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花のような王女様は刈り取られる

「いや、いやよ!!」


甲高い叫び声が辺りに木霊して、周囲の人の目が向けられる。姫は周囲を見渡して、自分を助けてくれる声や手を期待していたが、向けられる視線がどれもこれも冷ややかか、もしくは単純にうるさそうに眉をひそめているかだということに気が付いて更に声を高くする。


「私は病気なのよ!唯一の姫なのよ!何故、みんなそんな目で見るの!助けなさいよ!!」


掴みかかられたのは、いつも姫の傍に侍っていた侍女である。姫自ら声を掛けられる自分が大好きな彼女は優越感たっぷりに周囲を見下していたのに、本日はそんな気分ではないらしい。真っ青な顔で、自身が主と仰いでいる姫の鬼の形相を見詰めていた。


「あなたが私の代わりをすればいいのよ!いつも親切にしてあげていたでしょ!私に仕えることが誉だといっていたでしょう!だったら、私の影として使ってあげるわ!そうだわ、あなたがうっとりと、うらやましそうに見ていたドレスをあげるわ。それを着て、逆賊の元へ行きなさいな」

「そ、そんな姫様!」


振るえ上がる侍女に同情する者はおらず、代わりに王と王妃が我が子の肩を抱いて威圧的に彼女を見下ろした。


「そうよ、姫の身代わりになる名誉を賜りなさい!この子は大切な世継ぎ。お前のように、代わりなどいないのですよ」

「さすが、私達の娘。よくぞ考え付いた。確か、伯爵家の四女だったな。そなたと我が娘では、美しさも清らかさも所作も優しさも、全てにおいて大違いだが、この際仕方がない。名誉なことと思え」


自慢の姫のひらめきに気をよくして満面の笑みを娘に向ける王と王妃だったが、逆に侍女に向ける目は冷ややかであった。ただ、自分たちのもう一人の娘に向けるよりもまだ関心がある視線ではあったが。


「私がいなくなってしまったら、脈々と受け継がれて来た王家の高貴な血は途絶えるのよ!」

「あぁ!さすが、わたくしの娘!もう、王の素質が備わったのね!上に生まれただけの娘とは大違いよ。ああ、本当にあんな子を産んで失敗したわ!」

「お母様!」


ヒシと抱き締め合う淡い色合いの母娘の寄り添う様は、花のように可憐であった。


「落ち込まないで。お母様が悪いのではないのです。お姉様を諫めなければならなかったのは、双子に生まれた私の役目だったのに。ゴホゴホ…。あぁ、病弱な身が恨めしいわ!」

「あぁ、そんなに咳をして!誰か!誰か、この子に薬を!砂糖たっぷりの菓子も準備するのよ!」

「偉いな、あんなに苦い薬を飲むなど。儂でも匂いを嗅ぐだけで身の毛がよだつというのに」

「フフッ、みんなが私のために準備してくれた薬だもの。全然へっちゃらよ!」


愛し気に髪を撫でる国王と、娘を抱きしめて微笑む王妃は両親の顔をして姫を見下ろす。その優しい色合いの瞳に、娘である姫は全幅の信頼を寄せて微笑み返す。少し茶目っ気のある言葉を返し、少し沈んだ雰囲気の両親を笑顔にさせようとする姿はとても健気であった。


……このような、籠城している場でなければ。


美しい家族愛を周囲に見せ付ける王家一家の側、少し視線を外しただけの所に呆然と立つ若い娘。姫の側付きの侍女であった彼女は、あっさりと姫の身代わりという名誉ある役目を国王自らにいい渡されて放心していた。『誉』どころか、ただのイケニエでしかない役目に呆然としていたのだ。


そして、王家一家の寸劇が佳境になった頃、やっと正気に戻った彼女は理解した自分の名誉ある役目に絶望し、思わず投げやりになってしまったらしい。哀れな侍女は、真っ赤な顔で不遜にも国王を含む王家の方々を睨み付け、震えながら口を大きく開いた。


「バカバカしい!そんなあからさまな嘘に踊らされて、よくも国王陛下などと名乗れるものだわ!」


貴族の子女にあるまじき暴言を、最も高貴にして全国民が崇拝する国王陛下に叩き付ける。一言いい切り、やけになってしまったのか、それとも唯々諾々と従っていても結局は最悪な末路を迎えるであろうことを察しているのか、侍女は蔑んだ眼差しを王族に向けたまま更に言葉を重ねた。


