第九十七話 断罪。そして……
【東龍院サキコ】
バーベキュー大会の翌日。
日曜日ということもあって、私は昼過ぎまで部屋でだらだらと過ごしていた。
そんな自堕落な時間を満喫していると、昨日からこの別宅に住み着くことになったジイジが、部屋のドアを叩いた。
「お嬢様? 少々、よろしいですかな」
私は重い腰を上げ、ジイジと共に居間へ向かった。
昨晩は遅くまで大騒ぎしたせいか、居間には誰もいない。
静かな空間に、私とジイジの二人だけ。
「お嬢様は、ミルクたっぷりがお好みでしたな」
そう言ってジイジは、コーヒーというより「コーヒー風味のミルク」に近いカップを私の前に置いた。
自分用にはブラックを用意したようで、向かいの席に腰を下ろす。
「ねえ。ジイジがそんな風に改まって話なんて、珍しいじゃない。何かあったの?」
「ほう、そう見えますかな?」
「うん。丸出し」
私が即答すると、ジイジは「ハハハ」と愉快そうに笑った。
「実はわたくし、嬉しくて嬉しくて。少々、浮ついておるのかもしれません」
「何がそんなに嬉しいのよ。宝くじでも当たった?」
聞き返すと、ジイジは意外そうに目を丸くした。
「何を仰る。お嬢様が『勇者パーティ』に加入されたことが、誇らしくてならんのですよ」
──あー、そっち。
「でも、お父様は怒ってるんでしょ……?」
「もちろんです。心配で仕方ないのでしょうな。ですが、東龍院は元よりその定めにある家筋。きっと坊ちゃん……いえ、お父様も、心の底では誇らしい気持ちを抱いておられるはずですぞ」
ジイジは居住まいを正し、真剣な眼差しで私を見つめた。
──その想い、ちょっと重すぎる気もするけど。
ま、今は良しとしましょうか。
「で? 言いたいことはそれだけじゃないんでしょ?」
私の問いに、ジイジは珍しく視線を落とし、声を低くした。
「……昨晩、山川様が退魔した相手の素性が判明いたしました」
そうだ。
私たちがBBQではしゃいでいた裏で、ヤマさんは襲撃を受けていたのだ。
「その相手ですが……実は、お嬢様の学友だったようです」
「えっ!?」
思わず身を乗り出した。
「ちょっと待って。それって、私が狙われたってこと?」
「いえ。どうやら、そうではないようです」
ジイジは首を横に振る。
「何の因果か、たまたまお嬢様の同級生だったに過ぎない、と」
「な、名前は? 一体誰なの?」
「真田正樹……。ご存じですかな?」
真田正樹──。
直接話したことはない。
私は学校じゃ浮いた存在だって自覚はあるし、友達らしい友達もいないと言っていい。
けれど、クラスメートの名前くらいは把握している。
「同じクラスの男子だわ。でも、なんで彼が……?」
「現在、捕らえた二人から事情を聴取しておりますが、詳しい理由までは判明しておりません。ただ、その男子生徒の名前だけは、間違いなく確認が取れた次第でございます」
「そういえば、先週からずっと休んでいたはずだけど……それがどうして、ヤマさんを……」
「詳細が分かり次第、改めてご報告いたします」
ジイジは一度言葉を切り、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「ですがお嬢様、どうやらあの学校では、何か良からぬことが起きつつあるようです。……明日は、学校をお休みください」
心配しているのが痛いほど伝わるその視線を、私は正面から見返した。
「良からぬことが起きてるからって逃げることが、さっきジイジが言ってくれた『誇れる生き方』だって言うなら……そうするわ」
嫌味でも、反抗でもない。
真っ直ぐな私の言葉に、ジイジは言葉を失ったように、しばらく私を見つめていた。
やがて、深く頷く。
「……かしこまりました。ですが、くれぐれもお気をつけを」
▽▽▽
カナちゃん……。
目の前に立つ彼女は、今にもその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
そう。彼女は決して、根っからの悪人などではない。
