花のようだった王女、宝石のようだった皇女
絢爛豪華な大ホール。
手を叩く音を合図に、楽団の演奏が止まった。さすが大陸一の大国が呼び寄せただけある、すばらしい演奏の余韻を残すホールに、朗々とした声が響き渡る。
「親愛なる我が友人たち、そして我が民よ、今日は皆に知らせたいことがある!」
おしゃべりに花を咲かせる淑女たちも、杯を重ねる紳士たちも皆、揃って玉座の前に立った男に目を向ける。
そこに立つのはこの国の王だ。
年の頃は四十くらいだろうか、決して若くもなく目立つほど顔が整っているわけではないが、壮年と呼ばれる年齢でありながらその肉体は引き締まり、日々鍛錬を欠かしていないことがわかる身体付きをしていた。豊かな焦げ茶色の髪と同色のヒゲを品よく整え、肌艶の良い王は充実した生活を送っていることがわかる。
ただ難をいえば、宝冠から首飾りには大粒の宝石があしらわれ、十本の指全てに指輪、金糸を贅沢に使って刺繍の施されたマントを羽織っているところがどうかと思われる。成金じみたその服装だけが問題だが、気力が漲っている王が堂々と立つ姿に、ホールに立つ国民はこの場に招待された貴族から配膳をする下働きまでもが尊敬の眼差しを向けていた。
その眼差しをかつては向けられていた王女は、淡い花のような唇を噛み締めてその様子を伺っていた。
小国の次期国王であった王女は今、メイドに身を費やしてこの場に立っている。正確にいえば、『メイドのフリ』であり、高貴な身分である彼女が下働きのマネをすることはない。ただ、大勢いるので都合がいいためメイドたちに混じり、パーティーがはじめる頃合いを見てホールの入口にやって来たのだ。
「色狂いと話を聞いていたのに…あのような方が、そんなことをするはずもないわね」
王女が小国から病弱な身体に無理をしてこの場に立ったのは、理由がある。
婚約者の父親である宰相と騎士団の一隊を任されていた平民の男が反乱を起こし、王女にとっては不幸が重なった結果に父王が玉座を奪われてしまってから幾ばくか月日が流れている。彼女たち王族は辺境の小さな城に押し込まれ、監視を付けられての窮屈な生活を余儀なくされていた。
父王はかつての優しい微笑みを忘れてしまったかのように毎日監視を怒鳴って過ごし、母である王妃はしおれた花のように俯いて過ごし、婚約者の青年は『こんなはずではなかった』と嘆くばかりである。
彼らの変わりように心を痛めた王女は、その異常な状況を誰かに伝えるために勇敢にも一念発起し、久し振りにやって来た宰相の目を盗んでメイドに紛れ込んだのだ。
どうやら宰相は『宰相』の地位を返還したらしい。反逆者であるのだから当たり前だと王女は思っているのだが、どうも彼の発言力は健在らしく『みんしゅせい』に変わったのに他国の王族と会う機会が多いそうだ。わざわざ外にも出られない父王にそのような自慢をしに来たのを苛立ち混じりに聞いていた王女は、大国の王に会うという宰相について行くことを思い付いたのだ。
宰相でありながら父王に刃向かった男だ、ちょっと高い地位の者に諫められてもまた暴力でもって退けるだろう。だったら、逆らう気も起きないほどの権力者に助けを求めればいいと聡明な王女は思い立ったのだ。
候補としては王女の清らかで可愛らしさに目を付けて、皇妃と望んでいた皇帝の元へ向かうつもりだった。姉がそこへ手違いで輿入れしてしまったことを詫び、そして宰相たち逆賊から国を取り戻したら御礼に皇妃になってあげよう考えていた王女だったが、宰相一行が帝国とは方向の違う大国へと進路を取っていたため仕方なく諦めることにした。大国も『大』と付くからには大きいのだろうと思ったのもある。
こうして堂々と大国へと足を踏み入れた王女は、侍女たちが噂をしていた姿とはまったく違う王の姿に惚れ惚れと見惚れてしまっていた。
「きっと、あのようにすばらしい方だから、男の方たちが嫉妬して悪くいったのでしょう。私と同じね」
