第八十話 アンジュは心配-1/2
【女神アンジェリーナ】
「シン! 聞こえる? そこにいるなら返事して!」
三階へと続く階段。
シンが偵察に登った直後、まるで道を閉ざすように唐突に結界が展開され、私たちは完全に分断された。
異変に気付き、慌てて後を追おうとした私とリラだったが、見えない壁に阻まれ、一歩も進めない。
向こうではシンも壁に気づいたようで、バットで殴りつける音がしたが……すぐに気配が遠ざかり、以降返事はない。
「アンジュ! シンが! シンが閉じ込められちゃった!」
隣でリラが狂ったように壁を叩く。
普段は穏やかな彼女が血の気の引いた顔で叫んでいる。
そう、以前シンが突然消えた時の悪夢が、まだ彼女の中でトラウマとして残っているのだ。
「わかってるって、落ち着きなさい!」
私も焦り、自慢のパンチを壁に向かって叩き込むが……拳が痛いだけで何も起きない。
「ダメだ、びくともしない。和泉の防御結界だね」
あの娘、いつの間にこんな強固な結界が張れるようになったの?
彼女の成長を喜びたいところだが、今や、それが最悪な結果となっている。
「シンがやられちゃう! シンが! シンが!」
隣で壊れていくリラを放っておいて、何とか三階の様子を見ようと、いろいろ角度を試すが、ちょうど入り組んだ構造の死角になっているため、何が起こっているのか全く見えない。
「シンがアブナイ! シンが!」
「だー、もう! 少しは冷静になれ!」
リラの肩をつかみ、強く揺さぶる。
「だって、だって、だって……!」
──『だって、だって』に変わった! いちいち癇に障る!
「どったの?」
下で見ていたシュシュが、のんきに上がってくる。
そして、ペタペタと障壁を触りながら頷いた。
「こりゃイズミッチのだね。昨日教えた『完全防御』だよ。すごいね彼女、もう使いこなしてる」
「あんたが教えたの!?」
「そだよ! 仲間を守る力になりたいからって言うからさー、もうホント泣けちゃうね」
──今は、私が泣きたい。
「じゃあ早く解除して!」
「え? 無理だけど」
「無理って、あんたが作った魔法でしょ?」
「作ったのは私。でも使ってるのはイズミッチ。だから彼女じゃなきゃ解けないよー」
そう言って、シュシュは横にうずくまるリラを見る。
「で、そこにいる"シンガシンガ"人形はどうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ! あなたも見てたでしょ! シンが三階に行ったきり、この結界で戻ってこれなくなっちゃたのよ!!」
「だったら、向こうの階段から上がればいいじゃん」
シュシュは、北側にあるもう一つの階段を指さした。
──それだ!
私はリラを抱き起こし、「行くわよ!」ともう一つの階段へ向かう。
「シュシュ。あんたも来なさい!」
振り返り声をかけると、「えー、ここを見張ってなきゃなんないのに」と不貞腐れる。
「この状況を見れば、敵は三階よ! ここは放っておいても大丈夫!」
しぶしぶ後を追ってくるシュシュ。
「シンなら大丈夫だよー。今頃もう斃しちゃってるかもだよー」
この子は時々、楽観しすぎる。
しかも、今のシンが“ただの中年のおっさん”だってことを完全に理解してない。
私だって、昔のシンなら心配などしない。
だが今、敵のいる三階に一人でいるのは“かつてシンだったただのおっさん”だ。
しかも、状況から考えると、和泉やサキコも操られて敵に回った可能性が高い。
──死なないでよ!
私は、右腕に「シンが、シンが」とうわ言のように呟くリラを抱え、後ろから「大丈夫だってー、心配症だなー」とブツブツ言うシュシュを伴い、北階段を全速力で駆け上がった。
▽▽▽
「ありゃ? シンは? いないじゃん」
三階に到着するなり、シュシュがキョロキョロと辺りを見回す。
そして、奥のステージに立つ和泉とサキコを見つけ、駆け寄っていった。
周囲では睡眠魔法で眠った人々が床に転がっている。
その奥には、戦闘の跡なのかテーブルや椅子が派手に散乱していた。
それになぜか、天井に張られたガラスが盛大に割れている。
「シンが! シンがいません!」
絶叫するリラ。
「落ち着きなさい!」
一喝すると、シュシュが戻ってきた。
「やっぱ操られてたよー。今は眠らせといたから安心っしょ」
──いったい何が?
辺りを見ても、肝心のシンと敵の姿がない。見当がつかない。
「とりあえず、敵はいないねー。シンもいないけど」
そう言うシュシュの言葉に重なり、バリバリと爆音を上げ、上空を飛ぶヘリコプターがガラスの割れた天井越しに見えた。
「あ! あれってこの間、私がファイアーボールで脅したやつだ!」
シュシュが嬉しそうに「一度乗ってみたいよねー」とヘリに向かって手を振る。
ヘリは一度離れ、再び旋回して戻ってきた。
どうやらこの建物の真上を旋回しているようだ。
そして、二度目に現れた時、開いた扉から見知った顔がチラリと見えた。
「ソニア?」
間違いない、あの色気のないヘルメットはソニア。
「女神ソニアがいたんですか?」
正気を取り戻したのか、リラが食いつくように聞いてくる。
「この上って何だっけ」
思わず呟くと、シュシュが答える。
「屋上駐車場って言ってたよー。知らんけど」
──屋上!?
私は、そこに向け走り出していた。
屋上への階段は、今までと違い狭く、途中に折り返しの踊り場があった。
その壁に、何か高熱の物体でえぐったような、生々しい焼け跡がついていた。
──マグナフォルテ……?
登り切った先、鉄のドアが開け放たれ、青い空が見えている。
「行くわよ」
最後の階段を上がる。
扉を抜けると、日差しに照らされた白い屋上駐車場――。
「あ! シンだ!」
リラが満面の笑みで叫ぶ。
そこには、シンとルーリ。
その先に奇天烈な格好の男――おそらく敵の怪人。
──なんでルーリがここに?
そんな私の疑問をよそに、シュシュも騒ぎ出す。
「あれー? ルーリちゃんがいるじゃん!」
見れば、シンはマグナフォルテを構え、微かに腰を落として剣の切っ先を敵に向けている。
ルーリは愛刀ルーガライガを振り、紫電がその刀身を駆け抜けていく。
「なんか、キメッキメじゃん!」
シュシュが感心し、リラはうっとりとシンを見つめている。
その時、ルーリが刀を天へ掲げ、紫電を散らしながら一気に振り下ろす。
斜めに構えた切っ先には、雷撃が飛び出しそうな殺気。
「ぎゃーー! 神カットきた! 名場面きたーー!!」
頭上のヘリから、ソニアが騒いでいる声が聞こえた。
──なんだかなー。気が抜けるわ……。
必死に心配して駆け上がってきた自分が、馬鹿みたいに思えた。
ただ、心からホッとしている自分もいた。




