第八十二話 終わらない戦慄
周囲の車が、一斉にエンジンを吹かした。
まるで見えないタクトで指揮されたかのように、同時に俺とルーリへ向かって突っ込んでくる。
「っ──!」
俺たちは左右へ跳び、迫りくる車列をかわした。
直後、二台の車は互いに衝突し、壁へ叩きつけられる衝撃で鉄の塊と化す。
あれをまともに食らっていたら、確実に命はなかった。
だが──次に来る車は、そう簡単ではなかった。
通り過ぎると見せかけて急ハンドルで幅寄せ。
寸前でドリフトし、テールスライドでぶつけてくる。
どれも、“殺意”と“ノリ”が混ざりきったような動きだった。
まるで意思を持って狩りを楽しんでいるようだ。
当然、運転席には誰もいない。
気づけば、俺とルーリは見事に分断されていた。
広い屋上駐車場の端と端──音の渦に、完全に飲み込まれている。
「ヤマさん! 後ろ──!」
ルーリの悲鳴に近い声に、反射的に振り向く。
そこにあるはずのフェンスは、先の衝撃で吹き飛び、足元は空へ抜け落ちていた。
一歩でも下がれば、真っ逆さまに落ちる。
そして目の前には、迫りくる車。
左右も後ろも塞がれ、逃げ場は一切ない。
──やるしかない。
俺にはルーリのような身体能力はない。
だが、“考えるより先に動く”という癖はある。
気づけば、俺は車へ向かって飛んでいた。
正面衝突コース。
飛び越えられる距離ではない。足が引っかかれば終わり。
だが、ボンネットに膝を乗せ、マグナフォルテを突き立てた瞬間──
剣が勝手に俺の体を弾き上げた。
身体が宙を舞い、一回転。
棒高跳びのように車上を越え、アクロバティックに背後へ着地する。
その直後、俺を仕留め損ねた車が屋上から飛び出し、下へ落ちていく大破音が響いた。
「ヤマさん!」
ルーリの声が聞こえる。
胸をなでおろす姿が、少しだけ揺れて見えた。
俺は震える手でマグナフォルテを握りしめ、「ありがと」と呟いた。
「げー、なかなか死なんな。けったくそ悪い」
屋上の隅、並べられた室外機の上に胡坐をかいたピエロが、膝を叩いて悔しがっていた。
「お前、殺したはず……」
俺と目が合うと、ピエロは「あわわわ! 見つかっちった」とわざとらしく口元を押さえる。
そして、こっちをからかうようにチラリと見て笑った。
「えー? 死んでないよー? さっきのは“オレの人形”。本物はこっち!」
──こいつ、本当にムカつく!
ピエロが手を振った瞬間、その隣の影が揺らぐ。
同時に、そこへルーリのルーガライガが鋭く振り抜かれた。
「ギャーーー!!!!」
断末魔をあげ、ピエロは黒い霧となって霧散した。
だが、ルーリが眉を寄せる。
「ダメ! 斬った感覚がない!」
その声に重なるように、真っ赤なオープンカーがルーリへ突進してきた。
運転席には、相変わらず狂ったように笑うピエロが座っている。
「ルーリ!!」
俺の叫びと同時に、彼女は軽やかにバックステップで回避した。
車は制御を失ったまま巨大な室外機の塊へ突っ込み、火花を散らしたかと思えば──
次の瞬間、爆音とともに紅蓮の炎が吹き上がった。
呆然と炎を見つめる俺の隣へ、ルーリが戻ってくる。
燃え上がる車の横から、黒い霧がもくもくと立ち上った。
「本体を見つけないと意味がない」
俺の呟きに、すっかり戦闘モードに入ったルーリが舌なめずりして返す。
「いくつ出してきても斬りますけど……終わりが見えませんね」
──この子、やっぱり戦闘狂か!?
