■王城■王太子殿下の決断、そして発表。
デルロード国、王城。
「せめて卒業までは好きにさせてやろうと思っていたけど、ここまで馬鹿をされると…そうも言っていられないね」
柔和な笑みに疲れを滲ませて、王太子が小さく溜め息を零した。それを受けて宰相が頭を下げる。
「あなたを責める気持ちは無いよ。国を切り盛りしながら子守までさせていては、宰相殿の胃が穴だらけになってしまうからね」
労りの声音に少しだけ茶目っ気を覗かせる王太子に、宰相は『殿下に早く王位に就いて欲しい』という本音をどうにか飲み込む。
飲み込んだ本音のかわりに言葉にしたのは、宰相にとっては「仕事の一つ」でしかないが、一人の親としてはかなり胸の痛む話。
「そうだね…そうするより他、無いと私も思う。だが…」
歯切れ悪く途切れがちに王太子は謝罪の言葉を紡ごうとするが、察した宰相がそれを遮った。
「……ありがとう。では、そのように。詳細は…」
気鬱な話題をさっさと片付けるべく、王太子と宰相は淡々と意見を交わして予定を調整していく。
重苦しい話が済むと、王太子と宰相はやっと一つ肩の荷のおろし先の目処がついた事で同時に安堵の吐息を漏らす。
「それにしても、よりによって今とはね…。辺境伯領地への無闇な干渉は厳禁だと知らない筈は無いのに、本当に困った子だよ…ああ、愚痴を言って済まないね」
「いえ。愚痴の一つも零れるでしょう、この現状では。しかし、辺境伯領地の件はさておき、殿下が御自ら出向かれた事でリーアンダ国との友好が深まったのは誠に喜ばしい話ですな」
王太子が婚約者である令嬢とともについ先日まで赴いていた国、リーアンダ。
デルロード国の南東の国境を越え、小さな国を一つ挟んだ向こうにリーアンダ国がある。
面積も国の歴史もデルロードの三分の一にも満たない国ではあるが、リーアンダ国と友好的な関係を築くのは近い将来、必ずデルロード国において重要な意味を持つと宰相も王太子も確信している。
「そのリーアンダと先に誼を深めているのがルゴール伯なのだからね、恐れ入るよ」
「辺境伯とて当時は此処までリーアンダが力をつけるとは思っておられなかったと思いますよ。尤も、辺境伯の愛娘が嫁いだとあって、何らかの援助なり助言などはしているかとは思いますがね。それもあっての今日のリーアンダなのかもしれませぬが」
辺境伯家が政略結婚を厭うのは周知の事実で、辺境伯令嬢も大恋愛の末にリーアンダへと嫁いだ筈だと宰相は記憶している。
リーアンダの目覚ましい発展と、辺境伯令嬢との結婚に直接的な関係は無かったとしても、間接的にはルゴール家からの恩恵が全く何も無かったとは思えない。
「王家よりも辺境伯領家の方が諸外国との誼が深いとはね。リーアンダとは婚姻による縁があるからまだ分かるが、南の大国との友誼はどう築いたのかと驚いてしまうよ」
「辺境伯領地は新規の塩の取引ルートの確保がてらに南の大国との友誼を独自に結んだと聞いております。東国と辺境伯領地で塩の値について揉めている時に、辺境伯領地は王城不可侵の地だからと傍観していたツケでございますな…。せめて、助力する姿勢だけでも見せておくのだったと後悔しております」
ここ数年は王太子が自ら東奔西走して諸外国との誼を深める努力をしているが、行く先々では既にルゴール家との縁の深さを見聞きする。
「クルス・ルゴール殿ほどとは言わないが、ギルフォートにも少しは外交を…と望むのは無謀、か。無い物ねだりしてはいけないね」
「……左様で御座いますな。ギルフォート殿下は国外へ出るよりも他に向いている事があるかもしれませぬし…」
「優しいね、宰相殿は。だが、本人の為にもはっきりと言えば、あの子はこのままでは王家で飼い殺しにするしかないよ。幸いにも今はまだ民衆からのギルフォートへの不満は無いが、貴族達からは失笑される存在となり果てて居るのが現状。ハリボテであっても王家の面子に泥を塗るのは此処までにしなくてはね」
柔らかな顔立ちに苦渋を滲ませて辛辣な言葉を口にする王太子だが、兄弟仲が良いと知っているだけに宰相は胸も胃も痛む。
「ギルフォートがアルテミア嬢を選んでくれれば、違ったのだけれどね。ああ、このままではさっきの話の繰り返しになってしまうか。また愚痴になる前に私はこれで失礼するよ」
王太子を見送り、宰相は本日で何度目になるか分からない溜息を吐いた。
第三王子は『このまま』ならば、飼い殺しにするしかない。
婚約者候補外の伯爵令嬢に固執して、政略結婚すら嫌だと駄々を捏ねるならば仕方あるまい。
そもそも、なぜその伯爵令嬢が婚約者として『ダメ』なのか分かってない辺りで既にギルフォートの王子としての残念さが露呈しているが。
アルテミアかレアンドリアを婚約者に確定して伯爵令嬢を恋人にする、ならばギリギリではあるが許容されたのだが。
王太子殿下が王城へ居られる間に、ギルフォート殿下の今後の処遇の決定と婚約者候補達の解放を済ませる。同時進行で片付ける案件が幾つかあるが、数日の内に王子殿下の右腕たる第二王子も帰国する予定だからどうにかなるだろう、多分。
「王太子殿下の為と思えば、やり甲斐があるだけ私は幸せなのだ。うん、そうだ、その通りだ」
自分へと言い聞かせながら、宰相は疲れた身体を引き摺るようにして執務机へと向かった。
それから数日後、第二王子の無事な帰国を祝うという名目で上級貴族とその子供達が王城へと招かれた。
その場で、第三王子の婚約者の決定発表が行われた。