第九十六話 絶叫の行方
「それで? なんで真田君がグールになったの?」
サキコちゃんが、氷のように冷え切った瞳で私を射抜く。
──なんで?
なんでそんな風に私を責めるのよ。
「わかんないよ! なんであんなことになったかなんて!
きっと……あれを飲んだんだよ。それしか考えられないもん!」
「あれって? 何を飲んだの?」
サキコちゃんは私を睨みつけたまま、一歩も引こうとしない。
「赤い小瓶……。
あのあと、光る魔法陣の中から、真っ赤な液体が入った小瓶が三つ出てきたの」
──そう、あの忌まわしい小瓶。
当時の光景が、鮮明な、それでいてひどく歪んだ記憶として脳裏に蘇る。
▽▽▽
結局、あの魔法陣から怪物が這い出してくるようなことはなかった。
代わりに現れたのは、親指ほどの小さな小瓶が三つだけ。
「あは! なんだよこれ。
もっとスゲーもんが出てくるかと思ったけど、これで終いかよ! しょっぼー」
真田は拍子抜けしたように肩をすくめ、首を振る。
そして魔法陣の中央まで足を踏み入れ、落ちていた小瓶を拾い上げると、
「ほら」
そう言って、一つずつハルカと私に手渡した。
「たぶん、僕らが血を三滴垂らしたから、三つ出てきたんだろうな」
天井の裸電球に透かすように、小瓶を掲げる真田。
中の液体はどろりと重く、不気味な輝きを放っていた。
その時だ。
一度は収まったはずの魔法陣が、再び爆発的な光を放ち始めた。
「うわっ! なんだよ、なんだよこれ!」
真田はまだ、魔法陣のちょうど真ん中に立っていた。
「ちょっ、待てよ……体が……熱ッ!
あ、熱いッ! ウ、ウギャアアアアアアアアッ!」
鼓膜を突き刺すような絶叫が、狭い倉庫の中に反響する。
私は叫び声に耐えきれず、両手で耳を塞いだ。
目を固く閉じる。
──やめて。お願いだから、やめて。
けれど、真田の悲鳴は止まらない。
いつまでも、いつまでも響き続けた。
やがて、光が私の瞼を貫いた。
意識が、深い闇に沈んでいく。
▽▽▽
……覚えているのは、そこまで。
それからしばらくの間、私は気を失っていたらしい。
ふと気がつくと、魔法陣の光は消え失せ、私とハルカだけが冷たいコンクリートの上に倒れていた。
「真田は……? 真田はどこ!?」
必死で辺りを見回し、隣にいたハルカに問いかける。
けれど、彼女は「知らないわ」とだけ冷淡に吐き捨てた。
そしてゆっくりと立ち上がると、スカートについた埃をパタパタと払い落とす。
まるで、幼馴染が消え失せたことよりも、
自分の服が汚れたことのほうが、よっぽど重大だと言わんばかりに。
私は名前を呼びながら、倉庫の中を隅から隅まで探し回った。
けれど、真田の姿はどこにもなかった。
息を整える間もなく、私は倉庫を飛び出し、スロープを駆け上がる。
錆びたドアは微かに開いていて、冷たい風がその隙間から入り込んでいた。
隙間を押し広げるように外へ出る。
あたりは既に真っ暗で、空を見上げると、まん丸な月が浮かんでいた。
スマホを取り出し、時間を確認する。
20:17
ここに入ったのが夕方16時ごろだから、四時間ほど中にいたことになる。
おそらく、気を失っていた時間がほとんどだろう。
真田に電話をかけてみるが、呼び出し音は鳴るものの、出る様子はない。
電話をかけたまま辺りを見回していると、背後で大きな音がした。
ガイン。
鋭い金属音に、心臓が跳ね上がる。
慌てて振り返ると、そこにはハルカが、大きな欠伸をしながら扉から出てきたところだった。
「やっばーい。もうこんな時間じゃん」
彼女は手元のスマホを覗き込み、他人事のように呟く。
「ハ、ハルカ!
そんなことより真田は!? さっき絶対変だったよね!?」
「あー……そうだっけ」
「そうだよ!
あの魔法陣が光って、あんなに叫んでたんだよ!?
