第十一話「届かぬ想い、揺れる心」
昼休みの1年D組。教室の片隅ではいつものように机を付き合わせながら、昼食をとる3人の姿があった。そんな中、如月は相変わらずの仏頂面でコンビニ弁当に箸をのばしている。その向には彼に勝とも劣らない不機嫌そうな表情浮べている、小夜の姿があった。
「ねえ、あんたら喧嘩でもしたわけ?」
早苗は溜め息を漏らしながら、二人に顔を向けた。すると如月がゆっくりとコンビニ弁当から、彼女に視線を移してゆく。
「いいや、してないよ。それに、そもそも僕らは喧嘩するほど親しい間柄じゃないから」
「そう? じゃあ、この首筋にずっしりとくる重苦しい感じは何なの」
「さあね、病気なんじゃないのかい」
「病気って、どういう意味よ」
「首筋が重苦しいんだろ? なら頸椎に異常でもあるんじゃないのか」
「私がいってんのは喩えよ、喩えっ! 誰が本当に首筋が重たいなんていったのよっ!」
早苗は大声で怒鳴ると、今度は小夜に視線を移した。
「何かあったんでしょ? ほら、いってみな」
数秒の沈黙――早苗の問いかけに小夜は答えず、相変わらず無言でお手製弁当に箸を伸ばしている。そんな彼女の態度を見て、早苗は呆れた表情を浮かべた。そして頬杖をつくと再度、如月に視線を移してゆく。
「ねえ、なんか面白い話して。無駄なマメ知識豊富でしょ?」
「それが人にものを頼む態度か?」
「いいじゃん、かたいこといいなさんなって」
「しょうがないなあ……じゃあ、甘海老は好きかい?」
如月は面倒くさそうに尋ねた。
「うん、大好き。回転ずしにいったら絶対食べるもん」
「甘海老はね、生まれた時には性別がないんだ。だけど生後4年目になると、すべての甘海老はオスになる。ここからが面白いところなんだけど、そのオスがメスと交尾したあとはメスとして生きていくんだ。要するに自力で性転換が出来るってことだね。どうだい? 面白いだろ」
「なんか大好きだった甘海老に対するイメージが……他は?」
「ドラえもんは?」
「大好き、映画版とか超感動すんのよね」
「うん、そうだね」
「意外ね、あんたも好きなんだ」
「ああ、小さい頃はよく見てたよ。そういえば未来デパートで売っているタイムマシーン、あれの値段は幾らだと思う?」
「何か、あんまり聞きたくないんですけど」
「120万円だ。因みにタケコプターが15万円。どこでもドアが64万円。もしもボックスが62万円。たったの261万円でこれだけの素晴らしい製品が手に入るんだ」
「お金のことばっかいわないでよ……」
「因みに、キミの大好きなドラえもん本体の値段は幾らだと思う?」
「もういい、聞きたくない」
「20万円だ。あれだけの高機能で、しかも心優しいロボットが20万円で手に入るんだぞ? 僕なら絶対に即買い――」
「もうやめてっ!」
早苗の声が教室に響き渡った。すると他の生徒たちが何ごとかと彼らに視線を向けてくる。だが如月はそんなことなどお構いなしとばかりに、何食わぬ顔でコンビニ弁当に箸を伸ばしていた。
それにしても、一昨日あれだけのことをいわれたにも関わらず、よく昼食を一緒にする気になるな……ここまで来ると、もうただの嫌がらせか、義務感でやっているとしか思えない。まさかとは思うが、下校もこの調子で一緒なのだろうか?
如月はそう思いつつ、チラリと小夜の顔を盗み見た。すると彼女は相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべながら、弁当に箸をのばしている。彼は小さく吐息を漏らすと、小夜から窓の外へと視線を移した。そこにはいつもの陰鬱な鉛色の空が広がっていた。
午後からの降水確率は50%。降らなきゃいいけどな……。如月はそう心の中で呟くと静かに昼食を再開した。
「帰ろう……」
小夜は帰り支度をしていた如月の背中に声をかけた。すると彼はゆっくりと振り返り、いつもの無表情を彼女に向けた。
「悪いけど僕は一人で帰るよ」
「だめ……一緒に帰るって約束したでしょ?」
「昨日もいった通り錯覚だよ、キミの感情は」
「だから何っ!」
「開き直りかい?」
「別に錯覚でもいいじゃない。それも全部含めて私の思いなんだから」
「そうか、なら好きにしなよ」
如月は呆れ顔を浮かべると、鞄を持ち教室の出口へと足を向けた。すると小夜も小走りで彼の背中を追っていった。
無言の下校――いつもの小夜のおしゃべりは影を潜め、ただひたすら歩みを進める二人。程なくして彼らは気まずい沈黙のまま神無月駅に到着した。すると一人の男性が小夜に声をかけてきた。年齢は50代前半、優しげな目元が印象的な紳士だった。彼は小夜に歩み寄ると、にこやかに微笑を向けた。
「久しぶりだね、小夜」
「……どうして?」
小夜は俯きながら男に尋ねた。その表情はいつになく強張ったものだった。
「ここにいれば会えると思ってね」
「待ち伏せ?」
「マンションの方で待とうとも思ったんだけど、こっちの方が早いからね」
男はそういうと如月に一瞬、視線を向けた。
「彼は?」
「……クラスメイトの如月君」
「クラスメイトか……てっきり彼氏かと思ったよ」
男は苦笑いを浮かべると、如月に向き直った。
「はじめまして。小夜の父の三島敬一です」
「どうも、如月です」
父親か……どうやら彼女は母親似のようだ。彼はそう思いつつ、軽く頭を下げた。
「それより話があるんでしょ? だったら早くして」
「小夜、戻ってこないか」
