無能な悪役令嬢は魔剣に愛された運命の花嫁
「リシェル=アルドリーテ、前へ」
名が呼ばれたとき、空間を静謐たらしめていた静寂が揺らいだ。
数百、数千に及ぶ剣が宙に浮かび、主を待って静かに脈動する。
魔剣選定の儀。
それは、この魔導国家ヴィルジオンに生を受けた貴族にとって、最も神聖とされる儀式である。
魔剣とは、所有者の力を増幅させるための機構。
内在する魔力を引き出し、変換を経て最適化することで、個人では到達し得ない領域の戦闘能力を実現する。
故に魔剣の選定は、才能の証明そのものだった。
一振りの性能と適合率が、そのまま個の価値を決定付けるためだ。
公爵令嬢リシェル=アルドリーテもまた、例に漏れず祭礼場の中心へと立つ。
「魔導軍第一部隊隊長、アルドリーテ公爵の御息女か」
「噂では閣下に並ぶ剣才の持ち主と聞くが」
「さて、どの魔剣が応じる……?」
期待と興味の視線が一斉に集まる中、厳かに祝詞が唱えられる。
「魔剣よ、輪廻を漂いし不滅なる魂よ。この者を主と認めるならば、鋼の福音を以て応えたまえ」
リシェルが虚空へと手を伸ばした、次の瞬間。
刃が一斉に震えた。
「……なんだ?」
異変の中で誰かが呟く。
その理由を理解出来る者は一人とていない。
数千の刃に囲まれたその只中で、リシェルは無感動に虚空を見つめ続け、そして――――――――
キン――――バキン――――ガキン――――
一斉に折れた魔剣を、その透明な瞳に映した。
リシェル=アルドリーテは神童である。
幾つもの戦場で一騎当千の活躍を見せ、剣鬼と讃えられたオズヴェルト=アルドリーテを相手に、子どもながらに肉薄する腕前を持つ、剣に愛され剣士になるべくしてこの世に生を受けた少女。
この魔剣学園でも輝かしい道を歩むはずだった。
しかし、魔剣選定の儀を境に、その評価は一変した。
「ははっ、期待外れもいいところだな」
「魔剣に選ばれない女とは」
「アルドリーテ家も落ちたものですわね」
「どうせ親の七光りで持ち上げられていただけでしょう」
公爵令嬢とはいえ、魔剣を持たなければ評価はされず、『無能』、『落ちこぼれ』と侮蔑される不遇の日々を過ごした。
中でも心無い扱いをしたのは、同じ貴族の令嬢たちだ。
「あらご覧になって。あんなところに錆びた鈍らが転がっていますわ」
見目麗しい美貌に剣の才、家格、王太子の婚約者に選ばれた確約された将来、全てを併せ持つ羨望の対象だったリシェルだが、魔剣が扱えないという免罪符があれば向けられるのは嫉妬や嘲笑。
腰に差した形だけの剣は、鉄屑と何ら変わりない。
「随分と調子に乗っていたようですし、罰が降ったのかもしれませんわね」
「なんて無様なのかしら」
「ああはなりたくないものですわ」
クスクスと笑いが広がる。
リシェルは反論せず、怒りを発露することもしない。
そんな生来の感情の機微に乏しい性格も災いした。
「何とかおっしゃったらどうなの? すかしちゃって。本当、気に食わないんだから……!」
無視されたと一人の令嬢が苛立ちを露わにするが、リシェルは尚も何も言わない。
視界に捉えてさえいないとばかりにその場を通り過ぎた。
「待ちなさいよ……っ!」
令嬢は戯れに魔剣に手をかけ、風の魔力を巻き起こした。
リシェルの髪を、スカートを切り刻んでやれば、少しは可愛げのある顔をするだろう、それはさぞ胸のすく思いをするだろうと。
明確な悪意をもって刃を鞘から抜こうとしたとき、それは起こった。
「きゃっ?!!」
令嬢の魔剣が発した風が、令嬢の頬を切り裂いたのだ。
「きゃああ!! お、お顔が!!」
「血っ、血……!!」
「だっ誰かぁ!!」
リシェルに絡んでいた令嬢たちは騒ぎ立てながら散っていったが、それすら彼女は意に介さなかった。
令嬢が顔に消えない傷を負った日から、同じような事件が数度起こった。
リシェルにちょっかいをかけた生徒が、悉く不幸に見舞われた。
頭に水をかけようとしたある者は湖で溺れ、ある者は私物を燃やそうとして実家が全焼した。
またある者が、リシェルに決闘を持ちかけた。
「少し剣の成績が良いからつけ上がるなよ! 魔剣に選ばれなかった落ちこぼれのくせに!」
