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足掻くの?献上姫様

「今日も気分は最悪よ!」


少女は叫んだ。

花であるなら雑草か、宝石であるなら石ころか。そんな“花”に例えるにも“宝石”に例えるにも難しい少女だった。


彼女が小国の王家の生まれで、帝国に輿入れした妃だったとは到底思えない姿だから仕方がないだろう。


「『純白は妹姫のもの』だって、花嫁なのに純白のウェディングドレスは着せてもらえなかった!」


地味なベージュの生地は上等なものとはいえ、一生に一度のハレの日を祝うには役不足である。しかも、アクセサリー類は一切なく、顔を覆うベールすらない。元々なかったのか、はたまた帝国側が渡し忘れたのかはわからないが、彼女の憤り方を見れば、準備されなかったと思うべきだろう。


「何が政略結婚よ!花婿は来ないし、式自体もない!来たのは大臣たちと皇女!しかもさっさとその皇女はあたしを部屋に押し込んでそれっきり!あたしは何のために、誰と何をしに来たのよ!!」


花嫁を護送…護衛というより逃亡防止のために付けられた――は、帝国に着いた途端に踵を返し、たった一人で臨んだ初顔合わせは不発に終わった。

まず、夫になるはずの皇帝が来ない。やって来たのは皇帝の異母妹である皇女と大臣一人、護衛が複数…こちらは、皇女用――。

姫を上から下まで眺めた後、鼻で笑って婚姻届に署名させた皇女は、さっさと城の一室に異母兄の妻を閉じ込めると高笑いしながら姿を消す。

そしてやはり、待てど暮らせど皇帝は姿を現さなかった。


「挙げ句、また同じウェディングドレスに包み直されてぽいっ!」


こうして、雑に包装し直されて『ぽいっ』された先が、この大国のろうそくの灯りがうっすらと室内を照らすだけの不気味な謁見の間である。

緊張と恐怖で震えていた姫だったが、走馬燈のように今までの理不尽な扱いを思い出して精神の限界を突破した。もう本当に見事なぐらい、ブチッとキレる。


「なんなのよ!いったい、あたしが何をしたっていうのよおぉぉぉっ!!」


怪物だってあげないであろう、甲高い怒りの叫びが姫の大きく開けた口から迸る。今までの理不尽な出来事が脳裏を駆け巡り、大国の王とその寵妃が高い位置にある玉座に腰を下ろして自分を見下ろしているのを一時忘れて叫び続ける。

献上姫の分際で、こんな行動に出てただですむとは思えないが、とにかく心配を横に置いてでも今はひたすら叫びたかったのだ。人はそれを『自棄になった』という。


「いつだっていつだっていつだって、いつだってこうなのよ!双子に生まれて、健康に生まれたことが悪いの!?少し前に生まれただけで、あたしが悪なの!?両親に捨てられるほど、悪いことだったの!?」


それは、魂の叫びだった。

ずっと、両親の愛情を欲し、自分で出来る限り王女として、次期国王として努力をして来た姫の血を吐くような叫びであり、…そして暴露が後に続く。


「だいたい、あの子の病気なんて埃のせいでしょ!昔はともかく、咳は部屋にいるときだけで食事中は出ないんだから!」


幼い頃は本当に病気がちだった妹を思い出し、そして最後に見た血色の良い丸みを帯びた薔薇色の頬を思い出してギリギリと歯軋りする。

食事の席は家族団らんで取る決まりで、病弱な妹も三食必ず食事する間に姿を見せる。姫にとっては、そのときは歩いて食事の間に現れた病弱な娘を褒め称え、スプーンでスープを掬う姿にお祭り騒ぎになる両親を観賞する時間と化しているが、そのときの❝家族団らん❞のときに咳をしている姿は見たことがない。


「侍女とメイドに仕事もさせず、埃っぽい部屋にずっといればそりゃあ、咳も出るでしょ!なのに、『お優しい姫様』?仕事もせずにお茶させてくれる姫なら確かにお優しいわね!」