「無理、あの人がいる家で暮らすなんてもう絶対に嫌っ!」
「どうしてそんなに由美子のことを嫌うんだ?」
「……父さんには関係ないっ!」
小夜は強引に如月の手を引きながら、神無月駅の構内に足を踏み入れた。
”気持ちを伝えても、あの子は絶対に受け入れてもらえない” 以前、早苗がいっていたことが如月の脳裏によぎった。そういうことか……。彼は強引に手を引く小夜の背中を見つめながら心の中で呟いた。
ホームへの階段を上り切ったところで、小夜はつかんでいた如月の手をぞんざいに離すと、手近なベンチに腰を下ろした。一方、如月は俯いたまま微動だにしない彼女の隣にそっと腰を下ろす。すると程なくして彼が乗る電車がホームに入ってきた。
「電車……来たよ」
「ああ、見れば分るさ」
「乗らないの?」
「あの人かい?」
如月は独り言のように、小声で呟いた。
「……相変わらず目ざといなあ」
「あいにく、人間観察が趣味でね」
「嫌な趣味……」
「僕の数少ない悪癖の一つだよ」
「じつの父親よ……流石に引いたでしょ?」
「いいや。エディプスコンプレックスなんて、別に珍しくもなんともないから」
「……ほんと、キミはいつでも冷静だね」
小夜は苦笑いを浮かべながら、静かに吐息をもらした。
「ナイフの刃を握って、それを首筋に持ってくやつのどこが冷静なのさ」
「はははっ……そうだね」
小夜は伏し目がちにいった。そして暫しの沈黙の後、彼女は静かに口を開き始めた。
「私の母はね――」
今から3年前、小夜の母親が亡くなった。これでやっと父を独占できる、彼女は母親の死をまえにしてそう思ったという。
父親への気持ちが異質だと気付いたのは、彼女が小学4年の時だった。周りの友人たちの話を聞くと、明らかに自分のこの気持ちはおかしいのだ、と小夜は思った。
加えて小夜は母親のことが大嫌いだった。それは母親の浮気が大きく起因している。仕事人間の父親に隠れて、小夜の母親は若い男と幾度も不倫を重ねていた。
毎週金曜日の午後、化粧台の前に座り入念に化粧を施す母。そんな姿を見ていると、この女と血が繋がっている現実に愕然とした。
小夜の父親は妻の浮気に気付いていたが、なにもいわなかった。恐らく男としてのプライドが許さなかったのだ。そして、それ以上に父は母を心の底から愛していたのだろう、と小夜は静かに溜め息を漏らした。
そんな夫の気持ちなどお構いなしに、若い男から生気を吸い取るように、日ごとに若々しくなってゆく母。一方、父親は笑うことが少なくなっていったと小夜はいった。
すべては母のせいだ……死ねばいいのに、小夜は心の中で何度も呟いた。そんなある日、彼女の母親は胃痛に悩まされ夫の付き添いで病院へと向かった。診断結果は胃ガンだった。それもステージ4。手の施しようのない末期ガンだった。
小夜は狂喜した。罰が当たったのだ、と思った。だがそれはすぐに後悔へと変わった。日ごとに痩せ細ってゆく母を父は献身的に看病した。絆を取り戻してゆく二人を見るのが何より辛かった。
数か月後、小夜の母親は亡くなった。死の直前あの美しかった母の面影はなく、殆ど骨と皮だけだった。そんな母親の姿を見て、小夜は何故か涙が止まらなかったという。
大嫌いだったはずなのに、どうして……。彼女は苦悩し自問自答を繰り返した。父親はそんな小夜に “これからは二人で生きていこう” といった。その瞬間、彼女の苦悩は嘘のように綺麗さっぱり消えた。そしてこれからは自分が父を支えるんだ、と心に誓った。
家事全般は小夜が行った。昔から器用だった彼女は料理も死んだ母親より上手だった。小夜にとっては至福の1年間だった。だがその幸せは突如として終わりを迎えた。
突然紹介された再婚相手。何の取り柄もなさそうな地味な女、と小夜は吐き捨てるようにいった。彼女は父親の再婚を反対しなかった。父の裏切りに心底落胆して、そんな気も起らなかったという。
だが父親への気持ちは消えなかった。そして何より二人きりだった時よりも、幸せそうにしている父の姿を見るのが辛かった。だから高校に上がったと同時に、小夜は家を飛び出した。
「実の母親が死んだっていうのに、結局は自分のことしか考えてない……ほんと、酷い娘よね」
話し終えた小夜は、俯きながら自嘲した笑みを浮かべた。
「別にそうは思わないけど」
「……そうかな」
「実の親子だって、歩み寄れないことだってあるさ。それにキミはお母さんの為に、涙を流すことが出来たんだろ? それなら……」
珍しく如月は口ごもった。
「それなら?」
「それなら……キミはまだ大丈夫だよ」
如月はそこで一呼吸あけると、発車してゆく電車をぼんやりと見つめた。
「だから安心しろ」
「……反則でしょ? どうしてこんな時に限って、そんな優しい台詞をいっちゃうのよ」
小夜は冷めた声色で呟きながら、如月に顔を向けた。そして堪えきれぬように瞼を閉じると、彼女の頬を涙がゆっくりと伝わってゆく。
「そんなだから……私は勘違いして、また錯覚しちゃうんじゃないっ!」
その後、彼らは何度も電車を見送った。二人の間に言葉こそなかったが、小夜はずっと如月の華奢な手をきつくにぎっていた。
ずっと他人と深く関わることを避けてきた。誰かの ”特別な人” になることをなによりも恐れた。でも一人くらいなら**ちゃんも許してくれるだろうか。ねえ、神様……あなたはどう思います? 彼は小夜の手の温もりを感じながら、心の奥でそっと問いかけた。




