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火星の雪  作者: 上泉護
13/42

雲海

「気を付けてくれ」言い出しておきながらトムが注意した。

意外にもマリアは雲海の美しさに目を奪われて、自分が今とてつもなく高い所にいるという恐怖をあまり感じなかった。

遥か彼方、遠く雲海を見ながら自然と配管の端まで歩いていく。

断崖絶壁に迫り出した街を雲が流れ落ち、美しい少女が(うれ)いを帯びた目で遥か彼方を見ている。

あまりの美しさにトムは夢中にシャッターをきった。

ふとマリアが我に返り、いたたまれなくなって戻ってくると

「いや!ありがとう!素晴らしい()が撮れたよ!個展で一番人気間違いなしだ!」

と興奮気味にまくしたて、改めて彼女と契約しようと画策(かくさく)しはじめた。

「よかったら専属モデルをやらないか!ギャラの方は頑張ってみるから!」

「ありがとうございます。でも行かなければならない所があるんです」

「そ~か~、残念だな~、まぁ気が変わるよう願うさ」ブロディが後ろから

「悪いが案内を頼む。急いでるんだ」

「わかったよ、ただ本当に危険だぞ。ギャング団と交渉しようってんだから」

「意外だな、あんたみたいな人とどんな繋がりがあるんだ?」

「今日は一時間くらい前からここにいるんだ、通行料を払って通させてもらってる」

命も有り金全部も取られなかった所をみると、まだ良心的?な集団のようだ。

「まだ起きている筈だ。行ってみよう」


薄暗い通路に強い朝の光が隙間から差し込んでいる。

低い場所だと頭をかがめ、通路をふさいでいる得体の知れない物を(また)いで進んで行く。

マリアが物珍しそうに周りを見渡していると、ブロディがシートに被ったある物に目をとめた。

「なに?」とマリア

「ⅤTグライダーだ・・単独で飛行でき、もっぱら敵地への潜入に使用される」

「軍用品?これで空が飛べるの?」見た目はでかいバックパックだ。

「あぁ、そいつを背中に背負って翼を広げる。忍び込む時はエンジンを切って滑空するのさ」

「詳しいんだね、軍関係者かい?」とトムが聞いた。

「誰でも知ってる事さ、特に珍しくもない」

対して興味がないのか、「ふ~ん」とどんどん奥の方に進んでいく、いかにも慣れた感じだ。

彼らは歩き続け、迷路の様な細い通路を進んだ。

しばらくしトムは薄汚れたドアの前で立ち止まると、軽くノックした。

「トムだ。向こうに戻りたい。通してくれないか?」

ちょっとした間のあと、男が扉を小さく開いた。

目は濁り、ふらふらしていたが、どこか殺気じみた狂気を感じさせる男だ。

三人を値踏みしている。

恐らく今の今まで夜通し酒を呑み続け、いい加減寝床に入ろうとしていたに違いない。

少なくとも5人の男達がいた。

「その二人はなんだ?行きはいなかった筈だ」

「あぁ、ちょっと野暮用でね」とトムは言った。

薄暗く酒臭い部屋の中央のソファに座って酒を呑んでいた男が、マリアに目をつけた。

「入んな・・トム。今日はえらく早いお帰りだな。なんかあったのか?」

「あぁ、ちょっとモデルを頼んだんだ。これから専属契約をしてもらう約束なんだ」とトムは嘘をついた。

「その女はおいていけ・・お前らは行っていい」唐突に男が言った。

「ショーン頼むよ。二人分の金は追加で払うから」とトム

「だめだ・・」と言った瞬間ブロディが疾風の様に動いた。

一番近くにいた奴を力まかせに殴り飛ばす。

ソファに座っていた2人を立て続けに蹴り飛ばした。

1人は顎を膝で、もう1人は延髄蹴りの要領だ。

机の下から拳銃を取り出そうとした残った2人に、机をひっくり返し浴びせ倒す。

1人の顔面を殴り飛ばすと、銃を拾おうとしたショーンの右腕を踏みつけた。

あっという間に4人が動かなくなった。

苦痛で顔をゆがめているショーンから拳銃を奪うと、ブロディが言った。

「案内しろ、そしたら命だけは助けてやる」

