第九十二話 お嬢様とポンコツAI
「ホント、しつこいんだから……っ」
東龍院さんが、押し殺した声で吐き捨てる。
私たちは今、理科室の奥にある準備室に逃げ込んでいた。
ドアの鍵を閉め、そこらにあった机や椅子を積み上げて、急ごしらえのバリケードで入り口を塞いでいる。
教室に行って助けを呼ぶ作戦は、見るも無残に失敗した。
逆にクラスのみんなが、どういうわけか「追っ手」に豹変してしまったのだ。
もし捕まったら、何をされるか想像もつかない。
ただの被害妄想なら、どんなに良かっただろう。
でも、あの濁りきった虚ろな瞳を見てしまったら、嫌でも確信させられる。
私の本能が、喉の奥で「捕まれば終わりだ」と警報を鳴らし続けているのだ。
教室からここまでの全力の鬼ごっこで、私たちは限界だった。
私は床に崩れ落ち、熱を持った肺をなだめるように呼吸を整える。
東龍院さんは、扉にぴたりと耳を当てて外の様子をうかがっていた。
少しだけ鼓動が落ち着いたところで、私は彼女に声をかける。
「ごめんなさい。東龍院さんまで、こんなワケのわからないことに巻き込んじゃって」
素直に謝ると、彼女は「なんで?」と心底不思議そうに首を傾げた。
「私も『膝カックン』しちゃったから共犯よ。……それに、東龍院じゃなくて『サキコ』でいいよ。私も『カナちゃん』って呼ばせてもらっていいかな?」
「も、もちろん」
戸惑いながら答える。
「で、カナちゃんはなんで追われてるの?」
首をコテンと傾げるサキコちゃん。
「それは……」
私は、朝からの出来事をかいつまんで話した。
最初のうち、サキコちゃんは私をまっすぐ見つめて話を聞いていた。
けれど途中から、スマホを取り出してポチポチといじり始める。
それが気になって視線を向けると、
「知り合いに連絡しといた」
と、にっこり頬を緩めた。
「なんか……サキコちゃんって、こんな異常事態なのに肝が据わってるよね」
感心して言うと、彼女は「ウンウン」と腕を組んで頷き、「いろいろあったかんねー」と、遠い目をする。
その仕草が妙に愛らしくて、張り詰めていた心がふっと緩み、思わず笑みがこぼれた。
「えっ、何その笑い! 私、変なこと言った?」
「ううん、全然。ただ、勝手に抱いてたイメージと違うなーって」
「なになに、私ってどんなイメージだったのよ」
その距離感の近さが可笑しくて、また笑いがこみ上げる。
「うーん。お金持ちのお嬢様で、おとなしい感じ?
ルックスだって、私みたいなのと違って完全な美人だし」
私の勝手な分析に、彼女は「うへー」と変な声を上げた。
少し考えてから、いたずらっぽく口を開く。
「少し当たってるけど、だいぶんハズレ。
それにカナちゃんだって、ボーイッシュな感じで美人じゃん」
予想外のカウンターに、顔が熱くなる。
──と、その時。
ポケットの中のスマホが、空気を読まずに震えだした。
取り出すと、あの癇に障る声が、勝手にスピーカーから響き渡る。
『いやいや、無事で何よりだよー! で、今はどんな心境?』
……相変わらずの、人を食ったようなしゃべり方。
こいつ、マジで最新のAIなのか?
「今、取り込み中。切るわよ」
『ちょっとちょっとストップ! 今後の作戦会議しよーよ!』
私がスマホ相手にガチで毒づく様子を見て、サキコちゃんが小声で尋ねてくる。
「お知り合い?」
私は、ぶんぶんと首を振った。
「こいつは、スマホに居座ってるAI。
父親が開発したプロトタイプなんだけど……」
説明するそばから、サキコちゃんが目を輝かせる。
「すごーい、本物だ!」
それに調子づいたのか、AI野郎はノリノリで自己紹介をぶち上げた。
『初めまして、東龍院サキコさん。私はこの子の育ての親です』
「嘘つかないで。削除するわよ」
『ダメダメ!』
慌てるAI野郎。
「すごっ! このAI、ちゃんと会話が成立してる!
ところで、なんで私の名前知ってるの?」
サキコちゃんが、ふと鋭い視線をスマホに向ける。
『さっきからカナちゃんが名前で呼んでるの、バックグラウンドでちゃーんと聞いてたからね!』
「それって、性能ヤバくない?」
サキコちゃんが、私のスマホをガン見する。
当のAI野郎は『照れるぜ』なんて、機械のくせに悦に浸っている。
──こいつ、隙を見て絶対に消去してやる。
「盗み聞きは禁止って言ったでしょ!」
『でもね、僕はパパさんから"娘をよろしく"って託されてるんだ。放っておけるわけないじゃないか』
「気味の悪い言い方しないでよ」
不毛なやり取りを続ける私たちを、サキコちゃんは興味津々で見ていた。
「ねぇねぇ、この人の名前はなんていうの?」
「は? こいつ人じゃないよ、ただのAI。名前なんてないし。私は『AI野郎』って呼んでるけど」
「えー、それはちょっと、あんまりな気がするなぁ」
『ですです! この子、性格に難があるんです!』
調子に乗るAIにイラッとする。
「名前ぐらい、付けてあげようよ!」
サキコちゃんに押し切られ、私は投げやりに口を開いた。
「じゃあ……ポチ」
「『犬じゃねーし!』」
AIとサキコちゃんの突っ込みが、見事にシンクロした。
「……ミケ?」
「『猫でもねーし!』」
またしてもハモる。なんであんたたち、初対面でそんなに息ぴったりなわけ?
「ポニョ?」
「それはダメだね。アウトだよ」
『はい。大人の事情で消されるやつです』
「じゃあ、どうすればいいのよ!」
匙を投げると、サキコちゃんは真剣な顔で顎に手を当てた。
「たとえば……『AI野郎』だから、ムッシュAIとかは?」
『こっちもかー……、こっちの子もセンス死んでるかー……』
AIが心底、絶望したような声を漏らす。
「ムッシュなんて呼べるわけないでしょ。変なレストランの店主じゃないんだから」
「じゃあ、ミスターAI」
「なんか古い。昭和の歌謡曲みたい」
「うーん……」
私たちは同時に黙り込んでしまった。
その瞬間だ。
カツ、カツ、カツ……。
扉の向こう。理科室の冷たい床を、誰かが歩く乾いた足音がした。
足音は近づいては遠ざかり、また近づいてを繰り返している。
どうやら、獲物を探してそこをグルグルと徘徊しているようだ。
私たちは慌てて口を塞ぎ、息を殺す。
やがて、足音が遠のいた。
肩の力が抜け、フッと安堵の息を吐く。
『あのさー、さっきの続きなんだけど』
「名前? 悪いけど、それどころじゃないわよ」
AIが急にトーンを落とした。
『じゃなくて。さっき話しかけた本当の理由は、名前を決めてほしかったからじゃない。隠れ場所の提案なんだ』
「隠れ場所? 何なんです、それ」
サキコちゃんが身を乗り出す。
『実は、追ってくる彼らの行動パターンをリアルタイムで解析してみたんだけど……どうやら彼ら、携帯の電波が不安定な場所を意図的に避けてるみたいなんだよね』
「つまり、圏外ってこと? でも、この学校にそんな場所あるの?」
『それが、あるんだよ。──体育館の地下倉庫』
……あー、あそこか。
頭の中に、カビ臭くて、薄暗い、あの空間が浮かび上がった。




