第八十六話 勇者の証
──今夜は、深くなりそうだな。
次々と出てくる話は、今の俺には似つかわしくないものばかりだった。
世界の陰謀。
人の業。
そんなもの、冴えない中年サラリーマンには縁のない話だ。
ジイジとの問答もあらかた済み、場がすっかり沈み込んだところで、ルーリがポツリと呟いた。
「勇者パーティがどんな存在だとしても、私たちには力がある」
そして皆の顔を一人ずつ見て、力強く言った。
「この力は、誰かを泣かせるためじゃない。皆の笑顔を守るためのものです」
でしょ?
と首を傾げるルーリに、皆がはにかみながら頷いた。
──こんなセリフが、自然に言える。
それこそが、勇者の証だ。
「あんたが言うと吹いちゃうセリフも、彼女が言うとグッとくるわね」
アンジュがからかうように、組んだ腕の肘でツンツンしてくる。
悪かったな、と心の中で毒づきながらも、胸の奥には鉛のような不安が居座っていた。
ピエロに言われた『生き残り勇者』という言葉。
──つまり、「勇者は役目を終えると殺される」という事実。
それをアンジュに問いかけたかった。
だが、その思考は、パチンと手を叩く音に遮られた。
音の主は、サキコちゃんだった。
「皆の笑顔を守るためにも、私たち自身、笑顔でいなきゃです!
せっかくジイジがいろいろ運んでくれたので、そろそろ歓迎会しませんか?」
「そうですね。ありきたりなものとはいえ、できる限りの食材を持って参りました。
皆さま、どうぞお楽しみいただければ幸いです」
ジイジは柔和な笑顔で頭を下げる。
皆で顔を見合わせ、「それもそうか」「そうだね」「お腹すいたー」
と口々に言いながら、歓迎会の準備に向かっていった。
最後に部屋を出ようとした俺を、ジイジが呼び止める。
椅子から立ち上がり、真っ直ぐこちらを見つめた。
「先ほどは、魔王が日本にいる理由を、山川様の瑕疵のように申してしまい、誠に申し訳ございませんでした」
そう言って、深々と頭を下げる。
「いえ、頭を上げてください。
……俺自身、思い当たるところがないわけでもありませんから」
そう返すと、彼は心配そうな目でこちらを見た。
「何か、ありましたか?」
その視線は、すべてを見透かしているようで、不思議と安心感があった。
俺は逡巡した末、思い切って訊ねる。
「ジイジさん……」
「ジイジで結構ですよ」
「あの……今までの勇者や英雄が、その後どうなったか、ご存じですか?」
一瞬、彼は戸惑った表情を浮かべ、ゆっくりと首を振る。
「すいません。私もそこまでは詳しく知らないのです。もしご要望であれば、お調べしておきます」
「そうですね。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
そして、部屋を出ようとしたとき、再び呼び止められた。
「失礼を承知でお聞きしますが、山川さんは勇者のころの記憶をなくしたとお聞きしてます」
直球の言葉にたじろぎながらも、俺は頷く。
「それでも、戦っておられるのですか?」
「戦うなんて……巻き込まれてるばかりで、元勇者の自覚すらありません。そもそもホントに勇者だったかすらも、俺にはわかんないですし」
すると彼は、優しく首を振った。
「いいえ。あなたは、まぎれもない勇者だった」
柔らかな笑みで、続ける。
「想像してみてください。
たとえ元仲間でも、異世界を越えて助けに来ようと思いますか?」
俺が首を振ると、彼は頷いた。
「そういう事です。あなたのために仲間が世界を越え、助けに来てくれる。あなたはきっと、そんな勇者だったんです」
彼は俺の肩を軽くたたき、先に出ていった。
俺は一人、さっきまで皆がいた部屋の中を見つめていた。
胸の奥が、じんわりと温かくなっていた。