「どこが病弱なのよ、どこが清らかで優しいのよ!その美しいだけの顔で、どれほど周囲を蹴落として来たか、気付きもしないの!?」


姫の最も近くに侍っていた、一番の臣であった侍女はよく知っていた。そして、そのことが周囲に漏れなかったことを考えれば、側付きの自分も主を諌めるどころか横で蹴落とされる者を見ていたことも一緒に暴露していることに気付かずに更に嘲りに満ちた顔で続ける。


「だいたい、病弱で清らかな姫君が姉上の婚約者を寝取るものですの?どこで覚えたのか知りませんが、元気に姉の婚約者の上で跳ね上がって嬌声を上げていた方が病弱ですって?わざわざ姉上の部屋で、裸で抱き合ってそれを見せ付ける女が清らかですって?自分を味方するとわかっている両親に泣き付いて、姉の婚約者を奪う女が優しいですって?」

「汚らわしい言葉ばかり話す口を閉じよ!!」


激昂する国王は怒りのあまり赤を通り越してどす黒くなった顔で、唾を吐きながら怒鳴るが侍女はバカにした表情のまま続ける。ちょうどその顔は、主である姫の姉を見下すときに向けていた表情と全く同じだった。


「薬が苦くてもへっちゃら?そりゃそうよね。こっそり捨てて、口直しのお菓子ばかり食べているのだから」

「だ、黙りなさい!!」


その薬を秘密裏に捨てさせられていた侍女の言葉に顔色を悪くした姫。自身の忠臣だと思っていた者の裏切りに、顔面蒼白の姫は今にも倒れてしまいそうであった。

普段であれば、そんな状態の姫に人が群がって介抱するのであるが、今は両親だけが彼女の背を必死に撫でている。


「替えが効くのはあんたの方でしょ!呑気にも、婚約者を寝取られて部屋に閉じこもっていると勘違いしていたようでしょうけど、あんたの姉はとっくに両親に捨てられて身代わりに嫁がされているわよ!王妃様は良かったですわね!失敗した子どもが役に立ったのですから!!」

「そ、そんな。お姉様が!?」


姫が浮かべる驚愕の表情に、偽りはなかった。しかし、だからといってたった一人の姉が自分の身代わりに嫁がされていたことに対する申し訳なさは微塵も感じられない。それどころか、次に浮かんだのは自分より先にウェディングドレスを着たということに対する『嫉妬』だけであった。


「お姉様が、私より先に結婚していたなんて…。何で、誰も教えてくれなかったの」

「そうだ!わざわざ王位継承者として教育していた娘ををくれてやったんだ。帝国に手を借りることが出来」


「出来るわけがないでしょう」


品位に欠ける騒がしさで話す王家の父娘の言葉を遮るのは、落ち着いた静かな声だった。姫には聞き覚えがある…むしろ、ここに籠城している者全て、国民全てが知っている声だ。


「「宰相!!」」

「わざわざ大きな声で呼んで頂き、ありがとうございます」


姫にとっては婚約者の父に当たるその人だが、冷ややかな目が苦手だった。感情の起伏の感じられないその瞳は、愛情のこもった目しか向けられたことのない姫にとってひどく恐ろしいものである。

慇懃な態度の宰相は、何やら後ろ手に引き摺った状態のまま王家一家の前に立って優雅な仕草で一礼し、先程の続きを口にした。


「謝罪もなしに、契約を破棄。書状は上の姫様に持たせたものだけで、先触れを出すでもなしに勝手に送る時期すら変える。更に帝国に向かう花嫁行列も最小限で、花嫁を置いたら護衛も侍女も残らず帰国させて上の姫様たった一人を異国へ残してゆく始末。『くれてやった』などとは烏滸がましい。上姫様に死ねといっているようなものですね。…いえ、上姫様はわかっておられた。自分を殺して溜飲を下げてくれれ良いが、バカにされたといきり立った帝国が母国を滅ぼしかねないことを気に病んでおられた。さすがは王位継承者として、私の手の者が育てただけある。そして、素質も申し分がなかった。…このような、女の色に惑わされる俗物とは別でな」

「あなた!!」


宰相が投げ捨てた者に気付いた姫は、悲鳴を上げる。服装はいつもの洒落た流行に沿ったものではなく、くたびれて薄汚れた労働階級が着るようなみずぼらしいものであったが、愛する人の姿を見間違えることはない。宰相が後ろ手に引き摺って来たのは、自身の息子だったのだ。


