大仰
大仰にものを書こうとする者は総じて無知だ。あと偉大な作家の名前を会話に出そうとする者に対してもあまりいい印象を持てない。
特定の個人を指すわけではないけれども、偉そうな書き方をする人間には自信が欠けていて、それと同様に偉い作家について語る者も自分はあまり好意的に見られない。
そもそも小説という物は人に読んでもらい、主題を理解してもらうことに意義があるのであり、読者に対して優位に立とうだとかそういうものではないのである。そういうことを考えるのは推理小説の中だけでいい。
偉い作家について頼んでもいないのに語る者は大抵、その名でこちらを威圧しようとしている印象を与えてくる。昔の作家が偉大なのはこちらもよく知っているのだからいい加減やめにして欲しい。そもそも作家なんてものは死ぬか老けるまで評価されにくいのだから昔の人が評価されるのは当たり前である。百年後にはドストエフスキーより偉大な日本人が誕生しているかもしれないし、偉大の尺度が変わっているかもしれない。
というようなことを書こうと思ったのだが、実は冒頭の『大仰』を書くのにかなりの時間をかけてしまった。おおぎょうだった。小生、うっかりしていた。