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宝石のような皇女様は転がり落ちる

「お兄様!!」


姫の髪は銀細工に使われるような美しい長髪。瞳は大粒の藍玉アクアマリンのように輝いていた。そう、輝いていた(・・・・・)

そう、それほど昔ではないが、過去の話しである。


パサつく銀の髪は既婚者がよくする髪型にされていて、身体のラインに沿った姫自身が『下品』だと断じた…実際はシンプルで肌の露出がない———ドレスを身にまとった身体はやせ細り、荒れているせいで病気になっているように見える青白い頬、淀んで暗い青い瞳。

淀んだ瞳は一心に、自身の愛する男性ひとに向けられていた。しかし、以前の可憐な声ではなくしゃがれて掠れた声では聞こえなかったのか、一向に相手が振り返る気配はない。


「お兄様!!」


「うるさい」


金切り声になってしまったのは、いつまで経っても振り返ってくれない愛しい人のせいであり、姫の寂しさが限界に達してしまったからだ。だから、冷ややかな目と声でもって答えられるほどのことではないと、異母兄の視線を正面から浴びせられる姫は震えながらも思った。


しかし、いつでも自分を理解して肯定してくれていた異母兄は、冷ややかな目のまま皇帝として異母妹に言葉を返すだけである。


「お前は皇家の姫としての自覚はないのか?そのような金切り声を上げては、自分の品位を落とすだけではなく、婚家と私の品位まで貶めることだと理解しろ」

「お兄様!やめてください!!」


絶叫としかいいようのない、そんな声であった。

淀んでしまっている姫の瞳に涙の膜が張り、そして大粒の涙として青白い頬を伝って落ちる。以前の輝くばかりの姿から変わってしまったことが、更に哀れさを誘うそんな姿だった。

しかし、異母兄は眉を顰めるだけで哀れさを感じた様子もない。苛立ちも露わにした彼は、多忙なためにいいたいことがあるなら早くしろとばかり異母妹を急かした。


「私は多忙だ、今度から謁見を申し入れろ。…して、何の用だ」


冷ややかな表情には見覚えがある。信頼の置けない配下に向けるものと同じだったと、記憶力が良い姫は思い出していた。

かつて自分には向けられたことがない視線に、姫は悲しく思う。異母兄と自分の関係を思えば、謁見など申し入れなくても時間を空けてくれるはずだと以前までのことを思い出しては歯がゆい思いを抱えた。


「あの、いつまで潜入していれば良いのでしょうか?」

「…は?」


訝し気な表情を作る異母兄に、人気のない通路とはいえ外で話すべきではなかったと、聡明な姫は反省した。しかし、大貴族の妻として表面上は振る舞う自分にも自由になる時間は短い。多忙な異母兄の時間を奪うのも心苦しい。だから、手早く話してしまおうと、声を潜めて続きを話す。


「ですから、いつまで伯爵の家に潜入していればよろしいのでしょうか。ヤツの妻としてなら、内部で調べることが出来ると踏んでいましたがろくに見付かりません。わたくしがお兄様の密偵だと気付かれて、資料が隠されていると思われます。別邸が郊外にあることまでは掴んでいますが、今のままではそこへの調査に向かうだけの余力はありませんので、早くこちらに戻していただきたいのです」


周囲を気にしながらだから、自然と早口になってしまった。それでも異母兄は全て聞いてくれていると信じている姫は、静かに答えを待った。


「お前は、この婚姻を政略ではなく、密偵として送り込むだけに仕組んだ茶番だと思っていたのか?」

「茶番などとは思ってはおりません。これは、お兄様がわたくしに下さった、崇高なお役目だと理解しております」


そうでなければ、手の中の玉である自分をわざわざ使わないと姫はいわれなくても異母兄の意を酌んでいた。最も信頼し、愛する自分を政敵に送るのだから、それは重大な役目だと理解している。

しかし、相手の方が上手うわてなのかまったく尻尾を出さない。仮初かりそめの夫となった男が外出している内に、家人たちの目を盗んで探してみたものの、失脚につながりそうなものはついぞ見付けられなかったのだ。


自分から不正を隠し通した仮初の夫のすました顔を思い出した姫は、イライラしながらすでにボロボロになっている親指の爪を噛んだ。異母兄の目を掻い潜る、狡猾な男をさっさと牢につないでしまいたい気持ちを抑えるのに必死であった。