実技において
剣の腕で及ばずとも、魔剣の決闘ならば、と。
それは立場をわからせるためのものであり、見物人たちも含め、誰一人リシェルが無様に這いつくばる姿を想像した。
が……
「ぅ、うわあああああ!! 剣が、僕の腕がぁ!! ああああぁ!!」
結果を先に論じるならば、決闘にすらなり得なかった。
相手が構えた瞬間、手の中で魔剣が爆発したのだ。
身体中が刃の破片でズタズタになっただけには収まらず、手の腱が切れ、剣士どころか日常生活もままならなくなったわけだが、この一件を境にリシェルに絡む者は消えた。
代わりに彼女を忌み嫌うようになり、とある噂が真しやかに流れるようになった。
『リシェル=アルドリーテは魔剣に呪われている』、と。
身の回りで起きる不運不幸は全てリシェルの仕業。
彼女がいるとどんな目に遭うかわからない。
いつしか悪役令嬢の呼び名が定着したが、噂についても身に起きている事実についても、リシェル本人はどうとも思わず、相も変わらない無機質な表情を浮かべた。
ただし、彼女を取り巻く者たちにとってはその限りではなかった。
学園の一角、立ち入りを禁じられた旧棟。
夜も更け人の気配は無いはずのその場所に、湿った息遣いが満ちていた。
「ん……っ、はぁ……殿下ったら、そんなに焦らなくても」
「ミルドゥエナ、お前があまりにも魅力的だからな」
衣擦れの音と荒い呼吸が絡み合う。
「でしょう? あの女と違って、私はちゃんと応えて差し上げていますもの」
「リシェル、か」
肉の欲に溺れていたが、その名が出た瞬間、王太子フィルダムは露骨に顔を歪めた。
「つまらん女だ。何をしても反応が無い、あれはまるで人形だ。触れても、縋りもしない。あれが婚約者など反吐が出る。いくら奴が落ちこぼれとわかる前の、王家がアルドリーテ公爵家と取り交わした約定だとしても」
「まぁ……」
ミルドゥエナ=スウォード……聖なる魔剣に選ばれた伯爵家の令嬢は、わざとらしく驚いたような声を出した。
「ですが、それももう終わりなのでしょう?」
「ああ」
吐き捨てるように言いながら、王子は彼女の顎に手を添えた。
「魔剣にも選ばれない女など価値は無い。お前の方がよほど可愛げがある」
その言葉に、ミルドゥエナはクスリと笑みを含んだ。
「嬉しいですわ殿下」
だがその瞳に宿るのは、純粋な喜びではない。
欲望と優越感、そして底の浅い打算であった。
「殿下もステキですわよ」
王子は笑った。
下卑た、品の欠片も無い笑みだった。
「リシェルの件が済めば正式にお前を王太子妃に迎える準備を進めよう。父上も母上もわかってくれるだろう」
「光栄ですわ」
即答だった。
リシェルに対する良心の呵責も無く、ただ自分が選ばれているという事実に酔い、フィルダムの浮き出た鎖骨に指を這わせる。
「では、そのご期待に応えませんと……ね?」
己の欲望に忠実な女だった。
王子フィルダムもまた同じ。
責務も誇りも投げ捨て、目の前の快楽に溺れるだけの男。
誰も気付いていない。
自分たちの浅薄さが、どれほど取り返しのつかないものを切り捨てようとしているのかを。
深夜の学生寮、リシェルの部屋に一通の手紙が届いた。
差出人はフィルダム。
話があるから講堂に来いという旨の内容だ。
リシェルが講堂の扉を開けると、中にはフィルダムとミルドゥエナが並んで立っていた。
「よく来たなリシェル」
「こんばんは」
冷たい声と薄ら寒い笑み。
こんな時間になんのご用でしょう、などと問うこともせず、リシェルが二人へと歩を進めたそのとき。
ザシュッとリシェルの胸が裂けた。
「はい、これでおしまいですわ」
噴き出る鮮血の向こうでミルドゥエナが剣を払う。
リシェルは一拍を置き、背中から倒れた。
「呆気ないものでしたね」
「いくら剣の腕が立とうが所詮は落ちこぼれだ。魔剣を相手に勝てる道理など無い」
ミルドゥエナの魔剣は空を裂く。
視認出来る範囲ならば、絵の上に筆をなぞらせるように万物を断つことが出来る。
如何に強かろうと速かろうと、彼女の前では意味を成さない。
「言われるままに斬りましたが、この死体はどうしますの? それに魔力を検知でもされたら」
