夏はやっぱり、スイカとかき氷!
ある昼下がり。太陽のご機嫌が良く、車のボンネットに卵でも割って落とせば、目玉焼きでも出来てしまうのではないかと思ってしまうほどの炎天下の日。
「ねぇナツ」
ボクは、縁側で一緒に足をブラブラとさせている仲間であるナツに話しかける。
ミーン、ミンミンと忙しなく鳴き続ける蝉の声が非常に耳障りだ。
インドア派であるボクとしては、どうして
周りの奴らは嬉嬉として鬼気迫る勢いであんなモノを採りたがるのか、非常に奇々怪々で仕方がない。
「ん? どうしたのユーちゃん?」
「ユーちゃん言うな」
ユーちゃんと呼ばれたボクだが、ボクは男だ。ちゃん付けをされることに酷く抵抗感を覚えて仕方がない。
だけど、ナツはボクのことを「ユーちゃん」と呼んでくる。
呼ぶ度に今のように注意するのだが、それでもナツは「ユーちゃん」と呼んでくる。
この言って注意するやり取りも、もはや歯を磨くように、手を洗うように、爪を切るように、習慣的なことへと常習化してしまった。
しかし、この常習化してしまったやり取りだが、ここでは終わらない。
「じゃあ、カブトムシ採れたら「ユーくん」って呼んであげる」
「くっ……」
これだ。これの所為で、ボクがいつまで経っても「ユーちゃん」と呼ばれ続ける。
ボクは虫が嫌いだ。それなのにカブトムシを採れ? そんなの有り得ない。論外だ。それならウナギの掴み取りをする方がマシだ。
それならナツの方はどうなのか。
ナツは女の子だ。一般的に女の子というのは虫を毛嫌いするのもだと思う。あくまでボクの主観だけど。
ある時、何時ものように「カブトムシを採れたら」と言われたボクは、「じゃあ、ナツは採れるのかよ」と言い返した。
ボクとしては「え、あ、ちょっと虫は……」と虫に対しての拒絶を示すと思っていた。思っていたのだが……。
ナツは「ちょっとそこで待ってて」とボクを残し、カモシカの様にスラリとした健康的な脚で走っていった。
そして待つこと五分くらい、ここから去っていった時と変わらない速さでナツはボクの元へ戻ってきた。
ノコギリクワガタを片手にブンブンと振り回しながら。
「ユーちゃん、ボーッとしてどうかしたの?」
「え、あぁ。あの時のことを思い出してさ」
「あの時?」
「ナツがクワガタ持って走って来た時のことだよ」
「あぁ、あの時ね。あの時のユーちゃんの反応は面白かったなぁ」
「全然面白くないっ!」
「ふふっ、ユーちゃんったら「きゃああああああっ!」って」
「言わなくて良いからっ!」
ボクの屈辱的で黒歴史の一つ。
「ユーちゃんゴメンね。カブトムシ見つからなかったの。でもね! ほら! その代わりにクワガタムシは見つかったんだ!」と言って、ナツはボクの面前にクワガタムシを差し出してきた。
その距離五センチ程度。
ドアップで現れたクワガタに硬直するボク。
コイツの手から逃れようとし、羽を広げたクワガタ。補足しておくと、ナツは親指と人差し指で摘むようにクワガタを持っていた。
突然飛び立とうとしたクワガタに驚いて、ナツは指を離してしまった。
もう一度ここで、言っておくことがある。
ボクとクワガタに残された距離。
僅か五センチ。
ボクとクワガタには、人差し指の先から第二間接位の距離しか残されていなかった。
雄々しく、「おぉっ!」とナツから零れた驚きの声と共に、クワガタは巣から飛び立つ雛鳥を彷彿させる羽ばたきを魅せ、指から抜け出す(巣立つ)。
極度の緊張状態にいたボクは、そこから一歩も動けずいたボクは、ピッチャーから放たれたボールを受けるキャッチャーの様に――、
自分の顔でクワガタ(ボール)を受けた。
そこから先は余り覚えていない。気が付いたら自分の家にいた。
しかし、ナツが言うには「オペラ歌手もビックリなハイトーンボイス」で叫びながら、自分の家目掛けて走っていったらしい。
「あの時のことは絶対に忘れない。記憶から抜け落ちてるところもあるけど」
ボクの言葉にナツは苦笑いする。
「あ、そうだ。冷蔵庫にスイカがあるんだけど、食べる?」
む、スイカ……。
「食べる」
「うん。ちょっと待っててね」
ナツはそう言うと、「よいしょ」と腰を上げる。
なんかその動作が――、
「おばさんみたい」
「なんだと――!」
居間へと向けていた足を、透かさずボクの後ろに回ることに転換したナツ。そしてボクの後ろに立った。
「悪いことを言う子には、天誅!」
「ぐぇっ!」
突然喉を襲ってきた圧迫感。
こいつ、ボクの首を……。
「ちょ、これ。シャレに、ならないん、だけ、ど」
腕を回し、首を絞めてくるナツに止めるように呼びかけるも、上手く声が出せない。
「反省した?」
耳のすぐ側から掛かる声。
生温かい吐息がボクの耳を、頬を撫でる。
そのくすぐったいというか、今まで味わったことのない表現のし難い感覚が、ボクの背筋を震わせる。
それだけでもボクの許容範囲を超えた事態であるのだが、これに拍車を掛けているものがある。
ナツは今、後ろからボクの首に腕を回し、ボクに体重を預けた状態――ハグをしている状態にいる。
つまり何が言いたいのかというと……。
ボクとナツは今、非常に密着した状態にいるのだ。
その事実に気が付くと、最早首が絞められてるとか気にならなくなってしまった。
とくん、とくん。規則正しいリズムで収縮を繰り返す、ナツの心臓の拍動が聞こえてくる。
お互いが密着していることによって、ナツの体温がボクに伝わってくる。
なんかもう、緊張とか諸々で頭がボーッとしてきた。
そんな時、首元の圧迫感が無くなった。
「ユーちゃん」
ナツがボクの名前を呼ぶ。
「ユーちゃん言うな。で、なに?」
「急に黙っちゃったみたいだけど、どうしたの?」
余りにピンポイントな質問で、心臓を鷲掴みされたような錯覚に陥る。
ナツに抱きつかれたことにドキドキして、身動きがとれなくなりました。なんて言えるわけ無いだろ!
