東へ進め!エルダの朝
ぱちり、と目が覚める。直前までは夢を見ていた…ような気がするが、目覚めと共に忘れる。
「んー、よく寝た!」
上体を起こして、伸びをする。室内はまだ薄暗く時間は分からない。けれど、よく寝た実感のあるエルダには夜明けでも早朝でも問題ない。
ひょいと身軽にベッドから出ると、素足にひんやりとした板の感触。手探りならぬ足探りで靴を見つけて履くと、トコトコと数歩で窓辺に到着。
木製の重めの窓を開けると、早朝の街には澄んだ空気と静寂が広がっている。
室内が少し明るくなったので、身支度をするのに蝋燭を使う必要は無い。
…けど、冬には必要になるかもしれない。昨日、リュールと作ったリストに書き足しておかなくちゃ。
そんな事を考えながら、夜着を脱いで洋服に着替える。手櫛で簡単に髪を整えてから、ベッドの乱れを直して部屋を出る。
リュールはまだ寝てるよね、多分…絶対。
朝の弱いリュールがエルダより先に目覚めることは滅多に無いし、予定も無いのにこんなに早くから起きる事はまず無い。
昨晩に互いの部屋の間の壁に置いたオイルランプを持って、そっと足音を忍ばせながら階段を降りる。
なるべく静かに窓を開けて朝の空気と明かりを室内に呼びかけ、パシャパシャと水音を立てて顔を洗って口を漱ぐ。
壁にぶら下げた小さな鏡を覗き込んで、髪を撫で付けるように梳かすが、焦茶の髪はふわふわと奔放で言う事を聞かない。
寝癖や絡まりが無いのを確認して、手早く束ねる。
「今朝は何を作ろうかな。愛しの平民パンとスープなのは決定として、具材だよね。昨日の残りは…傷んで無さそうだから……そうだなぁ、たまには朝からちょっとスパイシーに攻めてみよっと。あ、そうなるとサラダが欲しいかな。でも新鮮な葉物は無いから難しいよねぇ…豆だけのサラダじゃ侘しいし」
小声でブツブツと呟きながら、とりあえずは水汲みだけ済ませておこうと静かに玄関を出る。
リュールはまだ寝ているので念の為に鍵をかけた直後に、窓を開けたままなのを思い出した。
「うう。でも開けっ放しだと危ないかもだし、仕方ない…」
さすがに二階の自室はそのままだが、一階の戸締りは万端。気を取り直して水汲みに向かう。
「おや、驚いた。エルダちゃんはいつもこんな時間から動いてるのかい?」
顔見知りのご近所さんとバッタリ。
「いつもじゃないけど、せっかく早起きしたから。誰も居ないかと思ったからビックリしたよ」
「そういう事かい、だが偉いね。ウチは昨夜に旦那が酔っ払って水瓶をダメにしちまったから、顔を洗うにも水がなくてね。やれ、困った飲兵衛だよ。取り敢えず、二往復もしたら朝飯分には足りるかな」
「あらら。じゃあ私も一緒に行ったら一回で済むね!暇だからお散歩がわりについて行くよ」
遠慮する女性に「リュールはまだ寝てるから暇だし、ご近所だもん大丈夫」と笑う。女性は膝が少し悪いらしく、それならば有り難くお願いしようかね、と微笑んだ。
水汲みを手伝ったお礼に、と卵を二つ貰った。左右のポケットに入った卵を割らないように自分達用の水を運びながら帰宅。玄関はまだ施錠されており、リュールは起きていない様子。
「うふふ、驚かせちゃお。うふふ…」
ニマニマ笑いを浮かべて、エルダは腕まくり。抜き足差し足で言えの中をソロソロと足音を消して歩き、朝食の支度を始める。
昨晩の残りのスープを温めながら、アレンジに使う材料を調理用の台に並べる。
昨日は野菜たっぷりの具沢山スープだったが、今日は少しだけ干し肉を足して乾燥香味野菜を投入。
卵を茹でるか焼くか迷って、目玉焼きにすることに。フライパンで二つまとめて焼いた。縁がカリカリになった卵を皿に移して、鍋の様子を確認。
「んー…ちょっと物足りないかも。リゾットにしても良かったかな?ま、今朝はスープのままでいいや。でも、味がちょっとねぇ…」
味見をして、ブツブツ。