王城でありながら、埃っぽいという謎の空間になった理由は簡単だ。『お優しい姫様』が、侍女やその下に着いて指示に従うメイドたちをお茶に誘うからである。

掃除を終えてからお茶でも飲めばいいのに、それだと侍女より多忙のメイドが参加出来なくて可哀想だというわけで、公然と仕事放棄が許されているそうだ。


ちなみに、どのからの情報かといえば、かつて姫の部屋を掃除していたメイドが情報源である。彼女一人で大変なのはわかるから、やり残しも気付かないフリをして自分で片付けていたのだが、彼女は手を抜くくせに妹姫の方に配属されなかった自分自身を憐れんでグチばかりいっていたことを思い出して、ほんの少し怒りの火力が落ちる。

すごく、むなしい。立場上、正面から妹のように施すことが出来ないから陰でやって来たのに、結局は気付いてはもらえなかった姫は、むなしくなって少し落ち込む。

火力が落ちたついでに、妹の意外に不自由な生活も思い出してしまった。


「…まあ、可哀想なとこもあるけど。お優しい両親は、❝病弱❞な妹を部屋のベッドに押し込んで、体力を作るために歩くこともさせなかったもの」


姫は自分に置き換えてみて、『ムリ』だと思う。

剣を握り、平民の振りをして騎士試験を受けて見事合格した彼女は、メキメキと頭角を現して平民のみで構成されているとはいえ、一つの隊の副長に収まっているのだ。そんな自分が、ベッドに縛り付けられたら…とても正気ではいられないだろう。暇すぎて。


そういう意味では、妹を尊敬してもいい気がする姫だったが、それとこれとは話が違うと顔を顰める。


「…そうはいっても、両親の言葉を無視して、姉の婚約者を見に抜け出していたみたいだけどね!?体力がないのに走り回ってたら、そりゃあ顔は赤くなるし、咳き込みもするわよ!熱じゃなくても、走れば身体も熱くなるわよ!」


姫が自分の婚約者を妹に紹介したときは特別に入れてもらえただけで、本来であれば婚約者でしかない彼は王族の生活区間に入ることは許されない。

だから彼を見るのであれば、必然的に生活区間外に出なければならない。なので、妹は❝病弱❞な身体にむち打って彼を探し回っていたはずだ。そして、忙しい彼の行動範囲は広いため、相当走ったはずである。ご苦労なことだと、姫は皮肉を込めてそう思った。

意地が悪い考え方だが、それくらい思ってもは許されてもいいと、一応は婚約者を奪われた立場の姫は憤慨して見せる。


だいたい、いい方は悪いがその政略結婚ですら姫にとっては公務の一環であり、相手にどんな感情を抱いていようがこなさなくてはいけないことであった。血を後世につなぐために必要な婚姻、あからさまないい方をすれば❝子作り❞は、王家に生まれたからには必須である。

しかし、病弱なため出産に耐えられないといわれている妹はそれを免除されて、身体が弱くて可哀想な彼女は婚姻も『好きな人』と結ぶことが許されているのだ。

公の場で王女として立ち、ときには意見する。王女の印が必要な書類も少ないもののあるし、他国との外交を行うこともある。慈善活動も子女だから推奨されていて、王女であるのだから率先して国立の孤児院に慰問しに行ったりもする。戦争はずっとないが、士気を上げるために騎士団に慰問することもあるのだ。


中には自分の意思で行っていたこともあるが、これらは全て姫が母国にいたときにしていた公務である。つまり、王女に生まれたからには果たさなければならなかった役目であるのだ。


自分が国民の血税で生かされているとわかっていた姫は、微々たることではあるがその役目を果たしてきた。しかし、妹は『病弱だから』と周囲が甘やかすのを良いことにまったく行っていなかったのだ。もしかしたら、行うべきことが何故自分に課せられていたのかも、全く理解してはいなかったのかもしれない。


「あの子が俯かないのは、自分が役目を果たせないのをまったく気にしてないからよ!誰よ、『健気』とかいい出した奴!!役目を果たせないどころか、自分の侍女の教育さえ出来てないんだから!」


