第八十五話 異端は勇者
日も沈み、窓の外は墨を流したように真っ暗だった。
ただ、虫の声だけがやけにうるさいほどに聞こえる。
「今回お邪魔したのは、荷物をお届けする……もちろんそれが一番なのですが。もしご機会あれば、お伝えしたいことがあったのです」
ジイジは目を伏せたまま、静かに語り出した。
「皆さまは、“魔王”という存在が、なぜこの極東の小さな島国を襲うのか。考えたことはございますか」
──いきなり核心!?
実は、ずっと気になっていた。
確かに日本は小さいながら世界五指の経済大国で、都市部は近代化している。
とはいえだ。軍事力も領土も特徴的ではない。
世界を敵に回す魔王が“拠点”とするには、どう考えても不自然だ。
そんな考えを巡らせていると、ジイジがじっと俺を見つめているのに気づいた。
プレッシャーに負け、つい答える。
「そうですね。世界征服を目指す魔王が拠点とするには、小さすぎる国ですね」
俺の言葉に、ジイジは「その通りでございます」と穏やかに微笑んだ。
「実際、過去の魔王たちは、日本ではなく“大国”に現出しておりました」
──え?
思考が止まる。
いま彼は“過去の魔王”と言ったか?
「ちょっと、待って! そんな話聞いてないわよ! 少なくとも私たちが知る魔王は、今この国にいる奴だけよ!」
騒ぎ出したのは、なんと女神アンジュだ。
「はい。存じ上げております。ですが、女神様がご存じない“魔王”もいるのです。そして歴史の中で──勇者や英雄と呼ばれる者たちが、それを打ち破って参りました」
ジイジは静かにアンジュを制すると、まっすぐ俺を見る。
「そして今回の魔王が日本に現れたこと。これは偶然ではないと考えております。おそらく、山川様になんらかの関係があるかと……」
「俺に!?」
──いやいやいや、俺が何したよ!?
思わずアンジュを見るが、彼女も驚いたままジイジを睨んでいた。
「でもなんで? あたしたち女神すら知らない情報を、あなたが?」
アンジュが鋭く問う。
「それは、もともと東龍院家が“日本の政”を司る最重要の家系だったからです」
「アンタ、東龍院家の執事って言ったけど。そんな重大な話を“執事ごとき”がなぜ知ってるの?」
畳みかけるアンジュ。
ジイジは軽く笑い──しかしその目は鋭さを増した。
今まで装っていた落ち着いた柔らかさは消え、女神を前にしても一歩も引かぬ不敵さが体から溢れていた。
「仰る通り。しかし東龍院家の執事は、代々受け継がれる“星見の力”を守る者。それなりの力も、情報も当然身に着けております」
そこへ、サキコちゃんが口を挟む。
「ジイジ、その“星見の力”って……もしかして」
「はい」
ジイジは深く頷いた。
「残念ながら現当主・浩一郎様には発現しませんでした。ですが、お嬢様に……その力が出たようですね」
そう言うと目を真っ赤にし、「失礼」と言ってハンカチで拭う。
「これで……東龍院家も安泰です……」
ズズッ、と鼻をすするジイジ。
つられてサキコちゃんも目を潤ませ、鼻をすすっている。
ズズッ、ズズズッ、ズズ、
「──あのー、ちょっといいかい?」
感動の空気を破ったのは九頭竜さんだった。
「魔王を名乗る者が過去にもいて、勇者や英雄が倒してきた。信じがたいが、妖魔と戦ってきた九頭竜家として理解できなくもない。ただ……」
九頭竜さんはルーリをちらりと見て、続ける。
「今回、うちの“求道家連盟”や“神明国教会連盟”が魔王に加担する理由。その説明になっていないんだが」
問い詰める九頭竜さんに、ジイジは居住まいを正した。
「──そうですね。言葉が足りませんでした」
背筋を伸ばし、語り始める。
「そもそも魔王とは、過去にも“時の名主”であったり“時代の反逆者”であったり。時代が生み出した存在であることが多いのです」
静まり返る部屋に、虫の声だけが響いていた。
「人の欲望や迷い、破滅思想から生まれるもの。その点、魔王は“時代の寵児”でもある。ゆえに、時の権力者が与するのは必然なのです」
一呼吸置き──ジイジは静かに続ける。
「逆に言えば、“魔王を討つ勇者や英雄”こそ、この時代では“異端”なのです」
その言葉に、ルーリがハッと顔を上げた。
「それ……太洋さんも言ってました!」
「太洋って、鏡太洋さんか?」
九頭竜さんが問う。
「はい! 私を拉致犯から救ってくれたのは……太洋さんなんです!」
ルーリの言葉に、九頭竜さんが息をのむ。
「生きてたのか……」
安堵と驚きの入り混じった声だった。
そこへ、アンジュがポンと手を叩く。
「太洋って、確か“過剰脅威対策室のゲコ室長の行方不明の弟”だよね!」
彼女は嬉しそうに俺を見る。
九頭竜さんと和泉さんは「ゲコ?」と首を傾げたが、俺は説明しないことにした。
混乱が増えるだけだからだ。
「彼は……なんて言っていた?」
九頭竜さんが問い返す。
ルーリは真剣な面持ちで答えた。
「『過対室も一枚岩じゃない』って」
その瞬間、全員の視線が──部屋の隅で正座し、存在感を消していた後藤へ向いた。
「……どういうことだ」
九頭竜さんの低い声が響く。
後藤はニヘラと軽薄な笑みを浮かべ、頭を掻いた。
「まー、その……太洋さんがおっしゃる通りでしてね。“過剰脅威対策室”としても、勇者に与するか、魔王に与するか、判断に迷ってまして……すみません」
アンジュはフンッと鼻を鳴らす。
ソニアは隣で「はーーー……」と長いため息を落とした。
九頭竜さんはさらに一歩詰め寄る。
「魔王に与する……本気でそう考える連中がいるのか?」
「いや、まあ……そんな話もあるかなーと。これは国としての判断なんですが、“勇者に味方しても騒がしいだけ”。“魔王に与すれば、国力が上がり、他国への牽制にもなる”。そう考える連中がいるんですよ」
アンジュが再び「フンッ!」、そしてソニアが「はーーーーーーーー……」と超ロングため息。
そのあと、アンジュは冷ややかな目で後藤に釘を刺した。
「まあ、ゲコツーに言っても仕方ないけどね」
そう前置きし──女神は、冷たく言い放った。
「魔王を利用しようなんて考えてると……国は滅びるよ。たくさんの人が死ぬかもしれないからね。覚悟、しておきなよ」
その峻烈な言葉は、いつまでも室内の空気を震わせていた。




