東へ進め!さよならコルセット
ノックで目を覚ましたエルダは、粗末な夜着の上にショールを羽織って玄関の扉越しに「どちら様ですか?」と尋ねながら寝癖を手櫛で直す。
「分かりましたわ、お勤めご苦労様でございます」
扉越しの不作法を詫びてから用件を聞き、早朝の来客が去ったのを確認して欠伸を一つ。
「リュール、起きてましたの?」
もぞもぞと寝台から身体を起こすリュールが寝起きそのものの声音で、何があったのか尋ねる。
「森で魔物が出て、討伐は済んだけど他にも居ないか確認するから今日と明日は町から出てはいけないのですって」
「…あら…、そうですの?………では……今日の予定は変更、ですわね………ふあぁ、…失礼」
いつもより念入りに身支度を整え、揃いの可愛らしい籠を持った二人が家を出る。因みに本日は鎌も箒も持ってない。
「おはようございます」
「お早うさん。おや、見ない顔だね?あんたらかい、外れのボロ屋に入ったワケアリの娘っ子ってのは」
通りすがりの主婦っぽい人に挨拶したら、ジロジロと見られる。リュールには想定内の反応だがエルダはそもそも相手の反応を気にするタイプではない。
「そうなんですの。初めまして、私はエルダでこちらはリュールと申します。お姉さんのお名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
粗末な服で優雅な一礼に次ぎ、ニコニコと尋ねるエルダ。
「あたしゃ、お姉さんなんて歳じゃないよ。ミルタだ」
「ミルタさんですね、宜しくお願いしますわ。ワケアリと申しますか、貴族籍から除籍されて平民となりました私達をこちらの寛大でお優しい辺境伯様が領民として受け入れてくださいましたの」
リュールも洗練された礼をして、ニッコリとミルタを見つめる。あっさりと事情を話すと、ミルタの目が丸くなった。
「…そうだったのかい。なんだか、悪い事を聞いちまったね」
見るからに申し訳なさそうな表情のミルタに、少女達は互いの顔を見合わせて朗らかな笑い声をあげた。
「お気になさらないで、ミルタさん。当の私達が全く気にしておりませんもの」
「そうですわ。まだこちらに来て日が浅いのですが毎日本当に楽しいですし、私達は幸せなんですの」
そうかい、それなら良かったと、ミルタが話を切り上げて二人と別れる。そんなやりとりを遠巻きに見ていた他の主婦達も、それぞれ二人に会釈して散る。
「あら?困りましたわね」
目的の店は、閉まっていた。二人は知らなかったが、この店は昼近くから夕方までの営業スタイルだ。
「どうかしたのかい?」
通りかかった老人に訳を話すと、その内に開くからウチでお茶でも飲むかい?と誘われた。断る理由もないので、老人について行く。
「可愛らしいお客さんね、どうぞいらっしゃい」
出迎えた老婆に手招きされ、自家製のハーブティーのようなものを振る舞われる。
「素敵な香りの薬茶ですわね、とっても良い香り…」
うっとりとしたリュールの感嘆の呟きに、老婆が嬉しそうに茶菓子をすすめる。その茶菓子にエルダが瞳を輝かせる。
「まぁ、それではお二人も王都からおいでになられたのですね、奇遇ですわ~」
「王都にいたのはもうずーっと昔の事、今はすっかりこの地の平民さ。ワシは畑と皮細工、こいつは畑と薬茶を続けて暮らしとる」
老人は元は見習い騎士、老婆は子爵家の末娘。若い二人が出会い、恋に落ちた末に駆け落ち。
魔物による被害が多発するこの地は、他領からの受け入れに寛大。偽り無く身元を告げた老婆に平民としての戸籍を与え、二人を平民の夫婦として受け入れた。
「これも何かの縁、困った事があったらいつでも頼っておいで。何もなくても、いつでも遊びにおいで。老夫婦二人の気ままな暮らし、いつも暇しとるから遠慮はいらんよ」
老夫婦に感謝と、是非また遊びに来ますと告げた二人は今度こそパンを買うべく店へと向かう。
平民パンに拘るエルダとそれ以外のパンを切望するやり取りに、パン屋の夫婦が「半分ずつ買えば?」と至極真っ当で単純なアドバイスを送る。
「その手がありましたわね」とニコニコと己の平民パンの包みを抱きしめるエルダに、パンを焼く夫が「そんなに好きならば」と少し焦げたパンをオマケにつけた。
「変わった子だね。みんなよく買うが、このパンを好きなんて人はそういないんじゃないかね」
「エルダにとっては、最高峰のパンらしいのです……」
呆れ顔の妻に、リュールが遠い目をして応えた。その腕はガッチリと自分用の柔らか目のパンを確保している。
店を出た二人は八百屋と雑貨屋を巡り、お揃いの籠をいっぱいにして帰宅。拙い手つきで野菜のスープを作ると、昼ご飯を楽しんだ。
午後からは、エルダはすぐ近くの雑木林で薪になりそうな枝を集める。リュールは家の一隅に菜園を作るべく奮闘、夕暮れ前にはささやかな菜園風のモノが出来た。
「うふふ。傷だらけですわね、私達の手」
「寒くなればアカギレも出来るでしょうね」
一日の労働を終えて、しみじみと語る。蝋燭や薪の減りを考えて、二人の就寝はいつも早い。
「これまでも工芸品作りはしておりましたけど、準備だけでもこんなに手間暇かかっておりましたのね…」
「そうね。私も薬品作りは材料や道具が揃った所からしか知りませんでしたわ」
生活が一変して、何もかもを自分達で行う日々は今まで知らなかった事の連続。戸惑いながら試行錯誤する他に道はないのだが、二人の少女はそれを楽しんでいる。
「平民の生活って、こんなに楽しいのですわね!!」
幼い頃は野山を駆け巡って、兄弟に交じってチャンバラに興じていた活発な少女は学園に入って変わった。ヤーシュカ嬢に怯え、いつも小さくなって俯いてばかりいた。
「えぇ、本当に。私、幸せでしてよ」
年下の友人を背中に庇い、諫言を呈しては打たれる日々。目を惹く書物の山に背を向け、ヤーシュカ嬢の様々な企みを潰すべく奔走。読書を愛し、医薬品作りを実益を兼ねた趣味とするリュールにとって学園は不自由な檻だった。
不本意な結果ではあっても、学園からも貴族社会からも抜け出すことはできた。
不自由で窮屈なコルセットを脱ぎ捨てた二人の少女は平民ライフをのんびり満喫しながら今夜も眠りにつく。