幼い頃から双子の姉に、その可憐な可愛らしい姿から嫉妬を受け『病気じゃない』といいふらされていた可哀想な王女は、同じように嫉妬を向けられる大国の王に憐れみを抱いた。王女は両親をはじめ、周りには味方が多かったから姉の心無い言葉を鵜呑みにされなかったが、これほどの大国を治める王だ、きっと権力を欲する者たちばかりで味方がおらず寂しいだろうと想像する。
「私が癒して差し上げよう。そして、お父様とお母様を助けて頂いて、この国で王妃として末永く幸せに暮らすの」
王女は自分の輝かしい未来を想像しながら、孤独な王を癒すためにホールへ一歩、足を踏み入れたのだった。
「長らく空席としていた王太子の席を今、この場を持って埋めよう!皆はその証人になってほしい」
どうやら、王の後継者たる王太子のお披露目を行うようだ。かつて帝国の皇女だった娘は、しかし以前のように政には関心のない眼差しで声を張る大国の王を見詰めていた。
「あなたが嫁いでいたら、数十年後にこの場に王太子として立っていたのはあなたの産んだ子どもだったかもしれませんね。そうすれば、『皇后』と呼ばれて義兄上からもお褒めの言葉を頂けたのに。今、どんな気分ですか?」
ざわめく周囲のせいで声が聞こえないとでも思っているのか、仮初の夫である伯爵は皇女の耳元に唇を寄せて囁くかのようにいった。まるで睦言を囁き合う、周囲が見えない若い恋人同士のような彼の行動に、整った柳眉を顰めて皇女は一歩、仮初の夫から距離を取る。
「身分は帝国と並ぶほどの大国の王。年の差が大きいのは仕方がありませんが、噂に聞く巨漢で背が低く、頭は薄くて脂ぎった生理的に受け入れられないお姿ではありませんよ。これほどの大国であれば、国内外から妃を娶って友好の証とするのは当然で、後宮が賑わうのも仕方がないのではありませんか?血を後世に残すのは王侯貴族の務めで、決して『色狂い』などと揶揄されることではないと、今の皇女は」
「口を慎みなさい」
ぴしゃりと皇女がいってやれば、伯爵は大げさに肩を竦めて口を閉じた。
この男はまるで噂ばかりを囀る若い娘のように、いつだって騒がしい。外交を担う外務の人間であるなら、誠実な態度でたまには口を閉じていればいいと皇女は思った。
確かに伯爵がいうように、噂で聞いた大国の王とはまったくの別人だとその姿を見ればわかる。きっと、自分の前で結局は一瞬しか黙れない仮初の夫同様に、口先だけは自在に動く情報とは何かわからない無能共が事実とは全く違うことをおもしろおかしく囀った結果なのだと皇女は考える。
とはいえ…、皇女は、それ以上考えるのを放棄した。藍玉を模した安価なガラス玉のようになった青い瞳に、伯爵はうっすらと気味の悪い顔をして笑う。
「あなたはもう、皇帝に寵愛された皇女ではありませんから、政に関わる必要も心を砕く必要もありませんからね」
『寵愛』。
たった一言で、異母兄から向けられていた感情を表されて皇女は暗い顔で笑う。
そう、彼女は結局はどこかの後宮に捕らわれている妃たちと同じ、権力のある男に囲われて相手の気分によって大切にされたり捨てられたりするだけの軽い存在だったのだ。
愛する人に求められて、ほしかった言葉をもらえたと思い込んでいた皇女は、異母兄の助けになっていると勘違いして結局は空回りしていたのだとやっと思い知ったである。
投げ捨てられるようにして伯爵家に嫁がされてもまだ相手の心変わりに気付けず、異母兄に冷徹な態度で接しられてやっと気付けたのは我ながら愚鈍だと皇女はひっそりと自分自身を嘲笑った。
「私はずっと、あなたに心穏やかに過ごして頂きたかった。だから、何事にも煩わされず穏やかに私の隣にいて下さいね」
密偵だと思い込み伯爵家を内情を探っていた皇女はさぞや滑稽だっただろうに、仮初の夫となった男は鈍いのかそれともお飾りの妻など興味がないのか、いつだって『穏やかに過ごせ』とそればかり要求する。
仮初の夫が隠している別邸に気付いていながら放置しているから、都合が良いとでも思っているのかもしれないが。
まぁ、皇女にとってはどうでもいいことだ。愛する男性に捨てられて、好きでもない男に嫁がされて、皇女の身分すら失ってしまった哀れな娘は、そう思いながらガラス玉のように何の感情も浮かばない瞳でこの国の王が選んだ王太子が訪れるのを待つのであった。