第九十三話 ダイブ!
窓から外を覗き込む。
校舎と並んで建てられた体育館が、すぐ目の前に見えた。
外観はそこそこ綺麗で、校舎とは渡り廊下で繋がっている。
幸い、今見える範囲に私たちを狙う「追っ手」の姿はなかった。
「確か、あそこから入るんでしたっけ?」
サキコちゃんが指さした先には、今の体育館には似つかわしくない、薄汚れて真っ赤に錆びついた鉄の扉があった。
──今見ると、まるで血を塗られた地獄の門みたいだ。
「……そう、そこ。サキコちゃん、入ったことある?」
「ないよー。カナちゃんは?」
あっけらかんと答えるサキコちゃんの明るさに、少しだけ救われる。
私は小さく頷いた。
実はある。それも、つい先日のことだ。
「すごく暗くて、ホコリっぽいの」
『何しろ、旧校舎の残りカスだからねー』
スマホから軽薄な声が響く。
「旧校舎って?」
サキコちゃんがまたもや興味津々といった様子で聞いてくる。
『この学校、戦時中は軍の研究機関だったんだよ。戦後に学校へ転用されたんだけど、あの地下室だけは当時のまま倉庫として引き継がれてるってわけ。歴史の闇ってやつ?』
「へぇー」
感心するサキコちゃん。
『一説によると、人体改造とか、首のすげ替えなんかのおぞましい実験がされてたらしいよ~』
「あ、そういう安っぽい都市伝説は結構です」
スンとした表情で切り捨てるサキコちゃん。
AI野郎もくじけたように『あら?』とこぼす。
「でも、よく知ってんね」
『一応、AIですから』
「さすが! ムッシュ!」
『まあねー』
やべえ、こいつ本当に「ムッシュ」が定着しそう……。
だが、感心している場合ではなかった。
「でもここからだと、一旦部屋を出て、みんながいる教室の前を通らなきゃいけないよね。……厳しくない?」
「ダッシュでも無理かなぁ?」
「ダッシュって……サキコちゃん、足速かったっけ?」
「人一倍、遅いよ!」
「自慢しないでよ!」
思わず声を荒らげた、その時だった。
――ガンッ!
心臓が跳ね上がるような衝撃音。ドアが激しく叩かれた。
所詮は部屋を仕切るだけの簡易的な鍵だ。一度の衝撃であっけなく壊れ、歪んだドアの隙間から「それ」が見えた。
狂気に満ち、血走った眼。
人間とは思えないほど見開かれ、瞳孔が開ききっている。
「みーつけたああああああああ!!!」
鼓膜を突き刺すような、男子生徒の絶叫。
「ギャアアアアアア!」
その恐ろしい形相と声に、私たちは理屈を放り出して叫んでいた。
男子は、息を荒くして何度も何度もドアを叩く。
それはもう、人とは思えないほどの怪力だ。
私たちは必死に抵抗して机や棚のバリケードを追加するが、ドアは徐々に開き、ついには隙間から腕がにゅっと入ってくる。
思わず二人でバリケードごと押し返すと、「イダイ! イダイ!」と悲鳴が上がった。
そして一旦引っ込んだかと思うと、「このクソアマーーー!」と罵声が飛んでくる。
そこに「見つけたか!」「どこだ!」と、他の声も混ざり始めた。
「うるさい! これは俺が見つけたんだ!! 俺のモンだ!」
狂ったような独占欲に満ちた声が響く。
「ヤバいよ。これマジで、捕まったら……」
戦慄して振り返ったところで、隣にいたはずのサキコちゃんが消えていた。
慌てて周りを探すと、彼女はいつの間にか窓を全開にし、そのサッシを跨ごうとしている。
「ちょっと、何してんの! ここ二階だよ!」
「きっと大丈夫だよ! 下は花壇だし! さ、行こ!!」
手を差し出し、ニッコリ笑うサキコちゃん。
まるで死神か天使に誘われるように、私は彼女の手を取った。
「いい? あそこの花壇に跳び下りるよ!」
「う……ウン」
「じゃ、行くよ!」
言うが早いか、彼女は迷いなくダイブしてしまった。
そして、地面に着くなりこちらを向き、「大丈夫だよ!」と膝の土を払いながら無邪気に笑う。
『行かないのか?』
「うっるさい!! 危ないでしょ!」
『大丈夫。そこは三日前、園芸部が耕してから雨も降ってないし、一段高くなってて土も柔らかいんだよ』
まるで、全てをあらかじめ計算していたかのようにスラスラ説明するAI野郎。
『それに……。君を救えるのは、彼女たちしかいないんだから』
「……たち?」
その時、背後のドアが再び激しく叩かれだした。
隙間から、何本もの腕がうねうねと伸びてくる。
その一本は壁をまさぐり、爪を立ててガリガリと壁を削り、割れた爪から血が吹き出し赤く跡を残すのが見えた。
──行くしかない。
前を見ると、笑顔で手を振るサキコちゃん。
「あーもう、行くよ! 行けばいいんでしょ!」
私は腕に力を込め、窓枠に体を持ち上げた。
乾いた風が頬を撫で、髪を乱す。
そして、片目をつぶって花壇に向け、思い切り足を蹴りだした。
『幸運を』
空中で、奴のそんな声が聞こえた気がした。




