東へ進め!焼き菓子と書類
領主館の敷地は広く、先ほどの納品部の建物や小屋等とは規模が全く違う「棟」が並んでいる。
リュールとエルダが目指しているのは、執務棟。
「そこの二人!止まれ!この先は関係者以外立ち入り禁止だ。うん…?なんだお前達、親とはぐれたのか?」
騎士が二人を呼び止め、素直に立ち止まる二人を見下ろして少しだけ言葉を和らげた。
「私達はマルス様のご厚意で、文官様達のもとでの下働きを許されましたリュールとエルダでございます。どうぞ、許可証をあらためくださいませ」
恭しく差し出された許可証を受け取りながら、騎士は面食らっている。いかにも呑気そうな牧歌的な平民の少女には有り得ない気品の漂う所作と、その言葉だけで許可証を見ずとも『件の少女達』とは分かった。
「これは失礼した。詫びにもならんが、案内しよう。私も執務棟に用があるから遠慮は不要」
騎士から許可証を返され、リュールとエルダが丁寧な礼を述べて騎士とともに執務棟へ向かう。騎士と一緒であっても、やはり入り口では許可証の提示を求められた。
「ご親切に有り難うございました」
「うむ、それでは此処で失礼する」
少女達の目的地である一室の前で騎士と別れ、厚い木製の扉の前で二人揃って深呼吸。
「あ、すまん」
大きく息を吐いた刹那に扉が開かれ、リュールとエルダが目を丸くする。扉を開いた男が二人の様子に小さく笑いをかみ殺しながら謝った。
「リュールとエルダ、かな?」
「はい、私がリュールでございます」
「エルダにございます」
気を取り直して手短に名乗り、そそくさと略式の礼をして扉から少し離れた。
「話は聞いてる、入りなよ。ワズラーン!可愛い助っ人が来たぜ!…じゃあな」
よほど忙しいのだろう、男は中に大声で呼びかけてから二人に一言残して足早に廊下を進む。
「…マルス様から話は聞いていると思うが、僕がワズラーン。早速で悪いが荷物をそこの棚に置いたら、この書類を上の部屋の図面部のボスに届けて、帰りにその右隣の歴史資料部から書類を受け取って来てくれ。ワズラーンのお遣いだと言えば分かるはずだから」
幽鬼のような顔に濃い隈の浮かぶワズラーンの平坦な早口に気圧されつつ、言われたままにお遣いへ。本当に雑用だが、猫の手も借りたいのだろうと察せる程にちらりと見た室内は忙しそうだった。
走るのはいけないだろうが、急いだ方が良さそうだと早歩きで図面部へ。ボスさんのお名前をうっかり聞き忘れたが、図面部に入るなり『ワズラーンのお遣いか?』とボス自ら書類の催促に手を差し出されたので問題無かった。こちらもやはり忙しいようで、少女達にチラチラと視線を向けるものの皆すぐに己の仕事に埋没してゆく。
右隣の歴史資料部は真逆に長閑な部屋で、お遣いに来た二人に『あ~、ちょっと待っておくれよ。あれはどこにやったかな?はて…ところでお嬢ちゃん方甘い物は好きかね?ほーら今朝一番の焼き立てだ』と顎髭の立派な中年男性がでっぷりお腹を揺すって焼き菓子を差し出してきた。
「甘い物も辛い物も好きです、でも書類を頂かないとその凄く美味しそうな焼き菓子が頂戴できません…」
お菓子を切ない眼差しで見つめ、胸の前で両手を祈るように組んだエルダに中年男性が『なんと!それはいかんな、待ちなさい…確かこの辺に…あった!さぁ、受け取ると良い』あっさりと書類を見つけ出した。
「有り難うございます!!」
書類はリュールが、お菓子はエルダがしっかりと受け取った。キラキラと輝く眼差しでお菓子を抱くエルダに、中年男性が腹を揺すってガハハと威勢良く笑う。
「見れば分かる、お嬢ちゃんは私の仲間だ!暇な時にはいつでも来なさい、この菓子の素晴らしさをともに語ろうではないか!」
ぜひ、と答えたのはエルダのみ。リュールは曖昧な微笑みを浮かべて静かに退室した。
ワズラーンに書類と焼き菓子を持ち帰ると、騒然としていた部屋がシンと静まり返った。唖然と固まっていまワズラーンが微かに震える手で書類を受け取り内容を確かまる。
「間違いない…素晴らしい!!あのヴォルテンからどうやってこの書類を入手したんだい?そんな事より快挙だ、奇跡だ!マルス様万歳、ありがとうございます」
先ほどは幽鬼のようだったワズラーンが赤味の差した頬で書類に頬擦りしている。
「あの、この焼き菓子は…?」
同僚達でさえ、ちょっと引き気味にテンションの上がりすぎたワズラーンを遠巻きに見守る最中、エルダが少し遠慮がちだがちゃっかりと焼き菓子について尋ねた。
「君が貰ったんだ、好きにしていいよ」
上機嫌なワズラーンに負けない程に上機嫌になるエルダ。
「え、君達それ好きなのかい??」
激しく首を縦に振るエルダと、遠い目で首を横に振るリュール。この焼き菓子、平民パンと似たり寄ったりなのだ。
…安価で手軽、日持ちするが非常に堅い上になぜ菓子と名乗るのか尋問したくなるほどに美味しくない。
その後も棟内のお遣いをこなし、午後からは二人一緒ではなくバラバラに動きまわり1日の仕事を終えた。
お給金は本当に平民の子供のお遣い程度だが、二人は大満足で帰宅した。