「宰相!自分の子どもに何をするの!それにこの方は、私の伴侶。いわば、王族で王配よ!立場を弁えなさい!!」


毅然とした態度で婚約者の前に立ち、楯になる姫の雄姿に両親は病弱な自慢の娘の成長に涙し…それ以外の人々の視線に気付きもしなかった。例えば、背に隠して庇ったはずの愛する婚約者が自分から目を逸らしていることだとか。


「ほほぅ、私の息子はいつの間に王族になったのやら。それにしては、反乱軍に加わる人衆の波に逆らって逃げていたように見えたが…どういうことだか、聡明な姫様はおわかりでしょうな?」


「逃げ…!?」


含んだいい方をする宰相の言葉に目くじらを立てるより先に、婚約者が逃げ出したという言葉に反応する姫。

国王である父やその妃である母、そして唯一の王位継承者である自分がこうして少ない味方と共に城で籠城している最中、次期女王の伴侶である頼もしくも愛しい人が逃げ出したということを受け入れらずにいる。それでも、義理の娘になる高貴な存在に対しても冷たく硬質な視線を向けて来るの宰相の前にしっかり立ち、自分たち恋人の間を引き裂こうと妙なことをいい出した男にきっちりといい返す。


「い、いいえ!この方は私を愛しています!ですから、王配として反乱軍の大将と交渉しに行ったのです!!そうに決まっています!!」


病弱な自分の姿を憂い、いつだって気遣いを忘れない優しい婚約者。どんなに忙しいときも、自分を優先し、どんな危険に陥っても助けてくれると請け負ってくれた愛しい男性ひと。その人に腕に抱き締められ、無防備な姿でも安心して身を委ねていた姫は、そう信じていた。自分を助けるために交渉をして、もしくは敵将を打ち取るために一般人のフリをして単身、敵地に臨んだとまるで英雄譚に出て来る勇者のように婚約者を美化した姫はそんな空想をあっけなく踏み砕かれる。


「…だ、そうだが。覚えがあるか?」


宰相が話し掛けたのは、姫の後ろに隠れている息子ではもちろんない。自分が入って来た扉から堂々と入室して来た、剣を手に持ち鎧を身に着けた砂埃に汚れた姿の男に対して問い掛けたようだ。問い掛けられた方は、突然投げかけられた言葉に驚くことなく当たり前のように宰相の横に並んで顎の無精ヒゲをぞりぞりと撫でながら首を傾げる。


「いんや?部下からは、王城からは真逆、本拠地からもずいぶんと離れたところで捕らえたって報告を受けましたよ。閣下こそ、御子息でしょう。会いに来たってことじゃないんですか?」

「バカをいえ。バカが、バカな婚約破棄をした瞬間から、絶縁状を叩き付けて顔を合わせていない。絶縁自体は、そこのボンクラが『公爵家』と『宰相』の後ろ盾欲しさに握りつぶしていたようだがな」


ずいぶんと気心の知れた相手なのか、宰相はかなり砕けた口調で話している。『バカバカ』と連発しているのは息子のことらしく最早名を呼ぶ価値すらないようであり、『ボンクラ』といって顎で指したのは赤黒い顔で睨み付ける王のことのようだ。


飾りの少ないシンプルで、流行を追わない作りなものの上質な身なりの宰相と、薄汚れた鎧に無精ヒゲ、乱暴で品位などまったくない粗野な口調といいどう見ても平民でしかない男。接点のなさそうな二人の男は軽い調子で言葉を重ねる。

その重ねられる言葉に蒼褪めるのは宰相の息子だけではなく、二人の後ろで煌びやかな意匠の鎧を着こんだ近衛騎士たちに武器を向けて牽制する武装した反乱軍を見て、うすうす彼ら二人がどういう関係か気付いた人々もまた、中にはいた。そして、こうして籠城するきっかけとなった反乱軍が攻め入る理由が無理矢理、妹姫の代わりに嫁がされた上の姫と面識があるということも。

しかし、その『人々』の中に入れなかった姫は、目の前で交わされる会話の速さについていくことすら出来ずに、唖然としたまま突っ立っていた。


「いやいや~。命あっての物種ってことで、父上に泣き付くつもりだったんじゃないっスか?うちの副長が公務やら勉強やらで忙しくって構ってくれなかったからって、フラフラして王家に入る心得を学ぶ時間をサボってたんですよ。だからこそ、我先に逃げ出すなんて恥知らずな真似が出来たと思いますー」