「なに心配するな。すぐに片付けさせる。第一これは魔剣に選ばれすらしなかった女だ。針の筵に耐えきれず自害したか、魔剣に拒絶され自らの身を斬り裂かれたか、いくらでも偽装は出来る。なんせこいつは、剣に呪われた悪役令嬢だからな」
「クスッ、たしかに」
フィルダムは倒れたリシェルの顔を見て舌打ちをした。
「死んで尚も可愛げの無い顔だ。こんな奴が婚約者だったなどゾッとする」
二人腕を組みリシェルの遺体を通り過ぎた、瞬間。
「ああ、僕も同じ気持ちだよ」
静寂の講堂に声が一つ降りた。
「っ?!」
二人は肩を震わせて振り返った。
すると、倒れるリシェルの傍らに一人の青年が立っていた。
「誰だ……貴様……。いつの間にそこに……」
白みがかった長い髪に、色素の薄い目の青年は、しゃがみ込むとリシェルへと手を翳した。
「リシェル、今その『死』を斬ってあげるね」
床に広がる血溜まりがリシェルの体内へと回帰し、裂かれた胸の傷が閉じていく。
リシェルの顔には血の気が宿り、安定した呼吸で腹部が上下している。
生気を失っていた……否、たしかに生命活動は停止していたのにも関わらず。
「う、嘘……傷を癒した……?! いえ……死人を、生き返らせた……?!」
「魔剣の力か……しかし、そんな魔剣聞いたことも……それに奴は、魔剣など握っていない……! き、貴様、いったい何者だ!!」
「少し黙ろうか」
男が小さく指を振るうと、
「ぎっ、ぎぃやあああ!!」
「で、殿下……おっお口が……!!」
フィルダムの口の端が耳まで裂けた。
「静かにしようか。僕の花嫁が起きちゃうから」
目の前の惨事など気にする様子もなく、春の陽だまりのような穏やかで甘い声色で微笑む。
「ばなっ、ばだよめ、だど……?!!」
「うん。この子が産まれる前からずっと、この子は僕の花嫁になる運命なんだよ。ずっと傍で見守り続けてきたのに、一時でも君みたいな愚劣な男の婚約者になるなんて。僕は悲しみで胸が張り裂けそうだった」
ああ、そういえば……と、瞳はミルドゥエナを射った。
「リシェルの胸を裂いたのは君だったね」
「ひっ……?!」
「どうして? 僕以外が彼女の肌に触れるの? ねえ」
その眼差しは正確には、ミルドゥエナの腰に差された魔剣に向けられていた。
魔剣はガタガタと激しく震えると、鞘内で鈍い音を立てて砕けた。
まるで恐怖に慄き自ら死を選んだように。
「わっ私の魔剣が……!! なんで、どうし、かひゅ――――――――」
「ダメじゃないか。主なら自分の魔剣くらい躾けておかなきゃ」
「っこ、か……ひゅっ……?!!」
「ど、どうひた、ミルドゥエナ……?!!」
「息……できな、ごぼぇ……?!!」
ミルドゥエナの口から夥しい量の血が溢れる。
胸を押さえ涙目で蹲ったが、なんてことは無い。
斬ったのだ。
呼吸器官を、斬るという過程を。
「苦しそうだね。でも、リシェルの苦しみはそれじゃ足りないからさ」
男が笑うと、胃の壁が斬れて更に吐血した。
骨が斬れた。悶絶した。
視神経が斬れた。ミルドゥエナの目から光が消えた。
「あぁ、嫌、だす、助げ、でぇぇぇ……!!」
「うん、まだ足りないかな」
最後に彼が斬ったのは、若さ。
髪は抜け落ち、肌は土色に、老いさらばえたその姿に、フィルダムは絶句した。
「ぁ、あ……!!」
目の前の惨状に身を竦ませるフィルダムは、ただ見ていることしか出来なかった。
やがてミルドゥエナの命の火が消えた。
魔剣も王子も助けてくれず、恐怖で引き攣った、なんとも惨めな死に顔のまま、血の一滴も残さず風化した。
「み、ミルドゥエナ……」
ミルドゥエナの遺体の灰の山を前に、フィルダムはひたすらに思考を巡らせた。
男の正体、この場から離脱する方法、謝罪……混乱したか挙げ句に選んだのは、魔剣を抜くという暴挙であった。
「こ、の……私を、誰だと思っている痴れ者がァ!!」
しかし、魔剣はフィルダムの意思とは裏腹に鞘から出ることを拒んだ。
「くっ、このっ、何故抜けない!!」
「その子は賢いんだろうね。僕に逆らわないよう必死なんだよ」
「な、何を言っている!!」
フィルダムは知らない。知る由もない。