▽▽▽
庭で行われた歓迎会──もとい、バーベキュー大会は、東龍院家の財力を誇示するかのような豪華さだった。
高級霜降り牛、伊勢エビ、アワビ、特大ホタテ。
普段は口にできない食材に、最初の一時間は皆、無言で食べ続けていた。
だが、それも長くは続かない。
ビールやワインなど、ジイジが用意した銘酒が回り出すと、場の雰囲気は一変する。
いつしかそこは、喧騒と熱気に満ちた混沌の祝祭空間となっていた。
どこからか持ち出してきた法被姿のガースと、ワイシャツを腕まくりした九頭竜さんが、男の友情を確認し合うかのように腕を組み、ジョッキのビールを一気飲みで煽っている。
「うおおおおお! 九頭竜殿、我らの友情に!」
「ガース殿! グッと飲め! ウチの連盟が裏切っても、俺たちは友達だ!」
その隣では、自分も乱戦に参加しようと服を脱ぎ始めたキリが、冷静沈着なシュシュにフライパンで頭を叩かれ「うるさいですよ、キリ。料理の手伝いをしなさい」と叱責され、それを見て和泉さんとサキコちゃんが腹を抱えて笑っていた。
さすが、箸が転がっても笑える年頃──ではないが、若い子はよく笑う。
そしてテーブル中央では、女神二人と勇者ルーリが、周囲の騒ぎを一切気にせず、まるでブラックホールのように高級食材を吸い込んでいく。
「先輩! その大トロブロックは私のですよ!」
「うるさい! これは私が焼いたんだ! アンタ、さっきアワビ五個食ったでしょ!」
その二人の食べっぷりは、戦闘以上に激しい。
「この隙に、待望のイセエビいただき!」
ルーリが口いっぱいに頬張る。
「「あーーーーーー!!」」
完全にカオスだ。
俺はちょっと離れた場所からその喧騒を見つめていた。
「どうしました? 何かありましたか?」
ハイ、どうぞ。リラが小皿を差し出し、俺の隣に立った。
小皿には、肉やエビなど一口ずつ、きれいに盛られている。周りの熱気に負け、ほとんど口にしていなかった俺の分だ。
──この人はホントにシンが好きなんだな。
他人事のように思う自分がいる。
それが少し、寂しかった。
「それで、大丈夫?」
彼女が俺を覗き込む。
俺はその仕草にドキリとして、ごまかすように言葉を紡いだ。
「リラは……、シンのためにこの世界に来て、後悔してないですか?」
「なぜ? 後悔するの」
「だって、命を賭してまで守った世界を離れて、来てみれば、こんなくたびれた中年男なんですよ。そりゃ、普通後悔しますよ」
リラは静かに首を振った。
「私の居場所はあなたの隣です。それが異世界だろうと、戦場だとしても」
そう言って彼女は優しく微笑んだ。
「あ! でも重い女だなんて思わないでくださいね! あなたを縛る気はありませんから!」
そう言ってもう一度、恥ずかしそうに笑い、皆のところに戻っていった。
──ホント思う。なぜシンは、こんな素敵な人を置いて帰ってきたんだろう。
俺は熱くなった頬を冷ましに、門をくぐり、屋敷の外に出た。
空を見上げると、まん丸な月が浮かんでいた。
虫たちが、うるさいほどに鳴いていた。
俺は手に持っていた紙コップに視線を落とし、一口で煽って息を吐いた。
ふと、右手の視界に違和感を感じ、そちらに目を向ける。
普段、通いなれた一本道。
今は傾いた街灯が点々と、道を照らすだけで誰も通ることのない道だ。
この道の先にある母屋は、この屋敷だけ。それにこの一帯に家や施設はない。
だが今、そこに周囲の風景にそぐわない、大きく真っ黒なバンが停まっていた。
黒いながらも、艶々(つやつや)に磨かれたその車体が、月の明かりに輝きを反射していた。
──こんな場所に?
俺は手に持っていた紙コップを潰し、上着のポケットに入れた。
そして──静かに、歩き出した。