ある意味では、行方不明になった二人を除けば、彼女こそが今回の事件における最大の被害者なのかもしれない。
けれど──
瑕疵のない、真っ白なだけの被害者でもいられない。
ここまで来てしまった以上、彼女には真実を知り、これからの事態に対して何らかのアクションを起こす義務がある。
私は意を決して、冷徹な一言を告げた。
「残念だけど、もうあなたは逃げられないわよ。だって、あなたはとびっきりの──『当事者』なんだから」
口にした瞬間、喉の奥に苦い後悔が広がった。
言わなければよかった。
でも──言わなければ、彼女を守れない。
ほんの束の間の逃避行だったけれど、私は、カナちゃんと友達になれたような気がしていたのだ。
それに、少しだけ似ていると思ってしまった。
勇者パーティに入るまでの、自分自身と。
どこか、社会という大きな枠組みに溶け込みきれない感覚。
いつも、周囲から少しだけズレてしまっている自分。
寂しくて、切なくて、やりきれない気持ち。
それでいて心のどこかでは「どうせこんなもんでしょ」と、諦めている自分が居座っている。
波風を立てず、ただ流れに身を任せて過ごすことばかりが上手くなっていく。
──わかるよ、カナちゃん。
痛いくらいに、わかる。
でもね……。
ふと、彼女の視線が、私ではなくその背後へと向いていることに気づいた。
その瞬間だった。
背中に、ぞわりと冷たいものが這い上がる。
空気が、変わった。
さっきまで感じていた生温い静けさが、一気に引き裂かれ、得体の知れない“気配”が、背後から押し寄せてくる。
私は、ゆっくりと振り返った。
そこには──
先ほど見たはずの魔法陣が、再び淡く光を放っていた。
ブルーシートが、まだ掛けられたままの魔法陣の中央。
その下で、何かが……もぞり、と動いた。
次の瞬間。
びしゃん!
湿った音とともに、ブルーシートの隙間から、黒くぬめった“手”のようなものが伸び出した。
「……っ!」
カナちゃんが、ひっと息を呑む。
私も思わず、じり、と一歩後ずさった。
その手は、地面を掻く。
じゃり、じゃり、と砂利を引きずる音。
そこに、濡れ雑巾を叩きつけたような、生々しい湿音が混じる。
そして──
ゆっくりと、顔が現れた。
「……先生……?」
思わず、声が漏れた。
続いて、もう一つ。
「……木下……くん……?」
それは、かつて“人”だったもの。
今は──立ち上がろうとしている、二体の“死体”。
下腹部は異様に膨れ上がり、内側から何かを押し出そうとするかのように、醜く歪んでいる。
そして、その目。
白濁し、濁り切った眼球が、確かにこちらを捉えていた。
「……バケモノ……」
背後で、カナちゃんの震える声が聞こえた。
鼻を突くのは、強烈な腐敗臭。
先ほどまで漂っていた、湿った布のような匂いとは次元が違う。
生命が完全に終わり、内側から崩れ落ちた“死”そのものの匂い。
「……先生、なの……?」
直感が、私の口をついて出た。
かつて、道徳を説き、笑い、叱り、私たちを導いていた存在。
だが、そこにいたのは──
全身が土色に変色し、体液を滴らせる“動く死体”だった。
もう一人。
制服の名残はあっても、その中身は異様に膨れ、皮膚の隙間から膿が滲み出している。
「ひ……あ、あああああああ!」
カナちゃんが尻餅をつき、狂ったように後退する。
ゾンビと化した“先生”は、ゆっくりと首を持ち上げた。
白濁し、焦点の合わない瞳が、ぎょろりと私を捉える。
その口元が、ずるりと歪んだ。
『……サ……キ……コ……
……カナ……』
それは、声とは呼べない音だった。
腐った肉が、喉の奥で擦れ合うような、不快な振動。
けれど──
確かに、それは私たちの名前だった。
私は、息を呑んだ。
足が竦み、動けない。
頭では理解している。
逃げなければいけない。
戦わなければいけない。
でも──
体が、言うことを聞かない。
恐怖が、全身を支配していた。
断罪。
かつて犯した罪。
あるいは、見過ごした罪。
その報いが、今、形を持って立ち上がる。
最悪の──断罪が、始まろうとしていた。