妹付きの侍女は伯爵家の娘だった。妹姫付きなことを鼻に掛け、同僚や妹姫が話をしている相手を見下した態度を取る侍女である。その態度が、主の品格を貶めることにも気付かない侍女も侍女だが、叱りもしない妹も妹であった。


「それに、あんな優柔不断な顔だけ男、惜しくも何ともないけど。むしろ、あたしの部屋を逢い引きに使っていたことの方が腹立つわっ!汚らしい汚れの付いたベッドじゃ寝られなくて、あの夜は床で寝たわよ!!」


婚約者だった青年は姫は自分に惚れ込んでいると思っていたが、彼女の方には大して愛情はなかったらしい。だが、幼い頃に婚約を交わして以来からの付き合いで気心は知れていて、友人同士のようは夫婦にはなれそうだとは思っていた。

しかし、奪った妹の手癖の悪さに怒りは覚えても裏切ったはずの婚約者に対しては左程は怒ってはいない。割り切った相手だったのもあるが、それよりも勝手に自室に入られた挙句にベッドを汚されたことの方が姫にはショックだったらしい。


普通、王侯貴族の娘であればショックのあまり気絶して、引きこもりにでもなりそうな事件だったが、精神が強いのか、はたまた割り切り過ぎてクールなだけか。自分が副長を務める騎士隊が平民のみで構成させていて、明け透けで下品な話題に事欠かさなかったのも原因のひとつかもしれない。


「月涙石なんて、一般的な四人家族が一生優雅に暮らせるだけの金額のものをほいほい与えて、寝てるかあたしの婚約者と乳繰り合うだけの娘にかけるドレス代、年々高額になる薬代に医師たちの知識欲を満足させるだけに使われる資金、全部どこから出てるのか知っているのかしら。血税って意味を、もう一度良く考え直した方かいいんじゃないの!?どれ程民が飢えてるか、知ってるの!!…これで、帝国が『約束の姫と違う』って理由で攻めて来られたら、国民はどうすればいいのよ…」


両親や妹、その周囲からの扱いにはもう、諦めしかない。しかし、王女である彼女は国民を見捨てるわけにはいかないのだ。義父となるはずだった宰相や彼が手配してくれた教育係たちが示してくれて、平民と偽って入った騎士隊で見た民の暮らし。慎ましやかな民の生活を、身内の考えなしの行動のせいで犠牲にしたくはないのだ。


国土の差、軍事力の差を考えて、宰相に後を任せて決死の覚悟で帝国へと輿入れした姫。どんなことをしても、例え自分が憂さ晴らしに皇帝に嬲り殺されようと絶対に国民の命と生活は守ろうと覚悟して来た。

なのだが…。


「まぁ…皇帝様には寵愛する異母妹がいらっしゃるから花嫁が約束違っていたも、気にもしなかったみたいですしぃ?」


母国のことを考えればそれでよかったのだが、ついつい姫は『へっ』とついつい嫌味っぽく鼻で笑ってしまう。悲壮な覚悟を抱いていた、あの苦しい時間をどうしてくれようかと考えてしまうのも無理はない。


「どこからどう見てもそっくりな兄妹なのに、よくあんな恋愛ごっこが出来るのか不思議でならないわ。あのお二人の世界は、どれほど狭いんだか」


姫は到着早々、部屋の一室に閉じ込められたが、別に牢でもなければ拘束もされてはいない。世話をしてくれる侍女も他国からはるばるやって来た花嫁に付けるにはだいぶ少ないが一応は付けてくれた。


その付けてもらった侍女が勝手に話してくれる話題や窓から見えた光景から、皇帝と異母妹は言葉ではお互いに告げ合わないものの、どうやら甘酸っぱい思いを相手に抱いているようだ。恋人同士ではないとはいえ、そう判断した姫は今度は書類上とはいえ夫を奪われてしまったことに気が付いてすっぱいものを飲んだときのような表情をする。

