第九十話 壊れていく……
【須藤香苗】
教室のドアを開けると、私の席のあたりに人だかりができていた。
「おはよー。どした?」
声をかけて近づいていくと、人混みの中にいたキッコが驚いたように振り返り、血相を変えて私の袖を掴むと、そのまま教室の外へ引っ張っていった。
「カナ、あんた昨日カズ君と何してたの?」
きょろきょろと周囲を警戒しながら、声を潜めて聞いてくる。
「カズ君? あー、大山のこと?」
「和君って言えば大山君しかいないでしょ!」
いや、普通にいっぱいいると思うけど……とりあえず話を合わせて頷いておく。
「で、何してたのよ!」
「何って、たまたまコンビニで会っただけだけど」
大山は、私の少ない知り合いの中でも、小・中・高と偶然同じ学校で、しかも家も近い腐れ縁だ。
「コンビニじゃないでしょ! 鳳公園でデートしてたって聞いたよ」
「はぁ? わけないっしょ」
そう言いながら、昨日のことを思い出す。
「あー……コンビニの帰り、鳳公園を通ったわ。だけど、そんだけ」
キッコが頭を抱え、「あー」と呻いた。
「なになに。それを誰かがデートだって言ってんの? しょーもな」
呆れる私を、キッコが睨みつける。
「しょーもなくないよ! ハルカが和君のこと好きなの、知ってるっしょ!」
「知らないよ、そんなこと」
そっけなく返すと、キッコは「そっかー。カナは『シルベ』やってないんだっけ」と、納得したように呟いた。
『シルベ』は、去年から急速に広まったチャットアプリだ。
それぞれに搭載されたAIが、チャットのやり取りに対して「こう返事するといいよ」とか、「すぐ返事して!」「既読スルーで無視しよう」など、人間関係のアドバイスをくれるらしい。
話を聞いたとき、すごい違和感を覚えたけど、どのみち私の携帯では使えなかったので、すっかり忘れていた。
ちなみに『シルベ』が使えないのは、オヤジのお下がりで、OSのバージョンだか何だかが少し違うせいだと思っている。
とはいえ、もともと興味もなかったし、データ量無制限、通信費もオヤジ持ちなので我慢して使っている。ただ、小うるさい『AI野郎』は気に食わないけど。
「で、シルベで何かあったの?」
「それがさー。昨日ハルカが突然『和君に告る』ってチャットに入れたんだけど、それきり連絡がなくて。今朝になって『カナがデートしてたって、シルベが言ってる』って」
「はあ? それ、AIの誤解じゃん。いいわ、ハルカに説明してくる」
私が踵を返すと、キッコが慌てて止めた。
「だめだよ! いまハルカ、すんごい怒ってて、『カナは殺す』って息巻いてんだから」
──ハァ!? そんなことで殺すって……。
「わかった。やっぱ話してくる」
再び歩き出すと、キッコがマジな声で止めてくる。
「だめだよ! 今はダメ! マジだから。机も、見ないほうがいいよ!」
──机って……。
さっき見た光景──私の席の周りにできていた人だかりを思い出し、私は走って教室へ戻った。
相変わらず、私の机を中心に人だかりができている。無理やり割って中に入った。
そこには──。
机の上に、ドブネズミの死骸が、太い釘で打ち付けられていた。
鮮血が机の表面に広がり、乾いた跡が黒く染み付いている。
その光景に、私は目の前が真っ暗になった。
▽▽▽
「それでは、失礼します」
私はお辞儀をして、校長室の扉を閉めた。
なぜ、やった本人(犯人)ではなく、被害者である私が執拗に質問攻めにあったのか、今でも納得がいかない。
と、ポケットに入れていた携帯が震えた。
ため息をついて、耳に当てる。
『だから、あいつらとつるむのはやめた方がいいって言ったじゃん』
「別につるんでなんかないし。あんた、また盗み聞きしてたの?」
私がキレているのを察したのか、『心配してんだよー』と猫なで声で言ってくる。
──何が心配だ! このAI野郎!
今、電話で話しているのは、友達でもなければ、親でもない。ましてや人間ですらない。
「とにかく、今後一切、盗み聞きしないで! もちろん見るのもダメ!」
『チェッ、慰めてやろうとしたのにさ!』と拗ねる声。
声だけ聞けば、これをAIだと思う人はいないだろう。でも、こいつは歴とした機械だ。
オヤジからこの携帯を渡されて以来、ことあるごとに私に口出ししてくる。
正直に言えば、助けられたことも何度かある。だからといって、こいつを認めるわけにはいかない。
だって、こいつは友達でも、家族でもない。
ただ、過去のデータから、それっぽい言葉をコピーして話しているだけだ。
『とにかく今日は、このまま帰った方がいいよ。何かがおかしい』
「へぇー。AIのくせに『何かがおかしい』なんて、あやふやな言い方するんだ」
『毎回言うけど、僕は君が想像するより遥かにスゴイAIなんだよ』
「なにそれ、自慢?」
私は奴を無視して教室へ戻ろうとする。
すると、急に慌てたように叫びだした。
『ダメダメ! ホントにダメ! お願いだから今日はこのまま帰ろうよ。どうせ教科書持って帰ったって勉強しないんだから!』
──ホント、こいつムカつく。
ムカつく……ムカつくが、今日は言う通りにしておこう。私自身も、何か嫌な感じがする。
そのまま下駄箱へ向かい、靴を履き替える。
さ、帰ろう! と立ち上がったところで、「どうしたんですか?」と背後から声をかけられ、驚いた。
振り返ると、そこにいたのは同じクラスの東龍院だった。確か名前はサキコ。
どこか幼さの残る顔。それでいて、目だけは大人っぽく、少し冷めた感じがする。
彼女はクラスの中でも完全に浮いていた。誰かと親しげに話しているところを見たことがない。
もちろん、私自身、彼女と話すのはこれが初めてだ。一年以上、同じクラスにいても。
「今、授業中のはずですよね。何も持たずに、どこへ行くんですか?」
小首をかしげ、不思議そうに私を見る。
「そういう東龍院さんこそ、今ごろ登校ですか?」
そう訊ねると、彼女ははにかんだように舌をぺろりと出し、「昨日、騒ぎすぎて寝坊しちゃいました」と笑った。
普通の子がやると嫌味なのに、なぜかこの子には似合っている。
以前、同じ中学だった子の話では、彼女の父親は東旗グループの社長らしい。
そんな金持ちの子が、なぜうちみたいな平凡な学校に来ているのかというと、授業中に突然騒いだり、一人でブツブツ呟いたりと、なかなかに奇行があるからだ、と言われていた。
「ちょっとね。今日はもう帰るの」
そう端的に告げると、彼女は目を細め、じっと私を見たあと、「そうですね。今日は帰った方がいいかも」と呟いた。
とにかく気味が悪くて、私は「それじゃ」と手を振る。
そして玄関を出ようとしたところで、「待てよ!」と、今度はドスの効いた声が私を止めた。
振り返ると、東龍院の横に、ハルカが立っていた。




