第十三話「キューピッドと黒い瞳 1」
「ちょっと、どうしてあんたまでくっついてくんのよ」
「別にいいじゃないか、久々に会えたんだし」
権藤保は微笑みながら琴音を見つめた。そんな彼の向かいには陰気な顔をした如月と、真剣な表情でメニューに視線を落とす小夜の姿がある。
場所は小夜が最近よく訪れるという純喫茶イケダ。こじんまりとした店内は老夫婦二人で切り盛りしており、彼女いわく知る人ぞ知るパウンドケーキの名店だそうだ。
パフェをたいらげた後に、その舌の根も乾かぬうちに、今度はパウンドケーキ……彼女は糖尿病予備軍だな。如月はケーキ選びに余念のない小夜に、チラリと視線を向けた。
若々しい高校生カップルと、三十路を超えた大人カップル。この年の離れたダブルデートのような取り合わせは、偶然に権藤と出会ったことから始まった。
先程、高級ブティックをあとにした3人は、純喫茶イケダを目指しゆっくりと歩みを進めていた。そんな中、背後から小夜を呼び止める声が聞こえてきた。3人がほぼ同時に振り返ると、そこには色黒の男性が片手を上げながら佇んでいた。
「あっ、権藤さん」
「やあ、小夜ちゃん」
「……保」
琴音は眉間にしわを寄せながら小声で呟いた。すると権藤はそんな彼女に、爽やかな微笑みを向けた。
「よう、久しぶり」
「権藤さんと知り合いだったんですか?」
「知り合いっていうか……ただ大学が一緒だった、ってだけよ」
小夜の問いかけに、琴音は不機嫌そうに言葉を濁した。
「つれないな。それだけじゃないだろ?」
「あんた、余計なこといったらぶっ殺すわよっ」
「はいはい。生憎まだ死にたくないんでね、余計なことはいいませんよ」
権藤は苦笑いを浮かべながら、肩をすくめてみせた。
「そんなことより、どうしてあんたが小夜ちゃんのこと知ってんのよ?」
「それはこっちの台詞だよ。そっちこそどうして彼女のことを?」
「この子のコレだからよ」
琴音は如月の肩に手を置くと、微笑みながら小指を立てた。
またこの人は勝手なことを……。如月は大げさに溜め息を漏らした。
「ふうん、なるほど。それで彼と琴音の関係は?」
「元教え子よ」
「元教え子? ……ああ、そういうことか」
権藤は咄嗟に琴音の嘘に合わせた。
「それで、そっちはどうして小夜ちゃんと?」
「仕事上の関係だよ」
「仕事上……ってことはあなたも普通の女子校生じゃないってことね?」
琴音が鋭い眼差しを小夜に向けると、彼女は苦笑い浮べながらかぶりを振った。
「いいえ、いまはごく普通の女子校生です。ねえ? 権藤さん」
「ああ、それは僕が保証するよ」
「そう? ならいいけど」
琴音は渋々といった様子で納得すると、すぐに小夜に視線を移した。
「いいこと? 小夜ちゃん。もう絶対にこんなのと関わっちゃダメよ」
「こんなのって……相変わらず手厳しいな」
権藤は大げさに苦笑いを浮かべた。そして一瞬、如月に顔を向けると「それはそうと、彼が例の?」と、小夜に尋ねた。すると彼女は微笑みながら、照れくさそうに頷いた。
「はじめまして」
権藤は微笑みながら如月に握手を求めた。
「どうも」
握手に応えながら如月は軽く頭を下げた。すると権藤は静かに彼の目を見据えながら、なにかを悟ったように「なるほどね」と、呟いた。
「なるほど?」
如月が小首を傾げながら聞き返すと、権藤は小さく笑みを浮かべながらかぶりを振った。
「いいや、こっちの話だよ。それより小夜ちゃんたちは、これからどこに?」
「美味しいケーキを出す喫茶店があるから、今からそこに」
「へえ、じゃあ僕も一緒にいいかな?」
「私は別にいいけど……」
小夜は曖昧に頷くと隣の琴音に目を向けた。
「ちょ、ちょっと、ダメよそんなの」
「どうして? 別にいいじゃないか。折角こうやって偶然にも再会出来たんだし」
権藤はそういうと、小夜と琴音の腕を強引に取った。そして困惑する二人をよそに「さあ、行こう」と、いってグイグイと目的地へと歩みを進めてゆく。というわけで程なくして、純喫茶イケダにて奇妙な取り合わせの、お茶会が開始されるはこびとなった。
「よしっ! 私はダブルショコラパウンドと、アイスロイヤルミルクティー」
小夜はそういってメニューから顔を上げると、隣の仏頂面に視線を向けた。
「如月君は何にする? 私のオススメはね――」
「僕はアイスコーヒーを」
「えっ! ケーキ食べないの?」
「さっきパフェを食べたばかりだろ? 糖尿病になるぞ」
「大丈夫だって、ここのは甘さ控えめだから」
「いや、そういう問題じゃなくて……それに注文しても食べきれそうにないんだよ」
「じゃあ、私のを少し分けてあげよう」
「いいや、結構だよ」
「遠慮しなくていいって」小夜はそういうと琴音に顔を向けた。「相良さんは何にします?」
「琴音で良いわよ、私も小夜ちゃんって呼んでるんだから」
「ああ……ですね。じゃあ、琴音さんは何にします?」
「オススメってどれ」
「うーん……やっぱり定番のオレンジパウンドかなあ」
「うん、じゃあそれとアイスティー」
「権藤さんは?」
「僕もアイスコーヒーだけでいいよ」
注文が決まると小夜は呼び鈴を鳴らした。すると老婦人が微笑ながら注文を取りにやってきた。皆の注文を老婦人に伝え終えると、ひと段落した小夜はふうーと軽く吐息をもらした。そんな彼女の隣では暇つぶしにメニューに視線を落とす、活字中毒の姿があった。
うん? キューピッドがあるな……いま注文を取りに来た老婦人には関西訛りはなかった。ということは店主のほうが関西方面の人なのだろうか? 如月はカウンターの奥にいる、柔和な顔立ちをした店主をぼんやりと眺めた。
それにしても、少しややこしいことになってきたな……。メニューに目を落としながら如月は心の中で呟いた。そして目の前に座る権藤にチラリと視線を向けた。
ムラがなく綺麗に日焼けした肌。シャツから覗く胸元には高級ブランドのネックレス。それに加えて左腕には世界3大高級時計の一つである、オーデマ・ピゲが誇らしげに巻かれている。
どうみても普通のサラリーマンには見えない。如月は頭の中で彼のイメージと合致する職業を幾つか思い浮かべた。そんなことをあれこれ考えていると、先程注文したものが運ばれてきた。
で、でかい……注文しなくて正解だった。巨大なパウンドケーキを見つめながら、如月は心の中で安堵した。