皇帝の異母妹からしたら先に奪ったのは姫の方だろうが、こちらはずっと昔から国同士が結んだ政略結婚の相手だ。姉と妹を承諾もなしに変えたのは姫の国の事情ではあるが、だからといって皇女の美しい宝石のような硬質な目で睨まれる謂われはない。あんな、恋愛小説に出て来る泥棒ネコを睨み付ける正妻みたいなある種の凄みのある目で、なんて。


「仮にも❝帝国❞と名乗るなら、どこまでも冷厳にならないと取り込んだ国に隙を与えるというのに、何で兄…いえ、男としての自分を出すんだか。しかも、堂々と宣戦布告するし。しかも何よ、あの理由。色に狂うのも、恋に狂うのも似たようなものじゃないの」


侍女が大騒ぎしていたから知っている。あの皇帝、ついに異母とはいえ妹に愛の言葉を告げたらしい。しかも、両想い。ついでに大国からの『両国の友好の証』としての贈り物を返すどころか、厄介者の花嫁を使者代わりにしての宣戦布告をしてしまった。


姫がそれを聞いたとき、本当に呆れ果てた。いや、思い出した今も呆れてしまう。どこの世界に、自分の異母妹との政略結婚を申し込んで来た国に宣戦布告で返す王がいる。いや、すでに非常識なことをやらかした皇帝がいるのは知っているが、脳内が春爛漫で人生が楽しそうだ。…全然、これっぽっちもうらやましくはないが。


「あっ、そうだ。ひとつだけ、気分が良くなることがあったわ」


ころころ話題が変わるのは、彼女の精神状態が普通ではないからか。それもそうだ、王女として国民の前に立てるくらいの力量はあっても、まさか帝国、そして大国へ不安な気持ちのまま、たらい回しにされたのだ。混乱の極みにいても仕方のないことだろう。


そう思ってくれているのかは不明だが、急に明るい顔になった姫を遠い玉座から寵妃を膝に乗せたまま、言葉を挟むことなく見下ろしている大国の王は寛大にも最後まで姫の好きに話させてくれるらしい。

物心ついてから今まで、どう考えても『気分は最悪!』としかいえない状況下にいた姫は、それをありがたく思いながら最()となってもいいように、息を大きく吸ってから優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をした。


「ありがとうございます。あなたが皇女殿下との婚姻を望んでくれて、私の母国への関心がなくなりました。おかげで、帝国に攻め込まれることは回避出来ましょう」


小国とはいえ、次期国王と目されていた姫として恥じるところがない完璧な礼であった。一人称も『私』となり、口調もどこか気品にあふれているように感じる。


内心、『せめて贈り物を返してからやるべきだろう』やら『交渉したら、意外に寵妃が嫌がっていて政略結婚が取りやめになるかも』やらと、もやもやと考えていることをおくびにも出さないところはさすがである。先程まであんなに叫んでおきながら、今更ではあるが。


どんなことが書状に掛かれていたが知らないが、帝国よりも経済力が圧倒的に上回る大国だから、贈り物が送り返されなくても痛くないかもしれないし、交渉すれば後宮にあまたの美姫を囲いつつ寵妃を持つ王が諦めるかもしれないのに、その努力を怠って自分たちが恋愛小説の主人公にでもなったかのようにふるまう帝国の皇帝とその異母妹である皇女など放っておいてもいいだろう。勝手に主人公にでもなったつもりで、好きにふるまえばいいとすら思っている。

何せ、姫は政略による婚姻を結んだとはいえ、二人とは他人なのだ。もしかしたら、あの嫉妬深い皇女は例え紙の上でも異母兄を奪われたくないと、署名した婚姻届けを教会に提出していないかもしれない。そうであれば、現在も赤の他人である。まあ、どうせ白い結婚なので、姫にとってはどうでもいい話だが。


「あとはきっと、宰相が何とかしてくれるはずです」


何せ、姫の頭にあるのは母国とそこに暮らす国民のことだけだ。だから、あとは勝手に騒いでいればいいと、本来であれば義父となるはずだった、師とも呼べる壮年の宰相に全幅の信頼をおいて姫は笑った。

