第24話 一乗寺の二人 ――ラーメンの街で、恋の相談は重たい――
阪急電車が烏丸駅に滑り込む。
ドアが開いた瞬間、空気が変わった。
「ほな、わしここで降りるわ」
羽柴秀吉は、いつも通りの声で言うた。
膝をかばう素振りも見せへんまま、改札へ向かう。
「気ぃつけて帰りや」
まつが言う。
「膝な。無理すんなよ」
利家が続ける。
「おう。また明日な」
――それだけ。
ほんまに、それだけ言うて、秀吉は人混みに消えた。
まつと利家は、その背中を見送ってから、同時にため息をついた。
「……あいつ、分かってへんやろ」
まつが先に言う。
「分かってへん」
利家が即答する。
「全然、分かってへん」
電車は再び動き出す。
次は、一乗寺。
■ 一乗寺という街は、腹と人生を満たす場所
一乗寺。
学生とラーメン好きの聖地。坂が多くて、寺があって、夜は静かで、昼は腹が鳴る。
駅を降りた瞬間、まつは深呼吸した。
「……帰ってきた感あるな」
「せやな」
利家が頷く。鼻先を少し上げた。
「この空気、ラーメンの出汁みたいな匂いする」
「それはお前の鼻が、もうラーメン専用になってるだけや」
二人は並んで歩く。
いつもの道。いつもの景色。
けど今日は、足取りがちょっと重い。
一乗寺は、腹を満たす街で――
迷ってる若い人間を、黙って通す街や。
だから余計、胸の内の温度がバレる気がして、歩幅が揃ってまう。
■ まつ、切り出す(料理人の勘)
「……なぁ利家」
まつが、歩きながら言う。
声は軽い。けど目は真面目や。
「寧々、今日……ちょっとちゃうかったやろ」
「ちゃうかった」
利家、即答。
「目、泳いでたし」
「声、でかかったし」
「LINE、短かったし」
「それ、完全にあかん時の寧々や」
二人、同時に頷く。
「恋やな」
まつが言う。
「恋や」
利家も言う。
「しかも、重たい恋や」
「しかも、相手が悪い」
「悪い言うな」
まつが刺す。
「悪い。あいつ、無自覚すぎて罪深い」
利家が頭を掻く。
「秀吉なぁ……」
「言うな」
「言わせろ」
「どうせ“普通にしてるだけ”やろ」
「そうや」
「それが一番あかんねん」
まつが腕を組む。
「寧々な、ああ見えて繊細やで」
「知ってる」
「強いふりするし、うるさいし」
「うるさい言うな」
「事実や」
利家が苦笑する。
「でも、あいつ、一回スイッチ入ったら簡単に引かへん」
「引かへんどころか、前に出る」
「出過ぎる」
「出過ぎて、壁にぶつかる」
「それ、東山の女の特徴か?」
「知らんけど」
■ 利家、男目線で言う(だいたい正論)
利家は、少し真面目な顔になった。
「……寧々だけちゃう」
「ん?」
まつが足を止める。
「竜子もや」
まつの眉が、ほんの少しだけ上がった。
けど驚きより、納得が先に来る顔。
「……やっぱり気づいてた?」
「そら気づく」
利家は肩をすくめる。
「昨日の夜から、様子おかしかったやろ」
「静かすぎた」
「静かな奴ほど、燃えてる時怖いねん」
まつは口をへの字にする。
「秀吉、ほんまに罪やな」
「罪や」
「本人、気づいてへん」
「そこが一番罪や」
二人、同時にため息。
「……どうすんねん、これ」
まつが言う。
「どうもせえへん」
利家が即答。
「は?」
「恋は本人のもんや」
「冷たいな」
「冷たいんちゃう。手ぇ出したら、余計ややこなる」
まつは少し考えて、ゆっくり頷いた。
「……せやな」
「せや」
利家が続ける。
「ただ――道踏み外しそうになったら、声かけたる。
それくらいは、親友として許されるやろ」
まつが、ふっと息を吐く。
「うん。うちも同じ」
そして目だけで笑った。
「泣くようなことになったら、うちは黙ってへん」
「それは俺もや」
利家が拳を軽く握る。
「まつが怒ったら、京都揺れる」
「揺れへんわ」
「一乗寺は揺れる」
「狭すぎるやろ」
■ 家の前で、二人は立ち止まる
前田屋の前。
暖簾。灯り。出汁の匂い。
いつもの“家”が、二人を現実に引き戻す。
「……帰るか」
利家が言う。
「せやな」
まつが答える。
でも二人とも、すぐには中に入らん。
暖簾の前で、もう一回だけ、同じ名前が胸を横切る。
「なぁ利家」
「ん?」
「秀吉さ……悪い奴ちゃうんやけどな」
「ちゃう」
「むしろ、ええ奴すぎる」
「それが一番ややこしい」
利家は空を見上げた。
一乗寺の空は、広くない。
でも、静かで、ちゃんと夜や。
「……俺、秀吉の親友やけど」
「うん」
「今回ばっかりは、どっちの味方もでけへん気する」
まつは一拍置いて、言うた。
「それでええ」
声は軽いのに、芯があった。
「次に動くのは、あの二人や。うちらは――見守る番や」
利家が少し笑う。
「見守る番って、地味やな」
「地味やけど、肝心や」
「ラーメンみたいやな」
「急に何や」
「濃すぎてもあかんし、薄すぎても物足りん」
「恋をスープで語るな」
「語れる」
「語れるか」
二人、顔を見合わせて笑う。
そして最後に、まつが小さく言うた。
「……寧々、大丈夫やろか」
「大丈夫や」
利家は言い切った。祈りやなく、信頼で。
「強いから?」
「強いから。……でも、傷つくで」
「うん」
「傷ついて、立つんや」
まつは暖簾を見て、静かに頷いた。
「……ほんま、青春ってややこしいな」
「せやな」
「注文したらすぐ出てきたらええのに」
「出てきたら、火傷するわ」
店の明かりが、二人を照らす。
一乗寺の夜は、いつも通り静かで――
若い恋の話題だけが、やたら熱かった。
寧々のことを思いながら。
竜子のことを思いながら。
そして、何も分かってへん秀吉の顔を思い浮かべながら。
二人は、それぞれの家に入っていった。




