第九話「要らない仕送り」
「ここに、ハンコかサインお願いしまーす」
宅急便のドライバーが、微笑みながら如月に伝票を手渡してきた。彼はボールペンでサインをすると、段ボールの荷物を受け取った。50×50程の荷物は、ずっしりと重かった。差出人の欄には如月敦夫とある。単身赴任中の叔父からの仕送りだ。
何度、要らないといっても必ず送り付けてくる。中身は恐らく冷凍した肉や魚、あとは野菜の類だ。料理の出来ない如月にとって、このての食材は必ずもてあます。
どうせ仕送りしてくるなら、冷凍食品やカップ麺にしてくれっていってるのに……。如月は溜め息を漏らしながら独り言を呟いた。そして彼は叔父からの仕送りを抱えると、いつものようにある人物におすそ分けへと出かけていった。
目的地は、風俗店やラブホテルが数多く建ち並ぶ裏通り。そこにひっそりと医院を構えるSクリニックだ。叔父からの仕送りは常に琴音に渡していた。自宅に置いておけば確実に腐らす為である。最初こそは遠慮していた彼女であったが、最近では味を占めたらしく、仕送りが届くのを首を長くして待つようになっていた。
電車に乗り込むと、人工的な涼しさが体を包み込んでゆく。車内は休日ということもあり子連れが多かった。如月は手近な席に腰を下ろすと、いつものように中刷り広告に目を向けた。
電車内では悪癖の人間観察か読書。そしてもう一つの暇つぶしが、中刷り広告に目を向けることだった。といってもただ単に広告を読むわけじゃない。まずはその広告に一番多く使われている文字を探す。そして1位~20位までを決めると、その文字を使って新たな見出しを作ってゆく。
当然だが新たに作る見出しは、広告の記事に関係のあるものに限る。加えて文字は全て使い切らなければならない、という縛りもある。これが如月の暇つぶし方法だった。
以前そのことを琴音に話したところ「一体それのなにが面白いわけ?」と、呆れた顔を彼に向けてきた。因みにこの出来事を機に、如月はこのての話を彼女にするのを一切止めた。
いつものように文字を数えていると、1枚の広告にあるアイドルの顔写真が載っていた。どこか小夜に似たそのアイドルの写真を眺めながら、如月は一昨日の彼女とのやり取りを思い起こしていた。
場所は昼休みの1年D組――二人は数日ぶりに顔を突き合わせ、小夜のお手製弁当を食べていた。当然ながら周りの生徒たちは、困惑の表情を浮かべている。そんな中、小夜がおもむろに口を開き始めた。
「美味しい?」
如月はいつもの調子で無言のまま頷いた。すると彼女は軽く口角をあげると更にこう続けた。
「ときに明日は週末ね」
「ああ、そうだね」
「天気予報によると降水確率0%。快晴だそうよ」
「0%……降水確率は雨や雪の降りやすさを確率であらわしたもので、四捨五入して10%刻みで発表されるんだ。だから確率4%までは0%とされる。要するに雨が降る確率は厳密には0%ではないんだよ」
「へえ、そうなんだ……前から気になってたんだけどさ、なんでそんなマニアックな知識満載なわけ?」
「マニアック? 一般常識だよ」
「……話が脱線したから元に戻すけど、明日なんか予定はある?」
「いいや、特には……いいや、やっぱりある」
何か嫌な予感が……。如月はそう思しつつ、咄嗟に答えを変えた。
「じゃあ、日曜日は?」
「その日も埋まってるね」
「へえ……因みに土曜日の予定は?」
小夜は箸の手を休めると、静かに如月を見据えた。
「家の掃除」
「家の掃除……じゃあ、日曜日は?」
「溜まった洗濯物を――」
「特に予定はないってことでいいのねっ!」
相変わらずこの女は、人の話を聞かない。如月は軽く吐息を漏らすと、いつもの無表情で小夜に視線を合せた。
「掃除と洗濯があるっていってるだろ?」
「そんなの予定っていわないのよ。2時間もあれば終わるでしょっ!」
「僕にとっては、終日かかる立派な予定だ」
「家事全般なんて、平日にやりなさいよ。休日はもっと有意義に使わなきゃだめなのっ!」
「有意義って……例えば?」
「デートっ!」
「誰と誰が?」
「決まってるでしょ、私とあなたがよ」
冗談じゃない。只でさえ、平日はベッタリなのに、休日までなんてあり得ない。頭を軽く振ると、如月はうんざりした表情を浮かべた。
「嫌だよ、面倒くさい」
「また面と向かって……前にもいったわよね、少しは気を使いなさいって」
「休日くらいは、一人でのんびりしたいんだ。それに掃除や洗濯もやらなきゃいけないのは事実だし。悪いけど無理だよ」
「どうしても?」
如月が無言で頷くと、小夜は渋々といった様子で引き下がった。
やけにあっさりと引き下がったな……何か魂胆があるのか? 彼女の表情からは不自然なものは読み取れない。気のせいだろうか? まあ、だだをこねられるよりはマシか。如月はそう思い直すと中断していた昼食を再開した。
大和駅、大和駅、降り口は右側に変わります――車内アナウンスが目的駅の到着を告げてきた。如月は昨日の回想から帰還すると、ゆっくりと降り口へと足を向けた。