「あぁ、そうだったな。納得した。しかし、私が有事に際に郊外に出るはずのないことくらい、覚えているとは思っていたがな…。もう少し、厳しく育てるべきだったな。私も結局はバカ親の一人で、上姫様に丸投げしようとしていただけかもしれん」

「んー?別に副長はそれに関しては気にしてないと思いますよ。むしろ、自分が部下たちを締め上げたときみたいにちょうきょゲフンゲフン、教育するつもりだったみたいですし。閣下には、国と民のことを頼んで行ったんですから、いいんじゃないっスか?だいたい、オレらだけじゃ、さすがにここまでスムーズに事を運べなかったんで、万事大丈夫ですって!」


「ちょ、ちょっと待って!!」


「はぁ?」


たくましい上背のある男に剣呑な声を出され、姫は震え上がった。宰相に対峙したときに足を踏ん張っていたはずなのに、身体がガクガクと震えて止まらない。

その弱々しく、誰かが守ってやらなければならないような儚げな王家の花を見て、自分の良く知る気の強い部下を思い出した男は彼女の妹とは思えない甘ったれた『お姫様』の姿に冷笑を向けた。


「こんな場面で『待ってくれ』だなんて、聞いてくれるとでも思ってんの?オレたちは見ての通り反乱軍の長をやってる。んで、お姫様はオレたちが狙う獲物の一人。ここまでいえば、わかるよな?」

「わ、わかるわけ、ないわ。もう少し、優しく教えてくれたって、いいでしょう。そもそも、いきなり、お父様の許しもなく、平民が入って来るなんておかしいわ」


「はぁー」

「!?」


粗末な武装から男の身分をいい当てた聡明な姫への返事に、男は大きな溜息を吐くというひどい態度をとる。不敬罪でムチ打ちにされてもおかしくない態度をとる男は、完全に失望した目で仰ぐべき王家の姫君を見下ろした。


「オレたちの会話を聞いていれば、ぼんやりとでもわかりそうなものなのにな。なんで、双子だっていうのに、こんなに違うのかねぇ。ぬくぬくと王室の中で育てられた花がすばらしいとは、これを見てオレは思えないけどな」


『王家の花』と呼ばれる姫のことを指しているのはわかった。しかし、それが彼女の存在を否定するために使われていることに目が眩む。その呼称はいつも、讃美と共にあったのだ。


「手間ばっかりかかって、見えもしない。自分たちが汗水たらして稼いだ金を吸い上げるだけ吸い上げて、ただキレイに咲いてるだけの花がすばらしいものか?オレは雨風が吹き荒れようが踏まれようが、そんな中でもしぶとく生きて自分の手で未来を切り開こうと必死に咲いている道端のちっこい花の方が好きだけどな。雑草だから、本当に可愛げのないくらいにしぶとくて生き汚いが」


褒めているのか貶しているのかわからない男の言葉に、宰相はふっと口元を緩ませる。姫も宰相の息子である姫の婚約者も、見たことのない宰相の笑みに驚いて固まってしまった。穏やかに笑う姿は、普段の厳めしい顔付きからは想像出来ないほど優しいもので、確かに婚約者がこの男の子どもなのだとわかる顔の作りをしていることに今更ながら気が付いた。


「病弱で金ばかりかかる、公務にも参加せずに国民に顔も見せない姫様。貴女様を健康にし、そして愛らしく見せるためだけに、どれほどの税が湯水のように使われていたかご存知ですか?」

「そんな、私は元々愛らしい…」

「ブッ……!」


人が話している最中に吹き出す作法のなっていない男を無視して、宰相は再び冷ややかな目に戻って着目点が間違っている姫に問い掛ける。


「さて、貴女様が贅沢に王城の部屋でぬくぬくしている間、上姫様が王女として国民の怒りを受け止めていたのは御存知でしょうか。貴女様のおかげで上がる税に困窮している民の声が、上姫様に嵐のように叩き付けられていたということは?それでも前を向き、堂々としているお姿をご覧になったことは?」

「そんな、そんなの」


知るわけがない。自分が苦しい病に臥せっている間、健康な姉がどこを飛んで廻っているかなどと聞いたことがない。母が溜息を吐いて、剣を振り回す出来損ないの姉を憂いていることが可哀想で、自分のように淑女として恥ずかしくない態度を取ってほしいと常々思っていただけだ。


母が正しいに決まっている。宰相の言葉を信じてしまえば、自分が悪者だと宣言しているのと同様で、しかも出来損ないの姉がまるで物語に出て来る王女のようではないか!


