■夏祭りの後で:避暑地旅行中の人々■
私には私の事情もあって、伯爵…前伯爵の申し出を断るつもりは端から無かった。何よりも少女達とその家族への憐憫があったから、私個人の事情が無くても承知していたと思う。
侯爵夫人は件の少女達の母親達からの『お土産』を膝に乗せて揺り椅子に背中を預けたまま、深い深い吐息を細長く吐き出した。
老齢に鞭打っての避暑地への旅路は体力的に辛いかと思ったが、驚く程に快適で到着したその足で散歩にまで行ってしまった。…これで『寝込む予定』と言うのは少しばかり気まずかったが、まぁ良いだろう。
子爵夫人も男爵夫人も喜んでいたのだから。
腹立たしいのはどこで聞きつけたのか、私も是非御一緒したいですなどと厚かましい事を言ってきたあの伯爵夫人だ。
彼女が居なければ、子爵夫人も男爵夫人も道中から別行動してもっと娘達との時間を確保できた。それに、あの様な強行軍にならずに済んだはずだ。
あの伯爵夫人としては、社交界でのステータスとしてこの避暑旅行へ強引に割り込んできたのだろう。だが、これで私のあの伯爵夫人とその家への評価は確定したわねぇと、侯爵夫人はうっすらとほくそ笑む。
侯爵夫人が秋の夜会に向けてあれこれ思いを巡らせ、そろそろお茶でも飲もうかと侍女に声をかけようとして止めた。
膝の上の小さな籠から、ハンカチごと取り出す。飴の包みに見立てたソレに笑みが零れ落ちる。孫娘が幼い頃、こんな風に飴を贈ってくれたわ、と懐かしい思い出が蘇った。
飴を一つ、口へ。
普段であれば必ず毒味をさせるのだが、あの子爵夫人の娘の作ならば問題無いだろうと判断した。
「フォルベールの薬箱、なるほどね…!」
素朴な味わいだが、実に奥深い。はしたないと自覚しつつ、思わず残りの飴を数えて落胆の溜め息が零れてしまった。
時に権謀術数を巡らせて華やかな社交界の裏側を知り尽くして栄華の時に身を置き、一度は夫と引退した身。
跡を継いだ息子が病床に伏せり、まだ未成年の孫息子の為に臨時復帰した夫。引退して清々しい気分だったのが一転、また煩わしい世界へと舞い戻って辟易していた侯爵夫人だが。
「せっかく復帰したのだもの、老婆心の大盤振る舞いでもしようかしら」
老婆心と口にしつつも、童心に戻ったかのようにウキウキと悪戯っぽく瞳を輝かせていた。
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中年の女性騎士は、馬車の中で熟睡する子爵夫人に内心で『流石は親子』と妙に納得していた。
男爵夫人の方は子爵夫人に肩を貸しながら、のんびりと車窓からの景色を楽しんでいる。
かなり飛ばして居る為、激しく揺れているのだが。
乗り物酔い?何それ美味しいの?とでも言うかのような貴婦人方だ。これほどガタガタする中でなぜ、座席からずり落ちないのが不思議で仕方ない。
だが、この貴婦人方はあの少女達の母親達なのだと思えば妙にしっくりくる。
あの脳天気で恐ろしく前向きな二人は元気にしているのだろうか。しているだろうな、と女性騎士の口角が緩く持ち上がる。
王家に忠誠の剣を捧げた身だが、現在は侯爵夫人の避暑旅行の護衛中。護衛対象の心身の安全が最優先、この後の王立騎士団への報告書には『散策の護衛』とだけ書くつもりだ。
臨時復帰中の侯爵夫人がわざわざ自分を護衛騎士に指名した理由はソコにあるのだし、嘘偽りを書く訳ではないので自分も問題ない。
王都の人々にこの避暑旅行の目的が辺境地への極秘訪問だと悟られるのは、護衛対象の侯爵夫人の為にも、あの少女達とその家族の為にも回避すべき事だ。
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侯爵夫人の避暑地旅行に参加したものの、なんだか危うい雲行きだと伯爵夫人は青い顔で考える。
あまり歓迎されていないとは感じたが、大貴族たる侯爵夫人の旅行に同行するのが下級貴族でかなり歳の離れた二人なのだから、簡単に取り入れると思っていた。
『お遣いを頼めるかしら?あの二人ではちょっと難しいと思うから、貴女にお願いしたいのだけど宜しくて?』
避暑地へ到着して旅装をメイド達が解き終わるや否や、侯爵夫人からそう言われて有頂天になった。
やはり下級貴族の二人より、私の方が侯爵夫人に気に入られるのは当然と浮かれながら『ええ勿論ですわ、喜んで!あのお二人はまだお若いですし、ご身分的に難しい事もおありでしょうから』などと答えるのでは無かった。
「奥様、そろそろ到着ですよ。夏でも冷えますので、馬車から降りる前にこちらをどうぞ」
北の果ての修道院、氷の棺桶。名前だけでもおぞましく、忌々しい場所がお遣い先だなんて酷い。
往復で五日間もかかったし、こんな場所では観光も何も無いではないか。
『大貴族の義務の一つに慰問があるのはご存知ね?尤も、名代を立てるのが一般的なのだけど。近くまで来た以上、寄らない訳にも行かないから貴女に名代を頼めて本当に助かるわ』
滞在時間は30分、即トンボ帰りを決め込むがそれぐらいは許されるはずだ…と、思ったのだが。
馬車を急かしたせいで酔うし、帰り着いた報告に対して『ご苦労様、明後日には此処を発つからそれまでゆっくりしてね』という伝言しかなかった。
もしかして、私…侯爵夫人の不興を買ったのかも。今更にそう思って伯爵夫人は憂鬱な顔で寝返りをうった。
遠くから、侯爵夫人と子爵夫人や男爵夫人の楽しげな声が聞こえるのはきっと気のせいだ。