炎の向こう、黒い霧が一帯を覆い、その前に十体以上のピエロがずらりと並んでいた。
「うっわ、多っ! 増えた!」
大量のピエロたちは、一斉に顔の穴を開いて仰け反り、狂った笑い声を響かせる。
だが──俺はそこで違和感に気づいた。
……タイミングが微妙にズレている?
同じ笑い声のはずなのに、口と音が合ってない。
暴走車のエンジン音とクラクション、ピエロたちの笑い声が混ざり合い、戦場は一気にカオスと化した。
──本体を捜すどころじゃない!
しかも、この人形たちまで武器を持って襲いかかってくる。
「ヤマさん、こいつら、さっきのより動きが速いです!」
ルーリがルーガライガで二体を薙ぎ払うが、また黒い霧になって消え、すぐ別の場所へ再出現する。
キリがない。
その時、上空のヘリからノイズ混じりの声が飛んできた。
「ちょっとー! 煙で映りが悪いんだけど! なんでこんなに雑魚ばっかりいるのよ!
あと、その口パク野郎! 合成みたいでフェイク動画と思われちゃうじゃん! 楽すんなーっ!」
相変わらずの駄女神クオリティだが……。
──ん? 口パク?
「口と声が合ってない……?」
俺が首を傾げた瞬間、背後から鋭い叫び声が響いた。
「それだ!!」
階段口の踊り場に、アンジュ、リラ、シュシュの姿があった。
「アンジュ! リラ! シュシュ!」
思わず叫んでしまう俺。
しかしアンジュは俺を無視し、空へ向かって怒鳴った。
「ソニア! “口パク野郎”はどいつ!?」
世界に響くような声だ。さすがアンジェリーナ様、声量だけは規格外。
上空のソニアにも届いたらしく、「えっ!? 先輩!? 怒ってるの!? どこどこ!?」と慌てていた。
……いつの間にか赤い拡声器持ってるし。
「ソニア! その口パク野郎はどこなんだ!」
ソニアが周囲を見回し、叫ぶ。
「そこ! 軽トラの上にいます!」
その瞬間、杖を構えたシュシュが目をカッと見開いた。
「見つけた!」
彼女の頭上に浮かんでいた炎の矢が一斉に軽トラへ飛び、車ごと吹き飛ばす。
四つん這いで飛び降りたピエロが、転げながら逃げようとした。
……まさか、あの膨大な人形と車を全部、“高笑いで詠唱をごまかしながら”操ってたのか。
だが、シュシュの耳は騙せなかった。
「ルーリちゃん! 任せる!」
「任されました!」
ルーリが一気に踏み込みかけた瞬間──車と人形が四方から押し寄せ、進路を塞ぐ。
「ルーリ! 道を作る!」
俺は軽トラックの位置を確認し、マグナフォルテを構えた。
剣を地面に突き刺し、叫ぶ。
「頼む、相棒! 彼女を守ってくれ!!」
直後、マグナフォルテから炎が奔り、一直線に“炎の壁”が広がる。
暴走車も人形も近づけない。
「今だ、ルーリ!!」
「はいっ!!」
ルーリは風のように駆け抜け、真っ直ぐ本体へ迫っていった──。
ルーガライガが青い雷撃のような軌跡を描き、一閃。
ピエロの体は斜めに裂け、黒い血が噴き上がる。
その雨を浴びながら、ルーリはただ静かに立っていた。
次の瞬間、戦場を覆っていた結界が、
パリン……と、ガラスが砕けるみたいな澄んだ音を立てて消滅する。
騒ぎ立てていた車たちも、まるで電源を切られた玩具のように沈黙した。
俺は大きく息を吐き、剣をゆっくり下ろす。
「……終わった、か」
ほんの一瞬、ほんとうに世界が静かになった気がした。
──だけど。
このときの俺はまだ知らなかった。
“終わっていないもの”の多さに。
それは、あとで嫌というほど思い知らされることになる。