「あの方とて、貴女様と同じ年頃のか弱い娘だということはわかっておられますか?」

「うるさいうるさいうるさい!!黙って聞いておれば!!」


「きゃぁっ!」


突然がなり立て、立ち上がった父に恐れ慄く姫は小さく悲鳴を上げて尻餅をつく。強かに打ち付けた臀部がひどく痛むが、いつも優しい父はギラギラした目を宰相に向けていて、涙目になっている姫には気付かなかった。


「ええい!聞いておれば好き勝手いいおって!お前がそこの逆賊たちと組んで、この国を奪取しようとしているのだな!身体の丈夫なだけのあれ(・・)を次期女王に押し、自分の息子を婚約者に仕立て上げ、教育係も自身の手の者で揃えて洗脳し、政を自分の好きに動かそうとしていることは明白だ!この強欲な盗人め!玉座は渡さんぞ!!」

「いりませんよ、そんなもの」

「なにっ!?」


唾を飛ばしながらがなり立てる王の言葉に、宰相は間髪入れずにそう答えた。それに、王と蹲って聞いていた姫は唖然と口を開いたまま硬直する。


『国王』というのは平民の上、貴族の上に君臨する統率者であり、国民全てから尊敬される最も高い地位のことだ。それを烏滸がましいことだが、現国王から奪おうと狙うことがあっても、『いらない』と即答出来る意味がわからない。姫は宰相の意図がわからず困惑をしているが、それは父も同じだったらしい。唖然としたのもつかの間、王は逆賊の長である宰相の言葉など信じずに糾弾を続ける。


「嘘を申せ!儂らを探していたのは、『王家の花』たる姫を奪って自分が玉座に着いた暁に正妃にしようと画策していたのだろう!お前は昔から儂を憎んでいた!!玉座も忠臣たちも美しい妃も、花のように美しい娘をも持つ儂を妬んでいたのだろう!儂を卑しい目で見ていたことには気付いていたが、恩情を掛けてやったにも関わらずよもやこのようなことをするとは…っ!若く美しい最愛の娘を、儂らの目の前で奪って溜飲を下げようなどとおぞましいことを実行するとは思わなかった!国家転覆を狙う逆賊を捕らえよ!!」

「あなた…っ」

「お父様ぁ」


雄々しい王の姿に、護られている王妃と姫は感極まった声を上げる。優しい夫、または父しか知らなかった二人は頼もしい姿に見入った。そして逆賊である宰相の企みを暴いた王は胸を逸らし、堂々とした表情で近衛騎士たちに不届き者たちの束縛を命じる。

しかし、近衛騎士たちは震えるばかりで王が命じる崇高な任務を実行に移すものはいなかった。


「何をしておる!…えぇい、近衛騎士団長!そなたは団長であろう!騎士団最強だと豪語する腕前を儂に見せるがいい!!」

「あ…あ、………いやだ!殺さないでくれぇっ!!」


「な…」


王や王妃の後方、普段の護衛同様に後ろに控えていた近衛騎士団長は悲鳴を上げて逃げ出そうとし、反乱軍たちに捕らわれる。縄を打たれて引き摺られていく途中、反乱軍の長を名乗る男に芋虫のように這いずって命乞いをする姿はいつも堂々とした姿しか知らない姫の目には悪夢のように映っていた。

姫は近衛騎士団長の交友関係は知らないが、王の覚えめでたい彼がどう見ても薄汚い平民と知り合う機会があるようには思えない。しかし、貴族が声を掛けているのに無反応な男に痺れを切らし、何度も名前らしきものを呼んでいるところから、顔見知りだということがわかった。


「うーん、オレは近衛騎士団長様がおっしゃる通り、どこの馬の骨かわからない平民出身の低能騎士なもんで決定権はないんですよー。あぁ、オレの部下もみんな平民なんで、高貴な方の扱いは慣れてないんです。うっかり何事か、やらしてしまうかもしれませんが、どうかいつも(・・・)のようにお貴族様の寛容な心で許して下さいねー?」


そして、必死な懇願を無視していた男も顔見知りだということを認める言葉を返す。その言葉は今までの慇懃無礼な態度とは真逆な謙虚な態度に姫の目には映っていたが、男の背後で反乱軍がドッと下品な笑い声を上げている。どういう意味かわからないまま、頼みの近衛騎士団長が引き摺られて行くのを見ているだけしか出来なかった。