長年の澱を吐き出したおかげか、晴れやかなその笑顔は帝国ではまったく見せたことのない、母国ではめったに見せたことのない明るいものである。これを見て『雑草』やら『石ころ』などと呼ぶ者はいなくなるだろうが、その貴重なものを目撃出来たのは大国の王の膝に抱きかかえられている寵妃だけであった。


「何故、貴女は足掻かなかったの?」

「…はい?」


「足掻けば、婚約者を取り戻せたんじゃないの?」


いいたいことをいい、すっきりした顔をしている姫の耳にそんな問い掛けがなされた。静かで落ち着いた声は玉座の方から聞こえたが、ほとんど寵妃を見詰めていた大国の王からの問い掛けではないだろう。

それに声は若々しく、姫と大して年も変わらなそうだ。母国の宰相より老けて見える大国の王ではなく、その膝の上から姫をベール越しに見詰める寵妃からの質問だとわかる。


「アハッ、アハハハハッ!」


そんな質問をされたことのなかった姫は、豪快に大きな口を開けて笑い声をあげる。


確かに、あの優柔不断な男であれば姫が声を大きくするだけだ竦み上がって、慌てて婚約破棄を破棄するだろう。それに優柔不断で軟弱なくせに、権力に対する欲は十二分にあるのだ。女王の伴侶の地位は決して捨てないだろう。

姫の妹との浮気は、婚約者である姫が自分に惚れ込んでいるという、どこから来たのかわからない自信と、あわよくば剣を振り回す可愛げのないおそろしい女ではなくて、可愛い花のように可憐なその妹と結婚して、ついでに邪魔な姉の方を王に追い出してもらって王配として政を回せるかも…という計算が働いた結果なのかもしれない。


まぁ、元婚約者がどういう意図で動いたか、だとかはともかくとして。


「いいえ、足掻きたいほどの魅力は彼にはなかったのです。それに…剣を持つ手を『優雅じゃない』の一言で切り捨てたのも、許せなかった」


ドレスに合わせた長手袋が隠しているため見えないが、剣だこのある手を握りしめる。

努力の跡が残るこの手は、姫の自慢だった。それに、姫には妹のように護ってくれる者はおらず、必要に駆られて憶えた剣だったのに彼はそれを否定したのだ。


「隊長にだって認められるほどだったのに、『手習い』っていわれたときはキレたな~」


姫ということを隠して、一般公募で騎士になったのだ。しかも、姫だとバレないようにわざわざ普段は関わり合いのない平民がまとめて押し込まれる隊の試験を受けるという徹底ぶりである。

そこは老若男女問わず弱肉強食の世界で、その隊で副長まで登り詰めたのだから大した実力だろう。


「おかげで、やっぱり護衛は必要ないってわかったわ。貴族の坊っちゃんたちなんて、『手習い』どころか『幼児のお遊び』程度だもの。王族を護る近衛隊なんて、飾り以外の存在意味があるのかわからない」


まぁ、もともとか弱い妹にしか付けられてはいなかった護衛だから、姫には護衛の強さは関係ない。しかし、自分より剣の腕が立つ女を婚約者にした男がどう考えるかは、何となくわかってしまうのだ。


「…こんなんだから、彼は甘えて頼ってくれる妹の方がよかったんでしょうね。口調も騎士団にいたら、こんなんになっていたし。でも、残念ながら、自分より弱い男に演技でも寄り掛かるのはあたしはごめんだけどね。…だから、あいつに関しては足掻く必要がないの。むしろ、体力のムダ。だけど」


いったん、口を閉じた姫がもう一度話しはじめたとき、問い掛けてきた寵妃をベール越しに先程よりももっと強い目を向けるのだった。視線同様に、口調も自ずと強くなっている。


「だけど、もし貴方たちが母国に攻め込もうっていうなら、どんな手を使ってでも足掻いてやる!家族もどきはどうでもいいけど、あそこには能天気な上官も可愛くない部下も義父になるはずだった師匠も、何より罪のない民がいる!あたしが護らなくて、他の誰が護るというの!!それに」