「必ずや、お兄様の憂いを御取りします。一緒にこの国の膿を出し、共に国を繁栄させるのです!」


気高い皇女としての決意も新たに、姫はそう宣言する。愛する人の政敵てきは、自分の敵。必ずや仕留めてみせると、目に闘志を宿す姫に温度のない声が落とされた。


「何故、お前と共に(・・)に繁栄させなければならない。お前は臣下の妻だろう」


「え………」


何をいわれたか一瞬、姫には理解出来なかった。

ゆっくり瞬きをした姫は、遠くからこちらに歩いて来る足音が聞こえることに気付き、異母兄が他人に聞かれることを恐れて、設定を忠実に守っているのだとやっと理解出来た。


愛する人を一瞬でも疑った姫は、そんな余裕のない自分を心の中で叱責し、背の高い異母兄を見上げてホッとした表情で微笑んで見せた。


「そうですね。わたくしは臣下の妻ですから、お兄様を夫と支えるのは当然ですわ」


「当たり前のことを改めて確認するな。お前は夫に従い、せいぜい私の理になるようにあの男に媚びを売っていればいい」

「……………」


演技にしてはひどく冷たい反応だ。いくらなんでも、これはあまりにもひどい。しかし、足音は近付いて来ていて、抗議することも出来ずに微笑を張り付けたまま異母兄を見上げることしか姫には出来なかった。

そんな異母妹いもうとを温度のない目で見下ろしていた異母兄あには、何を思い出したのか意地の悪い顔をしてにやりと嘲笑う。


「一介の外交官如きが刃向かってきて生意気だと思っていたが、あれも男ということか。御しやすく、結構なことだ。こんな政に首を突っ込んで嘴を挟む、煩わしい娘を渡したらいいように動く」


何をいわれているのか、姫には理解出来ない。しかし何か、とても嫌なことをいわれている気がした。


「ははっ、やっとこの兄の役に立ったのだ。今までのことは水に流し、私に夫共々仕える名誉をやろう」

「ど、…どういう意味で」


「しらばっくれるのか?自分の地位を脅かすからと、女共を追い払っていたのは知っていた。まぁ、あの程度の女たちにくれてやる子種などないから、お前の好きにさせてはいたが。だが、皇妃を名乗り、本来その地位に付くはずだった娘を排除しようとしたことは許せることではない」


『皇妃』という言葉に、姫の脳裏には小国からやって来た王女が思い浮かんだ。がさつで剣の腕前しか持たない、道端に落ちている石ころのように何の魅力もない王女は、病弱な妹姫に己の婚約者を押し付けて嫁いで来た厚かましい女である。異母兄の魅力に気付いたことは褒めてやってもいいが、だからといって自分をさしおいて皇妃になろうなどというのは許せることでない。

ちょうど色狂いだと有名な大国の王が宝石のように輝く美しい皇女を奪おうと魔の手を伸ばして来たから、身代わりの花嫁として送り付けたのだが、いったいどこであの王女のことを見たのだろうか。耳に届く噂はどうしようもなかったが、異母兄には会わせないよう細心の注意を払っていたはずだと姫は思い出そうと頭をすさまじい速さで動かす。

しかし、これだけはいっておきたいと頭を動かしながらも口を開いた。


「ですが、皇妃となるのはわたくしです。皇妃を偽ろうとした者には、それなりの罰が必要でしょう」


そう意見する姫の言葉を肯定はせず、異母兄は気持ち悪いものを見るかのように眉を顰めた。


「お前が皇妃?自分がどれだけ気色の悪いことをいっているか、わかているのか」

「きしょくがわるい…」


自分が愛し、愛を返してくれていたはずの男性ひとからの冷たい言葉。咥内が渇き、思わずたどたどしい口調になってしまった。


「あぁ、お前はあっさり騙されたのか。政に生意気にも口出ししている割には、この程度の嘘もわからぬのか」

「う、うそ?」


妙に納得した顔になった異母兄は、かつて自分で姫にいったことをあっさりと撤回してしてしまった。混乱する姫を置き去りにして、彼女が信じていた『兄妹ではない』という話は呆気なく霧散した。