「お前こんな事してただですむと思ってんのか?」とショーンは凄んだが、ブロディは黙って銃をショーンの膝頭に向けた。

「まっ!待て!案内する。案内するから撃たないでくれ!頼む!」

「今までどんな悪事をしてきた?何人殺してきた?お前の様な奴は死んだ方が世の為だ」

マリアとトムはそのブロディの迫力にのまれて、なにも言えなかった。

彼の短い半生の過酷さが、どの様な物だったのかうかがい知る事は出来ないが、マリアは知られざるブロディの一面を垣間見た思いだった。

「許してくれ!頼む!後生だ!頼む!」ショーンは頭を抱えて目を硬く(つむった。

「俺達を案内するか?」「あぁするよ!させてくれ!」

「じゃあ早く立て、それとも2度と自分の足で立てない様にしてやろうか?」

ショーンは酔いも忘れて勢いよく立ち上がった。

「こっちだ」と言うと、部屋の奥に向かって歩いて行った。

トムは慣れているのか普通について行こうとしたが、ブロディはトムを制すると、ショーンのすぐ後ろを油断なくついていった。

ショーンから見れば、ブロディは得体の知れない怪物に見えたに違いない。

またそれがブロディの狙いでもあったのだ。

完全に怯えているショーンは、保身以外の事は考えられなくなっている。

いつ後ろから撃たれるのか、心配でならない様子だった。

「お前、ちょっとでも変な真似をしたら、分かってるな?」とブロディ。

「あぁ、もちろんさ、まかせてくれ、安全に街に入れる。だから撃たないでくれ」

「お前次第だ・・・」

「あぁ、まかせてくれ、こっちだ」

一行は下水道の側道に出るとしばらく歩いた。

一段高くなり水が流れ落ちる脇道に何度か入り、10分ほど歩いた所でショーンが振り返った。

「これはサウスコートのマンホールだ、タイミングを見計らって開ける。いいか?」

ブロディはトムを見ると、トムは頷いた。

ブロディはショーンに向かって

「解った。お前はここまででいい。しかし解ってるな、俺たちの事は誰にも言うな。言ったらどうなるか解るな?」

「あぁ、あぁ、もちろんだ、誰にも言わないよ。信じてくれ」

裏社会では人間としての”格”がものをいう。

完全にショーンはブロディに対し、格を見せつけられた形となった。

もちろんブロディの年齢など知る由もなかった事だろう。

その体の大きさと滲み出す凄みと迫力は、彼を四つも五つも()けて見せたに違いない。

マンホールから出た3人は蓋を元の状態に戻すと、何食わぬ顔で通路を歩き出した。

「僕の事務所が近くなんだ。来てくれ」トムが先頭に立って手招きをした。

マリアとブロディはトムについて歩き出す。

街中は商店が立ち並び、整備された街並みは美しかった。

時間は8時を過ぎ、人々の仕事に向かう雑踏は収まり、静かな日常が街を包んでいる。

一つ目の曲がり角を曲がり50mほど歩くと、全面ガラス張りの3階建てのビルがあった。

トムはガラス扉を開け、ブロディとマリアを招き入れた。

(うなが)されるように二人はソファに座る。

整った室内で少し落ち着く事が出来た。

「よく見たら、あんたもモデル向きのいいスタイルしてるな」とブロディにトムが言った。

「考え直さないか?2人まとめて契約するよ。どうだい?」

「残念だが今は無理だな。機会があったらよろしく頼む」そう言うブロディにトムが

「あんた何者(なにもん)なんだ?」トムは改めてブロディを見つめると聞いた。

身長は180cm後半、顔はまだ少年の面影を残している。

不思議そうにブロディを見た。

「生きていく為にいろんな事をしてきたのさ」

「まぁ気が向いたら言ってくれ」と言いながら珈琲をいれる。

壁に並んだ火星の美しい情景写真を見ながらマリアが聞いた。

「これは・・・火星の人達には売れないでしょう?」

「あぁ、もっぱら地球の人間あいての商売だよ。旅行代理店が主な顧客かな」

「今だ火星の現状を知らず、夢や希望を持って幻のフロンティアにくる奴らがいるんだな・・・」ブロディの感慨は深かった。