この世界に存在する魔剣は、全て一本の始祖たる魔剣を源流に派生したものであることを。
その魔剣は個という意思を持ち、長い年月を経て神格へと至り、唯一人の運命の花嫁が生まれるのを待った。
剣に愛され、剣士になるべくして生まれた少女、リシェル=アルドリーテを。
魔剣は歓喜した。人ならざる身でありながら、強く美しい彼女に心酔した。
空を覆わんばかりの愛情を理由に、並外れた嫉妬と執着心で、あらゆるものを斬った。
自分以外の魔剣が選ばれようものならそれを斬り、リシェルに害を成した者の『身体』と『幸運』を斬った。
今また一つ、魔剣は斬らんとしていた。
リシェルを傷付けた悪辣の元凶を。
「さて、どうしようかな」
魔剣は考えた。
「一度でもリシェルの婚約者となったんだ。百万の肉片に斬っても僕の気が晴れない。ましてや婚約者の身でありながら彼女を蔑ろにするなんて。……いや、どうだろう。手を繋いで口付けをしていないだけ赦す余地を与えてもいいのかな」
ニコリ、と笑みを一つ。
威圧感が解け、フィルダムはほっと肩を落とした。
「嘘に決まってるだろう」
深く黒い汚泥のような声が、ずしりとフィルダムに膝をつかせる。
「ひっ……な、なんだ……なにをする気だぁ……っ?!!」
「君は未来永劫、最上の特等席で僕たちの幸せを眺めることを赦そう」
それが、王太子フィルダムの最期であった。
「――――――――」
声は届かず、掴みかかろうとした手がすり抜ける。
魔剣は彼の、『世界との接続』を斬った。
生者でもなく死者でもなく、彼はこの先誰にも何にも干渉することが出来ない。
次に『因果』とを斬った。
誰の記憶からも消え失せ、存在していた事実もすでに世界には存在しない。
世界は流れ、人は笑い、季節は巡るが、何百年、何千年と老いることも眠ることもないフィルダムは、リシェルと魔剣の行く末を見守ることしか出来ない、路傍の石ですらない何かとして、虚しくも世界から消えた。
リシェルに刃を向けた愚か者に与えられた、唯一にして絶対の救いの無い結末だった。
「リシェル、僕の愛しい花嫁。僕だけが君を幸せにしてあげられる。僕以外見ないで。僕以外の声に耳を貸さないで。そのためなら、僕は何でもするから」
その後、リシェルは婚姻を結んだ。
灰となって消えた令嬢のことなど誰も覚えていない。
落ちこぼれ、呪われた悪役令嬢と呼ばれながらも、逆境に打ち勝った努力の令嬢。
周囲は手のひらを返したように祝福を贈った。
「リシェル様、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「王太子殿下と幸せになってください!」
花嫁姿のリシェルの肩を、隣に立つフィルダムがそっと抱いた。
「ありがとうみんな」
柔和な笑みでリシェルに囁く。
「みんな自分が今まで何をしたか忘れているのかな。ハハ、浅ましいね。リシェルが望むならあいつら全員斬ってしまおうか」
そこにいるのがフィルダムでないことに、いったい誰が気付けるだろう。
存在の成り代わり……存在を斬った空白に自分を入り込ませた魔剣は、細腕で彼女を抱き上げて、共にその身に万雷の喝采を浴びた。
「愛してるよ、リシェル」
一人の人間を愛したその魔剣は全てを斬り裂いた。
この先に待ち受ける苦境、国家間の不和、リシェルに縋りつこうとする輩。
誰も知らない。誰も知り得ない。
彼女が他の何にも興味を示さないよう――――――――リシェルの『感情』をも、すでに斬ってしまっていることを。
「ずっと君は、僕だけの花嫁だよ」
読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
当方、物腰の柔らかい甘い男が癖ぇぇぇ!!なんですわ。
そんな男はヤンデレがよく似合う(確信)
その結果ヒロインが一言も喋らないという作品が出来たわけですが。
いつもは百合ファンタジーを書いていますが、短編はいろいろな恋愛ものを書いたりしてします。
もし興味があればそちらもぜひ。m(_ _)m
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