後に残ったのは、唖然とする姫と以前までの通りに皇帝と半分だけ血のつながっているという事実だけである。


「大方、皇妃という地位に目が眩んで頭が働かなくなったのだな、哀れなことだ。私とお前はどこからどう見ても、兄妹だ。尤も、皇妃だった母とお前の母だった側室とでは立場も血の尊さもまったく別物だがな」


鼻で笑う異母兄には、すでに目の前にいる姫を『愛していた』という事実もなくなってしまったようだ。そうとしか考えられない、冷たく硬質な視線だった。


そんな視線を異母兄に向けられたことがなかった姫は狼狽えて、視線をあちこちに飛ばす。たった一人の肉親を味方だと感じ、依存していたのは異母兄ではなく自分だったのだとはじめて知った姫は心細い気持ちで皇帝の前に棒立ちになった。忙しい皇帝が苛立ちを露わにしているのを気配で察してはいるが、だからといって今まで通りに振る舞えるわけもない姫は、ひたすら立ち竦むことしか出来ない。


「へいかー、どこにいるのー?」

「すぐに行く!」


立ち竦む姫の耳に届いたのは、若い娘の声である。淑女にあるまじきことに、下品なくらいに大きな声だ。同じように大きな声で相手に言葉を返す異母兄を蒼褪めたまま見詰めていた姫は、その声に聞き覚えがあった。


「まったく、目が離せない奴だ」


苦笑を浮かべる異母兄は、仕方なさそうな言葉を吐きながらもその声はひどく甘やかであった。本人に自覚があるのかわからない。


反対に、声のした方角から異母妹に顔を向けたときの冷ややかな表情。そのあまりにも冷たい表情に、姫は周囲の温度がグッと下がったように錯覚した。


「お前が牢につなぎ、排除しようとした正統な皇妃だ。あやつはお前のしたことのせいで怯え切っている。さっさとここから去れ」


異母兄のこの言葉で、彼女が誰だかを思い出した。小国の王女ではない、突然城内に現れた不審な人物として捕らえさせた、怪しい娘である。てっきり異母兄が処分していると思っていただけに、急に登場したことに驚きを隠せない姫は、どうして彼女が自由に城内を歩くことが出来ているのかまったくわからなかった。そして、自分ではなく彼女が皇妃になろうとしている現実も、自分を『愛している』といった異母兄が彼女を望んでいる現実も理解出来ずにいる。


呆然自失となる姫を冷たい声で追い払おうとする異母兄だったが、何かを思い出したらしい。そのとき一瞬だけ姫を見た目は、まるで道端の石ころを見るような無関心さだけがそこにはあった。

そこにはもう、以前にあった愛する女性ひとに向ける熱さも、異母妹いもうとに向ける温かさも何もない。完全な無関心しかそこにはなかった。


「あぁ、食事をしていないとお前の夫から聞いているぞ。それでは子も出来ようもない。伯爵は後ろ盾のないあの娘を皇妃にするために奔走しているのだ。兄のために奔走している夫を癒し、血を後世に残すのはお前の役目だろ。しっかり果たせ」


それだけいい終えた異母兄は、それ以降は振り返ることなく足早にこの場を去る。急いでいたからその背中は、あっという間に見えなくなってしまった。


「あまり出歩くなといっているだろう」

「フフッ、今日は気分が良いから陛下を迎えに来たの」


合流したのだろう、若い娘と話す異母兄の声が聞こえる。怒っているように聞こえるが、心配しているときはどうしてもああいった風にしかいえないのだと、ずっと傍にいた姫は知っていた。…姫しか知らない、彼の姿だった。


「陛下ではなく、名で呼べといっているだろう」

「え~?」


おどけるような態度の娘の声の後に、朗らかな異母兄の笑い声が被さる。

姫はもちろん、異母兄の名を知っている。しかし、彼に呼ぶようにいわれたことは今まで一度もなかった。いつだって姫は、彼のことを『お兄様』としか呼ばせてもらえなかったから。愛を囁き合ったときでさえ、名を呼ぶことはなかった。


遠ざかる男女の楽し気な笑い声を聞きながら、姫は人気ひとけのない通路でずっとずっと唖然と立ち尽くすのだった。


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