リュールはこのまま出しても文句は言わないだろう。寧ろ、濃緑の瞳をキラキラさせて「私好みにアレンジしてくれたのね!」と喜んでくれると思う。
けれど、これでは物足りない。
野菜の滋味に、干し肉からでた旨味。香味野菜でスパイシーな風味を足してあるのだが、それがまろやかさの中で尖ってしまっているような気がする。
「お料理って奥深いねー…むぅ。どうしたら良いのかなぁ」
食べて美味しい野菜と、食べれる葉っぱを同じ「食材」に括るリュールよりは料理の適性があるものの、平民になるまでは料理に殆ど縁の無かったエルダ。
「今、うちにある物でスープに入って無い物をから考えてみよっと。えーと、蜂蜜は却下。干し魚も…却下だね。ナッツ、ドライフルーツ、ジャム……スープに入れて違和感の無い物だけで良いってば」
棚から一歩離れて眺めると、直ぐに良い物が目についた。一番上の棚にチーズを見つけて「決めた」と背伸びして手に取る。
「チーズで正解!ふっふっふー」
上機嫌になるエルダ。ふと、階上の気配を察知。リュールが起きて、多分窓を開けたのだろう。
「わわっ、急げ急げ〜」
湯気のたつスープをよそってテーブルに運ぶ。リュールの為に平民パンを薄く四枚に切り、自分は倍の厚さで二枚に切る。
結局、サラダは無いままだが、代わりに目玉焼きがあるので良しとする。
「彩りが侘しいけど、買い置きが無かったからこんなものかな。今日は買い物に行ったら新鮮な野菜を買ってこなくちゃ」
心のメモにしっかりと書き込んでいると、リュールが階段をおりて来た。
「おはようございます、エルダ。なんだかとっても美味しそうな匂いがするのだけれど…?」
まだ目がしっかりと開いていないリュールは、髪も結んでおらずプラチナの髪が背中でサラサラと揺れている。
「おはよ、リュール。うん、朝ご飯を用意しておいたよ!」
「まぁ!ありがとうございます…えっ!?準備もバッチリですのね?急いで顔を洗ってきますわ」
急に覚醒して、パタパタと小走りになるリュール。
「えへへ、どう?」
スープに集中しているリュールを見れば、答えなんて聞かなくても分かるのについ聞いてしまう。
「最高ですわ!流石エルダね、本当に凄く美味しいわ。これ、昨日のスープを私好みにアレンジしてくれたのですよね?お店で買ってきたのかと思うぐらい、本当に美味しいわ。とっても気に入りましたわ」
「えへへ〜」
リュールの真っ直ぐな褒め言葉に照れ笑うと、エルダも自作のスープを味わう。
「あら?…あらら?ねぇ、エルダ。私達、昨日家の中を粗方見て回りましたわよね。その時には卵は無かったと思うのですけど、この目玉焼きは?」
きょとんとした顔で、コテッと首を横に傾けるリュール。
「うふふ〜。知りたい?」
「…お待ちになって、エルダ。私、推理してみせますわ」
俯き加減で半眼になるリュールが急速に頭を回転させている様子に、エルダはニマニマ。
「エルダ。あなたという人は…」
「うん?」
リュールはどんな推理をしたのだろう。平民パンを頬張りながら興味津々で続きを待つ。
「私が寝汚くもグースカと惰眠を貪っている間に、しっかりと早起きした清楚可憐なエルダは身嗜みをきちんと整えて、働き蜂のように健気且つ甲斐甲斐しく働き回っていたのですね!私が涎を垂らしてだらしなく眠っているにも関わらず、その細腕で身を粉にしながらエルダはせっせと水汲みに赴いたのですわね。きっと、そこでエルダの骨惜しみない働きぶりに感動した街の方に卵というご褒美をいたのですわ!」
…うん…えっと。
「水汲みのお手伝いをしたお礼に貰ったんだよ」
偉いとか、親切とか言って褒めてくれるリュール。
私はそんな大層な考えなんて無かったんだけどなぁ。リュールだって同じ状況なら、深く考えずに同じ行動をしていたと思うもん。
なにはともあれ。
リュール好みにアレンジしたスープは大成功!
さぁ、今日も一緒にいっぱい笑いながら楽しく過ごそうね、リュール。