「それに?」


「小バカにしてきた妹と皇女を引っぱたくのは、このあたしよ!盗るな!!」


啖呵を切る様は、いってみれば『雄々しい』ものだ。決して、『可愛らしい』わけでも『美しい』わけでもない。きっと元婚約者だった青年も、書類上は夫となっていたかもしれない皇帝も、今の姫を見れば眉を顰めるだろう。

しかし、彼らはこの場にはいない。


いないから、今までも見なかったから、堂々と王族らしく胸を張って立つ彼女の価値などまったく気付かないまま、見逃してしまったのだ。


だから自分は幸運だったのだと、笑いの衝動を抑えられなくなった人物は震えながらベールの下で大きく口を開いた。


「ぶっ…くくっ……ハハハハハッ!!」

「あ、アリス殿?」


至近距離で突然笑い出した寵妃に、大国の王は怪訝な様子で話し掛けた。相手がいっとうお気に入りだからか、その声の掛け方は小さく、じゃっかん腰が引け気味である。


姫が二人のやり取りを不思議な顔をして眺めていれば、笑いの発作が残る震え声で寵妃はまた同じような問い掛けをして来た。


「お姫様、貴女は足掻くというんだね」


「当たり前よ。命が掛かってるんだから、地面に額づこうが、這いずり回ろうが、イヌの真似しながら宙返りしようが、逆立ちで城を一周しようが!あたしが、どんなにみじめな姿になっても構わない!ヤるといったらヤる!!」


先程のは元婚約者に対して『足掻かない』といってだけで、母国が絡めば何だって出来ると鼻息を荒くする。ふんすふんすと鼻息の荒い姫に、更に笑いを煽られた寵妃は少し笑っていた。


「そんなことはしなくても大丈夫だよ、勇敢なお姫様」

「凶暴の間違えで…へぐっ!?」


姫はギョロギョロしてて気持ち悪いといわれ続けた大きな目を更に見開いた。立ち上がった寵妃が王を蹴り飛ばしたように見えたが、きっと緊張していたせいで見間違えたのだと自分にいい聞かせる。しかも、『ご褒美!!』という幻聴まで聞こえたが気のせいに違いない。姫は現実逃避をした。


「例えみじめだろうと、足掻くと決めたお姫様」


その『みじめ』といわれた姫は、面と向かっていわれた暴言に微妙な顔をした。帝国と並ぶ…もしくは上回る力を持った大国の王の寵妃にしてみれば、輿入れした帝国にも小国の母国にすら捨てられた姫はみじめだろう。捨てられてくせに、母国にしがみ付いて必死になっている姿もそれに拍車を掛けているはずだ。

姫はそれがわかっているから、例え揶揄されて嘲笑われても平気だと自分にいい聞かせつつ、…少し落ち込む心を慰めていた。


落ち込みつつも気高くあろうと胸を張って立つ姫の内情を知らない寵妃だったから、悪びれもせずに空気も読まずに少々高揚した声をあげる。その声は、場違いなほど明るかった。


「……なんて高潔なんだろう!」

「…え?」


大げさな仕草で高々と叫んだと思ったら、高い位置から大股で降りて来た寵妃は、姫の前まで来て軽く屈み込む。情緒不安定な寵妃に恐れおののく姫だったが、より近くなったその姿に違和感を憶える。


この城は何の演出か、照明が最小限で傾国と評判の寵妃をベール越しにしか見ることが出来ない。本来であれば、緻密で薄いベールの内側など、日の光の下でも見られそうなものだが…と、残念に思っていた自分を殴りたいと姫は物騒にも思う。

ゆったりとした服装といい、軽く屈まなくてはならない長身といい、ベールといい、ほとんど喋っていないことといいこの寵妃は…。


「ボクは貴女を待っていた」


よく聞いてみると、低い声。

自分で顔を覆うベールを剥ぎ取り、磨き抜かれた黒曜石のように艶やかな漆黒の髪と輝く瞳を持つ、大輪の薔薇のような美しいかんばせをさらけ出したのは、『寵妃』と呼ばれる――少年だった。

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