王国最強の騎士である近衛騎士団長が、どんな卑劣な罠に嵌ったのだかあっさりと捕まってしまったのだ。雄々しく王家を守護する近衛騎士たちの士気が下がるのも無理はないとは、優しい姫はそう思うもののこれから先に待ち受けている自分のおぞましい運命に顔を蒼褪めさせて震える。尻餅をついたまま、潤んだ目で宰相…自分の息子の婚約者の身柄とその父の玉座を狙う逆賊――をただ見詰めた。

雨に濡れ、項垂れて今にも折れてしまいそうな小さな花のような姫の潤んだ目を温度のない目で見返した宰相は、重い溜息と共にこちらも冷ややかな声を出す。


「いろいろといいたいことはありますが、取り敢えず私は亡き妻に操を立てているので、手間だけは異常にかかる役にも立たないそんな小娘は不要です」

「まず、訂正するのはそこかぁ?」


にやつく男の突っ込みなど気にせず、宰相は続ける。


「あなた方を探していたのは、単純に幽閉するためですよ。万が一、逃げ切られたらどこかの国に拘束され、この国を奪うための旗印にされても困りますからね。それにこう派手にしないと、今まで搾取され続けてきた国民が、愚王とその一家がいなくなったと安心出来ないからです」

「ぐ、おう」


姫は宰相の言葉を繰り返す。そして、尊敬する父をのろのろと見上げた。父は自分が信頼する近衛騎士団長が引き摺られて行く姿を見送ったまま、そこに棒立ちになっている。


優しい目と声で自分を慈しみ、大きな背で国を背負って立っていた父。それなのに、宰相は自分を正当化するために父を悪者に仕立て上げようとしていた。草民は王侯貴族のように学習する時間もない哀れな生きものだから、きっと簡単に宰相の口車に乗ってこんな大罪の片棒を担がされたのだ。

民を思う心優しい姫はそう思い、糾弾しようと口を開こうとするが男がそこに割り込んで来た。


「なぁ、お姫様。あんたは自分の父親が国王として政をしている姿を見たことはあるのかい?」


「あ、あるにきま」


ない。

どんなに思い出そうとしても、自室を訪れてくれる姿や食事を一緒に摂る姿、散歩に付き合ってくれる姿しか知らなかった。病弱な姫の一日の大半の記憶に含まれる父の姿だから、それは仕方がないことだ。


「私は執務室には入ってはいけないのです!それに病気でふせって」

「それで、女王になろうっていうのか?どうやって?どんな国にしようっていうんだ?」


「それは…夫が考えてくれるわ」


頼りになる婚約者だ。宰相の息子であるのだから、国の舵取りはお手の物だろう。それに、姉の婚約者だった時分から政の勉強を続けている勉強家の彼のこと、きっと国民が優しい気持ちで穏やかに暮らせる国を一緒に作ってくれると姫は信じていた。


婚約者であり、自分の夫になる男性を信頼し切っている姫は愛らしい。しかし、男の望んだ答えではなかった。男は首を振って、可哀想な者を見る目を姫に向ける。


「その婚約者が、いつ、どの時間に政の勉強に励んでたんだ?」


昼間は姫が呼べばいつでも来てくれる。夜はずっと傍に付いていてくれていた。

姫との婚姻はまだ先だ。しかし、もう彼とは夫婦のように過ごしている。寂しがり屋な姫が両親に強請った通り、同じ王族の生活空間…王太子とその伴侶が暮らす部屋に移ってで生活しているのだ。だから、夜の内は勉強に費やす時間はない。姫と過ごす時間の方がもっともっと、大切だからだ。


「昼間よ!当たり前じゃない。きちんと政の」

「あんまり熱心な生徒じゃなかったみたいだがな。ちょいちょい抜け出して、只でさえ足りていない王配としての知識を増やす機会をつぶしているみたいだったぞ。あんなに抜け出して、覚えられるわけないと思うけど、どうなんだ?」


「お姉様の婚約者だったときから学んでいるのです!今、ちょっと休憩したくらいで目くじら立てる」

「お姫様の姉君のときとは、状況が違う」


自分を優先してくれる、心優しい婚約者のことなど何も知らない男に憤慨する姫の言葉を遮り、どう違うのかを事細かく教えてくれた。


「姉君のときのそいつの役目は、他国との外交が絡んだときに一緒に顔を出すだけ簡単なお仕事だった。未婚だと見合いや何やと煩わしいからな。…で、後は世継ぎだな。高貴な血を続けるために必要な要は種馬的なものだ。せいぜい、社交界のマナーとダンス、話術とついでに乗馬のたしなみくらいか、必要なのは。閨房学についてはもう、満点だろうからな」


