第九十四話 戦慄の倉庫
着地した途端、突き上げるような衝撃が足を襲い、ジンとした痺れが走った。
「アハハ、こんな時は転んで衝撃を分散すればいいのに。カナちゃん、案外どんくさいんだね」
サキコちゃんが、近所のおばさんみたいに手を「あらやだ」風に振って笑う。
「いやいや、こんな状況でそんな華麗な着地、無理でしょ!!」
『さあ、こっちの足取りを掴まれる前に移動しよう。迅速にね!』
「はーい。カナちゃん大丈夫? 立てる?」
サキコちゃんがひょいと手を差し出してくれた。
私はその手を握り、引き上げられるようにして立ち上がる。
目的の扉までは、走ってすぐだった。
鉄の扉に手をかけると、意外なほどあっさり開いた。
先日は鍵がかかっていた気がしたが、誰かが開けっぱなしにして出てきたのだろうか。
──そんな都合のいいこと、本当にあるのかな?
扉は見た目よりずっと軽く、その先には暗闇へと続く緩やかなスロープが伸びていた。
「……降りる?」
サキコちゃんがくるりと振り返り、小首を傾げる。
「降りるしかないよ。この先に、あの倉庫があるんだから」
先日の記憶を頼りに伝えると、「へー、変なとこ」と彼女は他人事のように答えた。
『ちなみに、これから先は完全な圏外だ。僕から直接連絡を取ることはできなくなるからね』
「あ、ムッシュは通信でつながってるんだっけ」
『そうさ! 僕ぐらい高性能だと、さすがにスマホ一台のメモリには収まりきらなくてね。……だけど、頼もしい“弟子”を残していくから安心してよ』
弟子? 何よ、それ。
「すごいね! 子ムッシュがいるの? じゃあ安心だ。行こ!」
一歩踏み出した先は、予想以上にひんやりとしていた。
スロープを降りるたび、じわじわと空気が冷えていくのが肌に刺さる。
「そういえば、カナちゃんはここ、入ったことあるんだよね?」
暗闇に向かって歩きながら、サキコちゃんが不意に尋ねてきた。
「うん」
その時の光景を思い出し、胸の奥が少しだけ重くなる。
「先週、来たばっかり」
「へぇー、何しに?」
「それが……ハルカの手伝いでね。ちょっと、用があって」
「ハルカちゃん? ふーん、ホントは仲いいんだね」
彼女は特に気にした様子もなく、スロープの突き当たりにある鉄の扉の前に立った。
「とりあえず入ろ!」
軽い調子で扉が開かれる。
中は薄暗く、鼻を衝くような湿った匂いが立ち込めていた。
古びた体育用具や、一年に数度しか使わない行事道具が押し込まれている、何の変哲もない倉庫。
誰も、普段は好んで入ろうとはしない場所だ。
「真っ暗じゃん! 電気、電気……」
サキコちゃんが手探りで壁のスイッチを叩く。
チカチカと何度か瞬き、黄ばんだ裸電球の光が倉庫内を照らし出した。
「けっこー広いね」
埃を被った跳び箱や、使い古されたマットが無造作に転がっている。
照明に照らされたモノたちが不気味な影を落とし、嫌悪感が背中を這いまわる。
なんだか、勝手な言い分だけど、今こそあの軽薄なAI野郎の声が聞きたかった。
──ガチャリ。
重い金属が噛み合う音に、私は心臓を掴まれたような心地で振り返った。
サキコちゃんが、今入ってきたばかりの扉に鍵をかけていた。
その白く細い指には、いつの間にか一本の鍵が握られている。
彼女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「で、先週の火曜だっけ。カナちゃんたちは、何しにここへ来たのかな?」
コテン、と首を傾げ、口元だけでニッと笑う。
だが、その瞳には一切の光がなかった。
乾いた空気のはずなのに、首筋を嫌な汗が伝う。
「クラスメートの真田正樹君。ずっと学校を休んでるみたいだけど……もちろん、知ってるよね?」
サキコちゃんは私をじっと見つめ、一語一語を噛み締めるように話し始めた。
「先日、私の知り合いがね。彼に会ったの。……いえ、会ったらしいのよ」
話の意外な方向に、心臓を直接掴まれたような衝撃が走る。
「真田君……! 真田は今、どこにいるの!?」
問い詰める私に対し、彼女は不自然なほど静かに俯いた。
「死んだよ。殺されたの。──私の、仲間に」
…………え!?
「彼ね、私の仲間を襲ってきたの。だから、仕方なく……」
再び向けられたサキコちゃんの瞳は、悲しそうに歪んでいた。
嘘をついているようには見えない。
けれど、その内容はあまりにも現実離れしている。
「でもね、殺される直前に、彼は笑ってたって」
真田が……笑ってた?
あのおとなしかった彼が、人を襲い、笑いながら死んだというのか。
頭が真っ白になる私をよそに、彼女は私の横をすり抜け、倉庫の奥へと歩いて行った。
そこは、不自然なほどぽっかりと空いたスペースだった。
以前に来た時にはなかったはずのブルーシートが、何枚も重ねられ、床一面を覆い隠している。
サキコちゃんはその場にしゃがみ込み、シートの端を指先でつまんだ。
そして、重く深い溜息をつく。
「カナちゃんは“六鉢部隊”って聞いたことある?」
──ロクハチ?
私は訳も分からず首を振った。
サキコちゃんは、「そう」と一言だけ呟いた。
「どうしてカナちゃんが、こんなことを手伝ったのか理解できないよ。でもきっと、やむに已まれぬ事情があったんだよね。……私に、話してくれないかな」
静かな、けれど拒絶を許さないトーン。
次の瞬間、彼女は重なり合ったブルーシートを思い切り捲り上げた。
そこに刻まれていたのは、黒く、複雑な幾何学模様の羅列だった。
禍々しい光を放っているわけではない。
ただのインクの跡のはずなのに、見ているだけで吐き気を催すほど、悍ましい意図が凝縮されている。
──先週、ハルカと一緒に見た光景。
あの子はそれを、『魔法陣』と呼んでいた。
「ねぇ、教えて?
ここでなにがあったの?
そして彼、真田君は――なんでグールなんてバケモノに変わっちゃったの?」