風俗街は週末の昼下がりということもあり、客はまばらだった。すると客引きの一人が、にやけながら如月に話しかけてきた。内容は鼓膜を遮断してたので分らなかったが、恐らく店で遊んで行けといったことだろう。高校生に声をかけるとは……。
歩きなれた通りを進んでゆくと、程なくして目的のビルに辿り着いた。ビルを見上げると、最上階にはピンクの電飾に白抜き文字で、【Sクリニック】と表記された看板が点灯している。
絶対に普通の病院には見えない。それにしてもどうしてわざわざピンクに……。如月は冷めた眼差しで看板を見つめると、軽く吐息を漏らし足早にビルの中へと足を踏み入れていった。
Sクリニックの受付には、馴染みの女性がいつものように微笑みを浮かべていた。如月は彼女に軽く会釈すると、カウンセリングルームへと向かう。ノックをして部屋に入ると、琴音はざるそばを啜っているところだった。一方、その隣では美鈴がカツ丼を頬張る姿がある。昼休憩か。ちょうどいいや、と思いつつ如月は二人に近付いていった。
「あれっ、どうしたの?」
「叔父からです」
琴音の問いかけに答えると、彼はデスクの隣に仕送りの段ボール箱を置いた。
「おお、来た来た! わざわざ、悪いわね」
「いいえ。それじゃ僕はこれで」
「ちょい待ち。折角だから、お茶ぐらい飲んできなさい」
琴音は如月専用のマグカップに、コーヒーを注ぎいれた。彼はそれを受け取ると、手近にあった椅子に腰を下ろした。
「ねえ、どうして私にはくれないわけ?」
美鈴は箸の手を休めると、唇を尖らせながら如月を見据えた。すると琴音はすぐさま二人の間に割って入ってゆく。
「一つしかないんだから仕方ないでしょ、ねえ?」
「なら、私とあんたで交互に貰うべきよ」
「嫌よ。それにこれは主治医の特権ってやつなの。薬剤師ふぜいが貰える代物じゃないのよ」
「ねえ、ハル君。今度仕送りが届いた時は、琴音じゃくて私によこすのよ」
また始まった……コーヒーは断るべきだったな。
「……いいですけど」
「だめよ! キミはいつものように私に献上するの、いいわね?」
「……僕はどっちでもいいですよけど」
如月は溜め息を漏らしながら呟いた。その後、数分間にわたり、どちらが仕送りを受け取るかで揉めに揉めた二人。話し合あいは、いつまでたっても平行線。結局、結論は先送りとなった。
「聞いたわよ、最近モテモテらしいじゃない」
美鈴は食後のお茶を啜りながら、卑下た笑みを浮かべた。
「先生、患者のプライバシーを外部に漏らしていいんですか?」
「いいじゃないの、減るもんじゃないんだし。そんなことより、愛しの小夜ちゃんの写真撮ってきてくれた?」
琴音は食後の煙草に手を伸ばすと、愛用のジッポで火をつけた。
この人も相変わらず、人の話を聞いていない……。如月は冷めた表情を浮かべた。
「だから無理だっていいましたよね」
「芸能人でいうと誰に似てんの?」
「……強いていえば綾瀬玲ですかね」
美鈴の問いかけに如月が面倒くさそうに答えると、途端に女性陣から歓喜の声が漏れ始めた。
「マジでっ! めっっちゃ良いじゃん。どうして付き合わないのさっ!」
「性格が厄介なんです」
「キミも人のこといえないでしょ」
「僕は彼女と違って性格はいいですよ」
如月は鋭い眼差しを主治医に向けた。
「まあまあ、ハル君の性格のことはこの際だから横に置いといて。どうだろう? とりあえずは、その小夜ちゃんって子と1回ヤッちゃうっていうのは」
「あっ、それいいかも」
琴音はパチンと指を鳴らした。
「とりあえずの意味が、全く分からないんですけど」
「細かいことはいいのよ。それに、まだしたことないんでしょ?」
「はい、ありません」
琴音のデリカシーの欠片も無い問いかけに、如月は相変わらずの無表情で答えた。
「なら一度経験してみなさい。そうすればキミの偏屈な性格も、少しは改善されるかもよ」
「僕の性格は厄介でも偏屈でもありませんよ。それに、そんなことをして先生みたく貞操観念が著しく低下しても困りますし」
「あはははっ、いわれてるわよ、琴音っ!」
美鈴は爆笑しながら彼女の背中を豪快に叩いた。一方、琴音は眉間にしわを寄せながら、如月を睨みつけている。だがそんな鋭い視線をよそに彼は更にこう続けた。
「それと谷川さん。これは余計なお世話かもしれませんけど、出会ったその日の内にラブホテルに直行っていうのもどうなんでしょうねえ」
如月はそういって、ゆっくりとマグカップを傾けた。すると今しがたまで爆笑をしていた美鈴の顔から、途端に表情が消えてゆく。
「……あんた、この子になに余計なこと吹き込んでんのよ」
「だって事実じゃないの」
琴音は微笑みを浮かべた。だがその目は全くといっていいほど笑っていない。そして程なくして二人の睨み合いが始まった。一方、如月といえば今が好機とばかりに、静かに椅子から腰を上げた。
それじゃお二人さん、あとは仲良し同士ごゆっくりと。彼はそう心の中で呟くと、音もなくSクリニックをあとにした。