意味ありげな男の視線が気持ち悪く、姫は自分の身体を抱き締める。男はといえば、姫のそんな行動に嫌そうな溜息を吐いていた。


「それが、まったく政どころか勉強もしてこなかったお姫様に王位継承権が渡っちまった。空気も読まず毎日のほほんと生きてきたお姫様に政なんて任せたら、国はあっという間に終わる。本当の忠臣は国王陛下に進言して、姉君を帝国に送るのを阻止しようとしたり、またはお姫様に帝王学を教えるようにいったらしいけどな。…全部、『具合が悪い』といって断られ、国王陛下は可愛い娘を思って煩わしい勉強を免除したらしいな」

「だって、本当に具合が悪くなるのだもの」


宰相付きの厳しい顔付きの文官と一緒にいるだけで胸が詰まってしまうか弱い姫は、唇を尖らせた。姫のいい分とその幼い可愛らしい表情に頬を緩ませて豪快に笑う男は、まったく笑っていない冷たい目で姫を見下ろす。


「ははは、そうか!具合が悪くて寝込んでいる内に、王配がしっかり国を取りまとめてくれたらよかったんだがな、そんな器量はあんたの婚約者にはなかったってわけさ」


何故、無礼で汚らしい無礼な男に婚約者の評価を決め付けられなければいけない。

憤慨しても愛らしいままの姫は、宰相を見て、それから後ろにいる婚約者を見る。彼は優秀だ。謙虚な彼はちょっとしか自慢しないが、その日教わったことは姫に教えてくれていた。姫はまったくわからない政の世界にすぐに飽きてしまい、すぐに別の話題に変えてしまっていたが、彼の優秀さは変わらないはずだ。


後ろを振り返り、いつものように笑いかけて自分を元気にしてくれる優しい婚約者と一緒に無礼な男を言葉で叩き伏せようと思っていた姫は、目を逸らす彼の姿に首を傾げる。気付いていないのだと思い、小さな声で声を掛けるが、彼は一向に姫の方を向いてはくれなかった。


「あなた?」


それどころか、脂汗をかいて徐々に姫から離れようとしている彼は尻から後退っている。ずりずりと床を摺る音が聞こえるほど静かな室内で、姫の声が聞こえないはずはない。


彼は聞こえていて、あえて姫を無視しているのだ。


「おいおい、婚約者さんよ。あんたが前の婚約者よりも大切にしていたお姫様が呼んでんぜ?」


嘲笑うような男の声と、棒立ちの王以外の人々の視線が婚約者に集まる。離れる距離に怖くなった姫が婚約者に手を伸ばすのとほぼ同時、針のように己を指す視線に耐え切れなくなった青年は、ついに閉ざしたままだった口を開いた。


「大切?こんな自分自身しか愛していないような女、大切になんて思っていない!!」


それはいつもの落ち着いた低い声ではなく、甲高くて耳障りの悪い声だった。


「あいつよりも口うるさくなくて、甘えてくる姿は最初は可愛かったよ!連れて歩けば、周りの男共の羨望の視線は楽しかった!ははっ、あいつらのものほしそうな目は見ものだったな!」

「あ、あなた…?」


優しい婚約者の変わりように、姫は怯えたように震える。伸ばしていた手は、とっくに自分の胸に置かれている。あまりの恐ろしさに一人でいられず、一番近くの宰相の後ろに隠れようとするが、彼の鋭い視線に気圧されて一歩も動けなくなった。

それを目ざとく見付けた婚約者の青年は、意地の悪い顔で笑って姫をこき下ろす。


「ほら。そうやって、自分に都合がいいように他人に寄生して。自分は好き勝手して、ちょっとの優越感しかくれないくせにオレの時間ばかり束縛して。そういう意味であれば、あいつの婚約者だったときの方が、まだマシだったな。簡単なマナーと情勢の話だけで勉強らしい勉強はなかったし、あいつと過ごす時間もわざわざ作らなくてもよかったから楽だったのに。王様になって国を動かすっていうのも魅力だったけど、こんな風になるんだったら、あいつの婚約者のまま優雅に過ごした方がマシだったな。婚約者がいながら、他の男に媚を売るような女より、オレしかいないあいつの方が数倍よかったよ」