それなのに急にいなくなるなんて、絶対におかしいって!」
「どうせ先に帰ったんでしょ。
あーあ、なんか時間の無駄だったね。
私、もう帰るわ。じゃあねー、バイバイ」
ハルカはそれだけ言うと、一度も後ろを振り返ることなく、夜の闇へと消えていった。
私はただ一人、校庭の隅に取り残された。
その後、何度も真田に電話をかけた。
けれど、一度も繋がることはなかった。
やがて、呼び出し音すら消え、無機質なアナウンスが流れるだけになった。
真田は今、マンションで一人暮らしだ。
携帯が繋がらなくなれば、私にはもう連絡する手段がない。
いっそのこと、今から彼の家に様子を見に行こうかとも思った。
けれど、深夜に及ぼうとする時間帯の外出を、スマホの中の「AI野郎」が強く引き留めた。
『ダメだよ。……特に今日は、嫌な予感がする』
「予感って……あんた、AIのくせに」
『……明日、学校に行けば、また会えるよ。たぶんね』
どこか歯切れの悪いその言葉を信じて、私は眠れない夜を過ごした。
そして──。
次の日、真田君が学校に来ることはなかった。
▽▽▽
彼が消えてから、二日後のことだった。
私は、ひとつの「事実」を知る。
隣のクラスの木下という男子が、あの日から行方不明になっているというのだ。
一年生の頃、執拗に真田をいじめていた主犯格。
真田が壊れるきっかけを作った、張本人。
木下は事件の夜、
「連れから連絡があった」と言い残し、近所の公園へ向かったまま帰ってこなかったらしい。
真田の失踪。
木下の行方不明。
この二つが、無関係だなんて──
どうしても、思えなかった。
どうしても納得がいかず、私は真田のマンションにも足を運んだ。
けれど、何度呼び鈴を押しても、返事はない。
そして、木下が消えたと言われる公園が、思ったよりも近い場所にあることに気づき、そこへ向かった。
住宅街の中にある、少し大きめの公園。
昼間なら、きっと子供たちの声で賑わっているのだろう。
けれど夜の公園は、ひっそりと静まり返り、どこか不気味だった。
外周を一通り歩いたあと、私は中ほどにあるベンチに腰を下ろす。
何かを期待していたわけじゃない。
それでも、何も起きないことに、徒労感だけが重くのしかかった。
「何やってんだろ。帰ろ」
独り言ち、ベンチから立ち上がった、そのときだった。
ベンチの脇。
大きな木の根元に、落ちているそれが目に入った。
──間違いない。
あの日、あの魔法陣の中から現れた
「赤い小瓶」。
拾い上げ、恐る恐る鼻先に近づけた、その瞬間──。
「……っ!?」
喉の奥が、きゅっとひきつる。
吐き気を催すほど、生々しく、甘ったるい腐敗臭。
血の匂いに、何か別のものが混じっている。
腐った肉。溶けた内臓。
──死、そのものの匂い。
私は悲鳴すら上げられず、思わず小瓶を放り投げた。
転がっていくそれを振り返ることもできないまま、逃げるように公園を後にした。
手に染みついた臭いは、
何度洗っても、消えなかった。
それから、さらに数日後の金曜日。
今度は、真田君が一年生のときに担任だった教師までが行方不明になった、という噂が校内を駆け巡った。
まるで見えない何かが、学校全体を、少しずつ蝕んでいくようだった。
▽▽▽
日曜日。
私は藁にもすがる思いで、もう一人の幼馴染──大木に連絡を取った。
大木は、私の信じがたい話を、冗談だと笑うこともなく、最後まで聞いてくれた。
そして、「明日、学校でハルカに話してみるよ」と頼もしく言ってくれた。
──大木が言えば、きっとハルカも聞いてくれる。
そうなれば、私はもう、この重荷から解放される。
私一人の問題じゃなくなる。
だって、私はただ、真田に誘われただけなんだから。
そう、思っていたのに。
▽▽▽
「それで、今日学校に来てみたら、みんなに追いかけられた……ってわけね」
サキコちゃんは腕を組み、どこか呆れたように私を見下ろした。
「まあ、聞いてた通りだったけど」
軽い調子の声とは裏腹に、その視線は鋭い。
「残念だけど、もうあなたは逃げられないわよ」
彼女は、きっぱりと言い切った。
「だって、あなたはとびっきりの──『当事者』なんだから」
じっと私を見据えるその瞳に、逃げ場なんて、どこにもなかった。
そして、そのとき。
私は、気づいてしまった。
彼女の背後で──
薄く、淡く、確かに。
魔法陣が再び淡く光を放っているのが見えてしまったのだ。




