第1話 受験番号101番、春のはじまりや
桂川高校の掲示板前は、朝からえげつない人だかりやった。
保護者はスマホを構えて前に前に詰めてくるわ、受験生は顔面真っ青やわ、生徒会は整理係で声枯らしてるわで、もはや戦場である。
「押さんといて! 押したら落ちるで! 縁起でもないわ!」
怒鳴ってるのは、生徒会の女子。
背筋ぴん、目つき鋭い。美人やのに口が容赦ない。
「そこのお父さん! 肩で押し合いせんといて!
受験番号の前に、人間性の試験しとんのちゃいますえ!」
……おい怖っ。
秀吉は思わず一歩引いた。
(生徒会って、あんな戦場なん……? 高校、怖ない?)
秀吉――羽柴秀吉は、一人で来ていた。
中京の蛸薬師町から阪急で来て、桂川高校の門をくぐった瞬間から、胃がキュッと縮んでいる。
今日は合格発表。
ここで人生の色が決まる。
……言いすぎか?
いや、言いすぎでもない。
「受験番号、受験番号……」
掲示板は三枚に分かれていて、
普通科、家政科、スポーツ科、コスモス(特進)と、見事に人間の運命がパネル分けされてる。
秀吉は普通科の列を、指で追った。
「……100、101……」
心臓が、ドン! と鳴る。
「……あった」
受験番号101。
そこに、確かに自分の番号があった。
「……合格や」
声が、自然と漏れた。
力が抜けて、膝がふにゃっとなる。
悪い意味ちゃう。
全身の重りが、一気に外れた感じや。
「よっしゃ……!」
拳を握りしめた、その瞬間。
「秀吉ィィィ!!」
背中に雷が落ちた。
「うわっ!!」
振り返ると、そこにいたのは――前田利家。
でかい。
とにかくでかい。顔も声も存在感も、全部でかい。
「合格したんか!? なぁ!? したんか!?」 「近い近い近い! 顔面が近い!!
お前、合格発表に筋肉で来とんか!」 「筋肉で来た!」 「来んな!!」
利家はニカッと笑って、秀吉の肩をバンバン叩く。
痛い。こいつは祝福を“打撃”で表現するタイプや。
「秀吉、ほんま良かったな!
俺もスポーツ科、受かっとった!」 「そら受かるやろ。
受からん方が学校側の恥や」 「俺、桂川高校の未来背負うかもしれん!」 「背負う前に前向いて歩け!」
そこへ、さらっと割り込む声。
「利家、うるさい。
ここ、合格発表の掲示板やで。
お前の声だけで不合格になる人おるわ」
前田まつ。
利家の幼馴染で、利家の彼女。
小柄やのに目が鋭い。
ツッコミの刃が、研がれすぎている。
「まつも受かったん?」 「家政科料理コース、合格。
……ほんで利家、もう一回言う。うるさい」 「ええやん! 嬉しいやん!」 「嬉しい時ほど声量落とせ。
テンション管理できひん男は将来太る」 「太らへんわ!」 「絶対太る。ラーメン好きやし」 「好きやしは関係ない!」
秀吉は思わず笑った。
(……ああ、春やな)
その時、横を通り過ぎる女子二人組が目に入った。
片方は明るそうで、目がキラキラしてて、口が止まらなさそう。
もう片方は落ち着いていて、品があって、静かに笑っている。
「受かってた!? なぁ、受かってた!?」 「落ち着き。掲示板、ちゃんと見よ」
京都弁。
柔らかいのに、芯がある。
秀吉は特に気にも留めず、視線を外した。
知らん子や。今日が初対面や。
今は利家とまつがおる。
それで十分や。
――しかし。
「ねえ! ちょっと! そこ、どいてぇ!
うち、番号見えへん!!」
明るそうな方が、ズンズン来た。
人をどかす勢いや。
「え、あ、すんません」
秀吉が一歩ずれると、彼女は掲示板を指で追い始める。
「……あ! あった!!
見て見て! うち、受かった!!」
その子は、知らん人相手に万歳した。
「……おめでとうございます?」 「ありがと!
うち、高台寺寧々!
家政科! 和裁も洋裁もやったる!」
勢いのまま、ぐいっと距離を詰めてくる。
「……羽柴秀吉。普通科」 「秀吉くん!
おっけー覚えた!
ほな、同級生やし仲良うしよな!」 「知り合い程度でええやろ、まだ!」 「えー! 冷た!」
寧々は頬をふくらませた。
が、次の瞬間にはもう笑っている。切り替えが早すぎる。
その横で、もう一人の女子が静かに掲示板を見ていた。
目元がやわらかくて、どこか凛としている。
彼女は普通科の列を確認し、ふっと小さく息を吐いた。
「……受かった」
それだけ言って、人混みをすっと抜けていく。
秀吉は、なぜか一瞬だけ目で追った。
(……綺麗な人やな)
ただ、それだけ。
名前も知らん。関わる予定もない。
――この時の秀吉は、まだ知らん。
この静かな子が、自分の三年間に、
思ってもみんかった「波」を立てることを。
それどころか、
あの明るい子――寧々が、
「腹立つわー!」を連呼しながら、
自分の人生の中心に居座ることも。
今の秀吉にとって大事なんは、ただひとつ。
「利家、まつ。受かったな」 「当たり前や!」 「せやな。ほな、ラーメン行こか。
合格祝いに、背脂で祝福したる」 「それ祝福ちゃう、攻撃や」 「黙れ。春は背脂や」 「知らんルール多すぎやろ!!」
桂川高校の春は、こうして始まった。
まだ、誰も恋なんてしてへん。
せやけど――
青春はもう、掲示板の前で、
しれっと息をしとった。