「べ、べつに。……なんでもない」
「えぇー、嘘だぁ。また天誅しようか?」
ナツの腕がピクッと動くのを感じた。
これ以上締められたら色々と堪らないボクは、ナツが力を入れる前にその腕を掴み、阻止することに成功した。
「それよりっ! スイカはどうしたんだよ? 早く食べたいんだけど」
「おおっ、ユーちゃんで遊ぶのに夢中で忘れてた。ユーちゃん頭いい! すぐ取ってくるね!」
ナツはボクから離れると、ペタペタとスイカを取りに向かっていった。
「はぁ……」
ボクはどっと押し寄せてきた緊張からの開放感から、ため息を吐く。
そっと首筋に手を当てる。ナツがさっきまで腕を回していたところだ。
未だその時の感触が残っている。腕だけではなく、ボクを覆うように被さってきた身体全体の柔らかさ、温かさ。
そして、ふわっと香ったセッケンのいい匂い。
……って、何だかボクが危ない人みたいじゃないかっ!
ボクは自分の思考に頭を抱える。
「……えっと、何やってるの?」
心配というか、困惑というか、見てはいけないものを見てしまったといった感じの、ナツの上擦った声が掛けられる。
「見ての通り、やけになってる」
「どうして?」
「そこは聞かない方向で」
「ふーん……」
まぁ、ユーちゃんが言いたくないのなら聴かないでおくね。
そうナツは言って、ボクの隣に腰を下ろした。
「ユーちゃん、ユーちゃん」
「ユーちゃん言う――」
な、と言い掛けたところで、目の前が真っ赤なモノに遮られた。
「はい。ユーちゃんご指名の、スイカ四分の一カットのまた三分の一カットだよ」
「ふつうに十二分の一カットって言えよ……」
ボクはナツの言葉に文句を言いながら、スイカを受け取る。
「お塩は?」
「無粋」
スイカを味わうのに、そんなもの必要ない。
「そっか」
「そうだ。って、お前は何を持ってるんだ?」
てっきりナツもスイカを食べるものだと思っていた。しかし、ナツが手に持っている物は、形は抽象的に捉えればスイカと同じ三角の形をしているが違う物だった。
第一印象は白銀の山。太陽の光を反射して、幻想的に輝いている。ボクは不覚にも魅入られてしまった。
だがそれだけじゃない。富士山の頂上に雪が積もり、白く雅に飾っている様に、この白銀の山にもそれがある。
まるで、南国の空を溶かしたのではないかと錯覚するほどの蒼穹が、白銀の山の頂を彩っていた。
「かき氷。トッピングは……、ブルーハワイか?」
「大正解!」
嬉しそうにボクの質問に答えると、ナツはスプーンでかき氷を一匙掬う。シャリッと涼しげな音が鳴る。
「いただきまーす」
パクッと効果音が付きそうな勢いでかき氷を食べる。
おいおい、そんな一気に食べたら……。
「ンーーーーッ!?」
ほら起きた。アイスクリーム頭痛だ。
ナツは足をバタバタさせて痛みを耐えている。
「大丈夫か?」
「う、うん。やっぱりかき氷はこうでなくっちゃ」
ナツはこの頭痛を楽しんでいるというのか、笑顔を作って答えてくる。
「ねぇユーちゃん」
「ユーちゃん言う……、まぁいいや。なに?」
呆れたボクに、夏の太陽に負けないキラキラとした笑顔を浮かべ、
「夏はやっぱり、スイカとかき氷だよねっ!」
心弾んだ声で、そうナツは宣言した。
楽しそうなナツに釣られて、ボクも笑って頷いた。
「ユーちゃん」
「ユーちゃん言うな」
「……あのね、言おうか言うまいか迷ってたんだけど、でも言うね?」
先程の心から楽しんでいる表情から打って変わって、ナツの真剣な眼差しがボクを捉える。
「お、おう。言ってみろ」
その迫力に気圧されながらも、ボクはナツに続きを促す。
何だろう。ナツはボクに何を伝えようというのか。
ボクは若干の期待をしながらナツの言葉を待つ。
「ユーちゃん――」
ナツはボクの目……ではなく、ボクの手に持ったスイカを見て…………。
え? スイカ?
ボクはスイカに視線を落とす。
そのには黒い物体がいた。
「ユーちゃんのスイカに、カブトムシがいるよ?」
世界が止まった。




