第5話 桂川モール音楽ショップ、試奏地獄、そして「やらかし」発動
桂川モールの音楽ショップは、
放課後の高校生にとって危険地帯や。
何が危険って、テンションが上がる。
テンションが上がると、人は余計なことをする。
余計なことをしたら、人生がズレる。
――つまり、ここは地雷原や。
羽柴秀吉は、譜面棚の前で小さくうなった。
(頼むから、今日は譜面だけ買わせてくれ)
目的はそれだけ。
ギター譜面を一冊。
それだけで帰る。
……それで済むなら、人生は平和や。
「秀吉くん、どれ買うん?」
隣には、もちろん高台寺寧々。
息するみたいに横にいる。
「まだ決めてへん」 「ほな、寧々が決めたるわ!」 「決めるな! 人の人生を!!」 「人生ちゃう、譜面や!」 「譜面でも人生変わるねん!」
謎理論である。
その少し後ろで、京極竜子が静かに棚を見ていた。
「……羽柴くん、好きな曲あるん?」 「まあ、いろいろ」 「ふふ、逃げた」 「逃げてへんわ!」
竜子は笑っているだけで、圧がない。
寧々は笑ってへんのに、圧がある。
この差、なんや。
少し離れたところでは――
「プリクラ撮ろや!」 「今は黙れ」 「なんで!? 青春やで!?」 「青春を大声で言うな」 「青春は叫ぶもんや!」 「黙れ言うてるやろ」
まつの握力で、利家の耳が引っ張られている。
助けてやりたいが、
助けたら確実に巻き込まれる。
ここは見なかったことにする。
その時、店員がふわっと近づいてきた。
優しそうな兄ちゃんや。たぶん大学生。
「試奏、されますか?
空いてますよ」
(あ、あかん)
秀吉の頭の中で、警報が鳴った。
試奏は危険。
弾いたら注目される。
注目されたら、寧々が調子に乗る。
調子に乗ったら、事故る。
「いや、大丈夫です」 「えー! 弾いてや!」 「寧々、頼むから黙れ」
寧々は、店員にニコッと笑いかけた。
「この子、めっちゃ弾けますねん!
ほんまに! プロちゃうか思うくらい!」 「言い過ぎや!!」
竜子が小さく首をかしげる。
「プロ、なん?」 「ちゃう! 絶対ちゃう!
ただの趣味!」
「ふふ、必死」
必死や。
ほんまに必死。
秀吉は、“上手い”と言われるのが一番弱い。
サッカーで膝を壊して、
頑張っても戻らへんものがあると知って、
それでも何かにしがみつきたくて、
ギターを覚えた。
それは誇りでもある。
同時に、触れられたくない場所でもあった。
「いや、やめとく」 「弾いて」 「やめとく」 「弾け」 「命令形にすな」
寧々が、にゅっと顔を近づける。
「なあ、秀吉くん」 「近い」 「弓道でもな、
“怖い”って思った瞬間に負けるねん」 「弓道持ち出すな!」
「怖いん?」 「……怖いわ!」
言うてしもた。
「ほら! 怖いって言うた!」 「言うたけど、弾かへん!」 「ほな、うちが弾く!」 「無茶すな!」
寧々がギターに手を伸ばした瞬間、
遠くからまつの声。
「寧々! 触るな! それ高い!」 「値段で止めるな!」
利家が拍手する。
「寧々、いったれ!」 「お前は煽るな!」
店員が苦笑する。
「軽くなら大丈夫ですよ。
指紋とかは拭きますし」 「指紋の問題ちゃうねん……」
その時、竜子が静かに言った。
「羽柴くん」 「……なに」 「弾いたら、ええやん」 「なんでそんな落ち着いて言えるん」 「だって、弾けるんやろ?」 「……弾けるけど」
竜子の声は柔らかい。
寧々の声は火炎放射器。
どっちが効くか。
そら火炎放射器や。
心が焼ける。
「……分かった。ちょっとだけな」 「よっしゃぁぁぁ!!」 「叫ぶな!」
寧々が拍手し始め、
周りの客がチラッと見る。
終わった。
もう終わった。
秀吉は試奏席に座った。
手に取ったのは、シンプルなアコースティックギター。
指板を撫でると、木の匂いがする。
(……落ち着け。
ただ弾くだけや。
誰も見てへん)
――見てる。
寧々と竜子が、真横に立っている。
近い。圧がある。
まつと利家も、少し離れた場所から見ている。
秀吉は一度、深呼吸した。
軽くコードを鳴らす。
チャーン。
その音に、店内の空気がほんの少し変わった。
「……え」
寧々が目を丸くする。
秀吉は、ゆっくり指を動かした。
練習してきたカバー曲のイントロ。
指が、覚えている。
次の瞬間――
音が、綺麗に鳴った。
思った以上に、綺麗に。
店員が顔を上げ、
近くの客が足を止めた。
そして、寧々が――
「ちょ、待って、ほんまに上手いやん!!」 「黙れええええ!!」
叫んだのは秀吉や。
「上手いって言うな! 注目されるやろ!」 「されてる! もうされてる!」 「最悪や!」
竜子が笑う。
「うまい」 「言うな!!」
利家の声が飛ぶ。
「秀吉ぃぃ! かっこええええ!!」 「お前は黙っとけ!!」
パシン、と音がした。
まつが利家の頭を叩いた音や。
「音楽ショップで叫ぶな」
秀吉は、演奏を続けた。
止められなかった。
途中で止める方が、もっと恥ずかしい。
だから、弾くしかない。
(……これ、完全に事故や)
それでも、指は止まらない。
音が気持ちいい。
久しぶりに、
自分の中の何かが、生き返る感覚がした。
曲が終わった瞬間。
一拍、静寂が落ちて――
パチパチパチ、と拍手が起きた。
「え、拍手!?」 「拍手や!」 「誰が!?」 「お客さんが!」 「やめて! 恥ずかしい!」
秀吉はギターを置き、立ち上がった。
顔が熱い。耳まで赤い。
「……ほら、終わり!
譜面買って帰る!!」
逃げるように棚へ向かうと、
寧々が腕を掴んだ。
「待って」 「何」 「今の、ずるいわ」 「何が」
寧々は、真顔で言った。
「……惚れるやん」
秀吉の思考が、完全に停止した。
「は?」
竜子が静かに首をかしげる。
「寧々ちゃん、言うた」 「言うたで! 言うたったで!」
寧々は顔を赤くしながらも、引かない。
「だって、かっこよかったもん!
うち、嘘つかへんし!」 「今言うな! ここ! 音楽ショップ!」 「場所は関係ない! 春や!」
「春万能説やめろ!!」
利家が転げ回って笑っている。
「秀吉、モテるやん!」 「モテてへん!!」
まつが淡々と言った。
「秀吉、噂になるで」 「やめてくれ……」
竜子が、小さく微笑んだ。
「羽柴くん」 「……なに」 「また、弾いて」 「……気軽に言うな」
その一言が、なぜか救いだった。
燃やされへん。
でも、ちゃんと届く。
秀吉は譜面を一冊手に取り、レジへ向かった。
(……俺、何しに来たんや)
譜面を買いに来ただけや。
それだけやのに――
「惚れるやん」 「また、弾いて」
春の一言が、
人生の譜面を書き換え始めていた。
桂川モールは、今日も地雷原。
秀吉はまた一つ、
余計なことをしてしまった。
(……ほんま、勘弁してくれ)
そう思いながらも、
胸の奥が、少しだけ熱かった。




