第11話 初日・バス出発 ――動き出す天橋立、動き出してしまった感情(竜子目線)
バスのエンジン音が、思っていたより大きかった。
ゴゴゴ……と低く唸って、桂川高校前の朝の空気を揺らす。
「……始まったな」
京極竜子は、窓際の席に座りながら、心の中で呟いた。
天橋立臨海学校。
二泊三日。
四月、GW前。
ただの学校行事――のはずやのに。
(……ただで済むわけ、あらへんやろ)
前の席。右側。
羽柴くんの隣には、高台寺寧々ちゃん。
もう、その時点で分かってしまう。
(取られた、やない)
(……最初から、取りに行きよったんや)
竜子は、そっと視線を前に戻した。
見すぎたらあかん。
見たら、心が動く。
――でも、見てしまう。
◆ エンジン音より、うるさいもん
「よっしゃぁぁ!!
天橋立やぁぁ!!」
後ろの席で、前田利家くんが叫ぶ。
「うるさい!!
まだ桂川出てへんわ!!」
即、まつちゃんのツッコミ。
「テンションだけ日本海渡ってるやん」
「海やぞ!? 叫ぶやろ!」
「叫ぶ前に黙れ!!」
バスの中が笑いに包まれる。
一気に“修学旅行前”の空気。
「……酔い止め飲んどこかな」
「飲み。あんた、顔色ですぐ分かるし」
寧々ちゃんの声。
自然すぎる距離。
「秀吉くん、弱いなぁ」
「しゃあないやろ」
「私、全然平気やで?」
「知ってる。その代わり、暴走するやろ」
「誰がや!!」
ノリツッコミ。
流れるように。
(……当たり前、なんや)
竜子は、ぎゅっとスマホを握った。
DOCOMOのiPhone。画面は暗い。
(……同じSoftBankやない)
そんなこと、普段なら気にもならへん。
でも今日は――今日は、あかん。
◆ 揺れるマスコットの意味
寧々ちゃんのカバンから、
小さく揺れるマスコットが見える。
パーサ君。
コトノちゃん。
(……京都サンガ)
羽柴くんが、ちらっとそれを見る。
「それ、サンガやな」
「せやで」
昨日と同じ会話。
昨日と同じ距離。
でも、今日は――分かる。
(あれ、ただのマスコットちゃう)
持ち方。
位置。
触り方。
(……宝物や)
理由は知らん。
でも、分かってしまう。
女の勘。
京都の女の、ややこしい勘。
◆ バス、出発
「ほな、行くでー!」
先生の声。
バスが、ゆっくり前に進む。
桂川高校が、後ろに流れていく。
毎日通ってた景色。
(……戻ってきたら、
何か変わってる気がする)
春の京都。
桜は散って、新緑が始まっている。
季節は、ちゃんと進む。
――感情も、進んでしまう。
「竜子ちゃん、酔い止めいる?」
後ろから、まつちゃん。
「ありがとう。でも大丈夫」
「ほんま? 顔、ちょっと硬いで」
「……そう?」
「そう」
鋭い。
包丁だけやない。
「なんかあった?」
「なんも」
「ほんま?」
「ほんま」
嘘やない。
でも、全部でもない。
まつちゃんは、それ以上聞かへん。
それが、あの人の優しさ。
◆ 見てしまう、という罪
高速に入る。
景色が早送りになる。
前の席。
「なあ、酔ってへん?」
「ちょっと」
「ほな、これ飲み」
水を差し出す。
迷いがない。
「サンキュ」
「当たり前や」
――当たり前。
(……それが、ずるい)
私は、思う。
自分なら一拍置く。
様子を見る。
言葉を選ぶ。
寧々ちゃんは違う。
もう、そこに居る。
(……あかん)
胸の奥が、ちくっと痛む。
羨ましい、やない。
悔しい、やない。
置いていかれてる感じ。
◆ 京都ネタは、だいたい火に油
「天橋立行ったら、股のぞきやろ」
「上下逆に見えるやつ!」
「ほんまに逆に見えるんか?」
「見える“気になる”だけや」
まつちゃん、即斬る。
「それ、京都人あるあるやな」
「信じてるようで信じてへん」
羽柴くんが笑う。
「観光客は本気やけどな」
「写真撮ってな」
「SNS用や」
「秀吉くん、やるやろ?」
「……やる」
「素直!」
また、笑い。
(……ほんま、楽しそう)
私は、スマホを見る。
通知はない。
(……別に、ええねん)
でも、見てしまう自分が嫌や。
◆ 静かな決意
バスがトンネルに入る。
一瞬、暗くなる。
その暗さの中で、私は決めた。
(……私、ちゃんと向き合お)
逃げへん。
黙って耐えるだけも、せえへん。
派手には行かれへん。
でも――
(……私なりのやり方で)
トンネルを抜ける。
光が戻る。
日本海の気配が、近づく。
前の席。
羽柴くんの横顔。
寧々ちゃんの笑顔。
揺れるマスコット。
(……負ける選択肢は、あらへん)
声には出さへん。
顔にも出さへん。
でも、心の中でははっきりと。
これは、私の青春や。
バスは走る。
天橋立へ。
静かな女の戦いは、
もう、始まっていた。