「とりあえず部屋はあるから休むといい」

「いいんですか?」とマリア

「あぁ、もちろん。少しでも気が変わる時間を稼ぎたいだけさ」とトムは笑った。

トムが用意してくれた朝食をもらい、それぞれにあてがってくれた部屋に入ると、二人はすぐに眠りに落ちた。

昨日から一睡もしていなかったからである。


ブロディは悪夢にうなされていた。

小さい子供に戻った彼は、父親に殴りつけられている。

「やめて、ジョン!」母が父を止めているが、力任せに突き飛ばされ倒れた。

殴られても殴られても父を睨み返した。

サラが影から怯えた目でこちらを見ている。

「その目だ!その目が気に入らないんだ!」

なおも殴られたが、親父の顔がなぜか悲しそうに見えた。

血の味がする。はっとして目が覚めた。

小奇麗な天井が目に入った。あぁそうだ・・・ここは・・寝汗をかいていた。

どれくらい時間が経ったのか・・時計を見ると午前11時だ。

あまりのんびりもしてられないと起きだしたブロディは、上着を羽織ると部屋を出た。

「マリア、起きているか?」ブロディがドアの向こうに声をかけた。

「うん・・・ちょっと待って・・」眠そうなマリアの声が返ってくる。

ドアを開け目をこすりながらマリアが出てきた。

「よく寝れた?」

「あぁ」とブロディは嘘をついた。悪夢で快眠できようはずもない。

二人は並んで階段を下りながら、ブロディはさっき見た夢が気になっていた。

「今朝の話だけど・・」マリアはまだ眠そうな眼差しをブロディに向けた。

「なに?」

「俺の親父の運命がどうのって話だよ」

「うん」

「マリアは子供に暴力をふるう様な父親をどう思う?」マリアが少し考えると

「とても良くない事で悲しい事だけど・・心理学でいうところの”価値低減傾向”の人だったのかもしれない」

「かちていげんけいこう?」

「うん・・幼い頃両親に甘やかされて育つと、世界の中心に自分がいると思い込んでしまうの・・ところが大勢の前に立った時、自分の小ささや社会的地位の低さに耐えられず、自分より弱い者をいじめたり、蹴落としたりする事で、相対的に自分が価値のある者に見せようとするの・・」

ブロディは父親をそんな風に分析した事がなかったので、目が開かされるような感覚を覚えた。

「精神的に成熟しきれず大人になってしまったのかもしれない・・だけどそれはブロディのお父さんの選べない人生だった。もしかしたらどうしようもない自分自身を悔やんでいたのかもしれない・・運命がお父さんを火星に呼んだ。本人はそう思ったのかも・・そして裏切られた。ブロディはその怒りのはけ口になってしまったのかもしれない・・・」

ブロディの脳裏に、夢の中に現れた悲しそうな父親の顔が浮かんだ。

「勝手な話だ。子供にはなんの罪もないじゃないか?お袋も妹も、親父に殺されたようなもんだ」

マリアはやや唐突に言った。

「お母さんは、どうしてお父さんについて火星に来たのかな?そんなお父さんを愛してたんじゃない?」

「俺は妹を守ってやるって言ったのに守れなかった!死なせちまったんだ!看取ってやる事も出来ず!お袋が親父をどう思ってようが、妹に罪は全くなかった!地球にいれば死ぬこともなかった!どうしたら良かったんだ!?」いつの間にかブロディは声をあげていた。

マリアはブロディの大きな背中に手を回すと、

「どんなに科学が進歩しても過去にさかのぼる事は出来ないし、時計の針は巻き戻せない。あなたが過去に縛られたままでいたなら、この先ずっと幸せになる事が出来なくなります・・・人生に目的と勇気をもって立ち向かって下さい」マリアはブロディを見上げた。

ブロディは背中に回された手がとても暖かく、そして気持ちが軽くなるのを感じた。

「保母より・・カウンセラーの方が天職かもな・・」


「もう・・」と言うと、マリアは笑った。






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