第23話 震えるほど恋してる(竜子) ――静かな下京の路地で、心臓だけ祭り――
桂川高校、午前中解散。
臨海学校が終わった日って、体はヘロヘロやのに、心だけが妙に元気や。
――いや、竜子の場合は、元気とかいう可愛い言葉やない。
(震えてる)
駅へ向かう道すがら、まつが寧々に何か言うてる。
利家が「ラーメン行こ!」って浮かれてる。
秀吉がそれを「行こか」って、いつもの顔で受けてる。
その輪の端っこに竜子はおった。
おったけど――
(無理や)
胸が熱い。
指先が冷たい。
手が、ほんまに小さく震えてる。
秀吉の声を聞くだけで、
近くにおるだけで、
顔見たら、もう。
(止まらへん)
昨日の「シリウス」。
今日の朝の優しさ。
バスで鼻歌。
あの“当たり前の優しさ”。
(……好き)
言葉にした瞬間、さらに震えが増す気がして、竜子は心の中で飲み込んだ。
寧々がまつと話してる隙。
利家が券売機の話をしてる隙。
秀吉が「どこ寄る?」なんて普通に聞いてる隙。
竜子は、そっと一歩下がった。
(ごめん。今日は、無理)
誰にも聞こえへんように息を吐いて、
竜子はその場を離れた。
ラーメン?
今日はそれどころちゃう。
(麺すすったら、心臓が喉から出てきそうやし)
自分で心の中でツッコミ入れて、
でも笑えへん。
笑える余裕がない。
■ 烏丸へ:京都の中心で、心だけ迷子
阪急に乗る。
洛西駅から烏丸へ。
いつもの帰り道。いつもの景色。
なのに今日だけ、車内がやたら眩しい。
(なんでやろ)
理由は簡単や。
目の前におらんのに、秀吉の横顔が頭から離れへん。
(……さっきの“行こか”も)
(今日の朝の“大丈夫?”も)
(昨日の歌も)
竜子は自分の手を見た。
ほんまに震えてる。
(落ち着け)
(落ち着け竜子)
(うちは、下京の女や)
(下京の女、何の定義か知らんけど)
烏丸で降りた瞬間、観光客の波。
烏丸通の車。
四条烏丸の交差点の“京都らしい忙しさ”。
(京都、今日うるさいな)
いや、うるさいのは自分の心臓や。
■ パリジェンヌ:恋の鎮火にケーキは効くんか問題
竜子は足を止めずに歩いた。
近所で有名なケーキ屋さん――パリジェンヌ。
ショーケースの中、宝石みたいなケーキが並んでる。
いちご、チョコ、ピスタチオ。
全部が“落ち着け”って言うてるみたい。
「いらっしゃいませ」
店員さんがにこっと笑う。
竜子は口を開こうとして、
いつもより声が小さくなる。
「……モンブラン、ひとつ」
「ありがとうございます。他にいかがですか?」
(他に、って何)
(恋の震え以外に何がいるんやろ)
口には出さへん。
竜子は少し考えて、もう一つ。
「……ショートケーキも」
「二つですね。お持ち帰りで」
「はい」
袋を受け取る。
甘い匂いが、ほんの少しだけ胸を落ち着かせる。
(甘いもんは、正義や)
でも同時に思う。
(秀吉も、甘いんや)
(優しさが甘い)
(……やめて、連想が止まらへん)
竜子は心の中で自分にツッコむ。
(ケーキ買いに来て、秀吉思い出してどうすんねん)
(ほんまに、恋って厄介)
■ 帰宅:御茶を点てても、心臓は点火したまま
下京区綾小路。
家に着くと、空気が一気に“家業の匂い”になる。
玄関を開けた瞬間、
ふわっと香るお茶の匂いと、
遠くから聞こえるテレビの音。
「ただいま……」
返事はない。
たぶん誰か忙しい。
それが、ありがたい。
(今、誰にも会いたくない)
(会ったらバレる)
(震えてるの)
竜子はそっと自分の部屋に入って、
袋を机に置いた。
そして――
「……お茶、点てよ」
竜子にとって、茶は“落ち着くための儀式”や。
いつもより丁寧に道具を出す。
柄杓。茶筅。茶碗。
お湯の音。
茶筅のシャカシャカいう音。
普段なら、ここで呼吸が整う。
心が静まる。
――なのに。
(静まらへん)
茶を点てながら、
秀吉の顔が浮かぶ。
昨日の歌。
阿蘇海へ向かって、誰にも見られてへんと思って歌うてた横顔。
でも実際、聞いてしもた自分。
(あの時、うち……ほんまに)
(胸が、ズキューンって)
茶碗を持つ手が、また震える。
「……あかん」
竜子は茶碗をそっと置いて、深呼吸した。
(好きやねん)
(ほんまに好きやねん)
静かに認めた瞬間、胸が熱くなる。
火がついたってこういうことなんやろ。
(この火、どないしたらええん)
(消したくない)
(でも、燃えすぎたら怖い)
竜子はケーキの箱を開けた。
モンブランの香りがふわっと広がる。
「……いただきます」
一口食べたら、甘い。
ほっとする。
……はずやのに。
甘さの奥に、さっきまでの“秀吉の優しさ”が重なる。
(優しいの、ずるい)
(うち、静かな人間やのに)
(なんでこんな震えてるん)
涙が出そうになって、
竜子は笑ってしまった。
「……ほんま、憎い人やわ」
声は小さい。
でも、その言葉には本音が詰まってる。
憎い。
優しい。
好き。
矛盾が矛盾のまま、胸の中で燃える。
■ 静かな決意:側にいたい。けど、今は無理。
竜子は窓の外を見た。
夕方の下京の空。
遠くに見える烏丸通の車の流れ。
(秀吉の側にいたい)
そう思うのに、
側に行ったら震えが止まらへん。
(顔見たら、絶対バレる)
(うち、こんな分かりやすい人間ちゃうはずやのに)
竜子は茶碗を持ち直して、もう一口飲んだ。
温かい苦味が喉を通る。
やっと、少しだけ呼吸が整う。
(落ち着け)
(落ち着いて、明日また会うんや)
(明日までに、震え止めな)
でも心の奥では分かってる。
(止まらへんのやろな)
(恋って、そういうもんやし)
竜子は小さく笑って、
ケーキをもう一口食べた。
震えるほど恋してる。
静かな下京の部屋で、心臓だけが、やかましく鳴っていた。




