いた。
「僕とよく似た目?」
「そう、キミとよく似たその目に……」
権藤はテーブルの上に肘を乗せると、静かに両手を組み合わせた。
「仕事がら僕は色々な人間と接する。そして僕の仕事で一番大切なのは、少ない情報の中で相手の心を読み解くこと。仕草や筋肉のこわばり等、ありとあらゆるところからね」
「へえ、どんな仕事か興味が湧きますね」
「まあ、それは追々ね。だから僕は人の心を読むことに関しては、多少の自信がある。だが時々だけど心を全く読ませない人間がいるんだ」
「それは困りますね」
「そう、とても困るんだ。そして厄介なことに僕はどうしても、その人の心が知りたくなる。一度気になりだすと、もう止まらない」
権藤は冷たい微笑みを浮かべた。
すると琴音が「保っ!」と、いって鋭い視線を彼に向けた。だが権藤の言葉は止まらない。
「因みにどんな人間だと思う?」
「さあ、見当もつきませんね」
「まあ、そう言わずに適当でもいいから、答えてみてくれ」
先程の握手の時にいった ”なるほどね” と、いう言葉といい随分と絡んでくるなこの男……。如月はそう思いつつ彼の問いに答えた。
「僕みたいな人間だったりして」
「大正解だ。流石に察しがいいね」権藤は嬉しそうに口角を上げた。そして瞳を輝かせながら「だから教えて欲しいんだ。一体どんな経験をすれば、キミのような瞳になるんだい?」と、尋ねた。
「因みに僕のような瞳、とは?」
「血の通ってないドス黒い瞳だよ」
「ちょっと……権藤さん」
小夜は眉間にしわを寄せながら彼を窘めた。向かいに座る琴音も、同様の表情を浮かべている。
「血の通っていないか……上手いこといいますね」
「なにか過去にトラウマでもあるのかい?」
「そんなに知りたいですか?」
途端に如月の顔から表情が消えてゆく。それは以前、小夜が見たのと同じものであった。
「ああ、是非知りたい」
「権藤さん、いい加減にしてっ!」
小夜の声が店内に響き渡った。すると他の客たちも何事かと彼らに好奇な視線を向け始めた。
「はははっ、悪かったよ。如月君も気分を害したなら謝る、すまない」
権藤はそういうと軽く頭を下げた。だがその表情からは、全く反省の色は伺えない。
「いいえ、興味深い話でした」
「そういってくれると助かるよ」
権藤は隣で鋭い視線を送る琴音を横目に、肩をすくめながら苦笑いを浮かべた。その後は気まずい雰囲気のなか、全く盛り上がることもなく、純喫茶イケダでのお茶会はお開きとなった。
「それじゃ、僕らはデートの邪魔をしてもなんだからここで失礼するよ。じゃあ、またどこかで」
権藤は先程と同様に、如月に握手を求めた。いつもの無表情でそれに応じると、彼は小声でこう尋ねた。
「因みに先程いってた僕と似た目をした人は、今はどうしてるんですか?」
「彼はね、自殺したよ。何の罪もない人を幾人も殺したあとにね」
権藤は声を潜めながら、真剣な眼差しを如月に向けた。
「無差別殺人ですか?」
「ああ、通り魔的犯行だった」
「そうですか……それにしてもあまり気分の良いもんじゃないですね、そんな人と似た目をしてるっていうのは」
「だろうね」
自嘲した表情を浮かべる如月に対し、権藤は苦笑いで応えた。
「もしかして僕がその人と同様に、殺人を犯すとでも思ってますか?」
「いいや、キミは頭が良い。それは少し話しただけでも十分に分るよ。だから人を殺すこ
との愚かさも、それに対するリスクも当然分ってるはずだ。だけどね――」
「殺人の殆どは突発的や衝動的な犯行で起こる、ですか?」
「……ああ、その通りだ」
「それなら大丈夫です。僕はそんな感情的な人間でもないし、激情型でもないですから」
「そうか、なら安心したよ……」
「ハル君、こいつのいったことなんか気にしちゃダメよ」
「分ってますよ」
如月がそういうと、過保護な主治医は安心するように微笑んだ。
その後、琴音たちは二階堂駅と反対方向の飲み屋街へと向かっていった。どうやら二人は久々の再会を祝い、一杯やっていくらしい。相良先生、飲み過ぎなきゃいいけど……。如月はそんなことを考えながら、二人の背中をぼんやりと眺めていた。