「えっ?えっ?」


婚約者が何をいっているのか、姫にはわからなかった。だが、彼の目は姫を見下していて嫌悪すら浮かんでいた。


「何、オレが気付かないと思ってたの?ハッ!姉妹そろって、どれだけバカにするんだか!確かにオレはちょっと物覚えは悪い!でも、父上と比べられても同一人物じゃないんだから仕方ないだろっ!!」

「わたし、わたし、媚なんて」


幼い口調になって、涙目の姫は上目遣いで婚約者を見る。こうすれば、いつもや優しい婚約者がもっともっと優しくなるとわかっていたからだ。しかし。


「その仕草のどこが媚びてないんだよ。それをやれば、みんな自分のいうことを聞いてくれるってわかっててやっているだろ?」

「そんなことない」

「嘘を吐け!!」


「きゃあぁっ!!」


婚約者は姫の言葉など聞いてはくれない。涙を流しそうなほど、怯えて縮こまる姫をおそろしい形相で睨み付け、腕を振り上げる。生まれてはじめて間近に感じる暴力の気配に悲鳴を上げて頭を腕で覆う姫に婚約者の拳が振り下ろされる。


「ぐあぁぁっ!!」


…ことはなかった。代わりに、打撃音と獣じみた悲鳴が上がる。

恐る恐る顔を上げた姫の目の前には、倒れ伏す婚約者と彼を殴ったのか腕を伸ばした状態でいる男がいつの間にやら姫の前に立っていた。


「あ、あなたが私を護って…?」

「あー…まぁな。無視してお姫様が殴られたら姉君に怒られ」

「お姉様のことはいわないで。あなたの口から、お姉様のことは聞きたくないの」


よく見れば、鍛えているのだろう。細い身体付きの婚約者とは違う鍛えられて逞しい足に縋り付いた姫は悲しげに男を見上げた。彼の口から姉のことが出るたびに、姫の小さな胸は張り裂けそうになってしまうのだ。


縋り付くだけでは飽き足らず、全身で彼の逞しさを感じたくなった姫はしっかりと男の足に両手を絡ませて抱き締める。太い足だから、片足だけでも病弱な姫の細い腕で囲い込めるのが精一杯だ。


「……………」


そして、男はといえば。唖然としたまま指を潤んだ目で自分を見上げる姫に向け、そして殴られた頬を押さえて蹲って姫を震えながら見詰めている宰相の息子を指し、最後にそれを宰相に向ける。


「……夢見がちなのです」

「…………惚れっぽいにもほどがあるだろ」


呆れ果てた二人の男は、うっとりと見上げてくる姫を苦い顔をして見下ろすだけに留めた。そうでもしないと、不憫だった上姫のことを思い出して罵詈雑言をぶちまけてしまうから。そして、ぶちまけたところでこの脳内お花畑な『王家の花』に理解してもらえないことは、もう十分すぎるほどわかってしまっていたのだ。


疲れ切った顔の男が駄々をこねる姫を反乱軍に属する女騎士に預ける横で、棒立ちになったままの王と対峙する宰相。宰相が自分に反旗を翻したこと、民が反乱軍などという逆賊に加わったこと、信頼していた近衛騎士団長の敗北、愛娘の婚約者の本音、愛する娘があんなに懇願していた婚約者をあっさりと捨てて反乱軍の長である男に縋り付く様を見せられて、王はただ放心していた。

何が間違っていたのかまったくわからない王は、いつもと変わりない厳しい表情を向ける宰相の言葉に自分が玉座から退けられることを察してやって正気に戻るが、もう遅かった。


反乱軍の男たちが数人…よく見れば、平民出身の騎士隊にいた者たちだった――が王の両腕を掴んで引き摺って行くのに逆らおうにもどうしようも出来ない。ただただ、思いつく限りの言葉でもって憎悪を向けることしか王には最早、出来ようがないのだ。


「計画よりも早くなってしまい残念ですが、ごゆるりとご家族と隠居生活をお楽しみ下さい。異母弟おとうとよ」


同じ日に、少し遅く生まれた前王妃の息子である異母弟に、側妃の息子であり異母兄であった男は最後の言葉をかける。背中に叩き付けられる憎悪の籠った言葉に振り向くこともなく、宰相は最後の王にして王であることより父親であることを優先した男を見限ったのだった。


「……さて、異邦の娘に借りを作ってしまったのは痛いが、これでこの国は片が付いたな」

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