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第三話 シン


 決戦を明日に控えた夜だった。

 湖の向こうに、魔王城が暗く沈んでいる。丘の上で、シンがぽつりとつぶやいた。


「アンジュ。俺に、魔王は倒せると思うか?」


 彼は、いつもと違う真剣な、まるで答えを求める子供のような顔で私を見つめていた。


「あなた以外に、誰が斃せるっていうの?」

 私が少し呆れたように言うと、彼はバツが悪そうに俯く。


「一人じゃないでしょ? 剣のキリ、魔導のシュシュ、斧のライデンに盾のガース……そして、聖女リラもいる。あなた達パーティが揃えば、魔王だって敵じゃないわ」


 その言葉に、シンの強張っていた表情が少しだけ緩む。

 彼は夜空を仰ぎ、「そうだな」と力強く頷いた。


「この世界を……誰もが笑って暮らせる場所にしないとな」


 星の光を映す彼の瞳に、もう迷いの色はなかった。


「アンジュ。本当にありがとう」


 夜空に背を向け、振り返ったシンは、真っ直ぐに言った。


「仲間ができた。守るべき使命ができた。……全部、アンジュのおかげだ」


 その横顔は、気高くて、英雄そのものだった。


 私は思った。強く、強く、思った。


 この人を選んで、間違いじゃなかった、と……。


 ▽▽▽


「……大間違いだったわよぉぉ!」


 安っぽい居酒屋のテーブルを拳でガンガン叩きながら、女神は一人でボケて、一人で突っ込んでいる。


「あの時、多少強引にでもあっちの世界に縛り付けておくべきだったわよねぇ!」


 彼女の手元には、銘柄もバラバラのコップや徳利が五つ、まるで墓標のように並べられていた。


「アンジュさん。ちょっとペース早すぎですよ」


 俺は、転がった徳利をテーブルの隅に立て直しながら、アンジュの様子を伺う。


 勇者。仲間との魔王討伐。

 とても信じられる話じゃない。


 だが、単にからかわれているだけとも思えない、妙な迫力があった。


 俺は二十歳の夏、交通事故に遭ってから五年間眠り続けた。

 そこから丸一年をリハビリに費やし、ようやく退院した時には、二十代はもうほとんど残っていなかった。


 最初は俺を心配して足しげく通ってくれた友人たちも、だんだんと足が遠のいていった。

 毎日のように看病に来てくれていた両親でさえ、訪問の間隔が少しずつ空くようになった。


 だからといって、彼らを責める気にはなれない。

 それぞれ、自分の大切な人生があるのだから。

 

 退院後、俺も人生をやり直すため、就活に専念した。

 

 ──さあ、仕切り直しだ!

 

 最初は意気揚々と取り組んでみたものの、六年のブランクがある胡散臭い経歴の人間を、世間はそう簡単には受け入れてくれない。


 それでも、半ば同情もあってか滑り込めたのが、今の『立川商事』──IT関連の事務機器レンタルをしている会社だ。


 入社して分かったのは、俺の致命的なまでの不器用さだった。


 勘も悪く、要領も悪い。愛想笑いはぎこちなく、とにかく「手が遅い」。

 いつの間にか俺は会社のお荷物となり、今や同僚たちに迷惑をかけないよう、息を潜めて働くことで精一杯だ。


「そうなんだよねー。勇者って、そういうとこあるのよ」

 アンジュは、空になったコップの底に残ったわずかな雫を見つめている。


「不器用で、よく言えば生真面目で実直。悪く言えば、要領が悪くてドンくさい。でも、いったん"これ"って決めたら、わき目もふらず突き進む。そんな奴が勇者に向いてるの。……そりゃ、まともな社会じゃ、息苦しいかもしれないわね」


 そして、空になったコップをテーブルに「ことり」と置き、俺をじっと睨めつけた。


「だからって、こんな『出涸らし』みたいになるなんて思わなかったっつーの!」


 そう叫ぶと、びしょ濡れのおしぼりを俺の顔面に投げつけた。


「いやだから、それ俺じゃないですって! 言ってる意味わかんないし! それに俺、体だってこんなにブヨブヨですよ!」


 俺は腹の肉をつかみ、ブヨブヨと揺らせて見せた。


 それを見たアンジュは、「そんな汚物を見せんな! 目が腐る! アルコール消毒よ!」

 そう言って、また酒をあおった。


 ──消毒って、飲んじゃ駄目でしょ!


 彼女は再び、カッと目を見開くと言った。

「決めた! あんたは、今すぐトラッグリアに連れ帰る!」


「いやいや、人違いだって言ってるじゃないですか!」


「うっさい! 行くわよ!」

 と、残りの酒を一気に飲み干す。


「困ります! 親にも会社にも……ヤベッ! 会社に戻らなきゃ!」


 携帯を見ると、すでに時刻は十九時を回っていた。知らぬ間に、後輩の高坂君や同僚の加藤さんからの着信がびっしりと並んでいる。


「あー、うるさいから外部の雑音はカットしといたわよ」

 さらりと言うアンジュ。


 この女神、今の俺にとってこれがどれほどの緊急事態か、まったく分かっていない!

 着信履歴を見つめて震える俺に、彼女はにっこりと微笑んだ。


「わかったわよ。準備期間として一か月あげる。だから来月、必ず帰るよ! トラッグリアに!」



「ちょっと待てください! 勝手に決めないで!」


「あー、うるさい! グダグダ言ってないで、覚悟決めなさい!」


「覚悟って、何のですか!?」


「あんたが、『本当の自分』を取り戻す覚悟よ!」


 そう一方的に宣言すると、アンジュはパンパンと手を叩いた。


「さ、もう一杯! 次は、その『芋焼酎の水割り』ってやつ、ちょうだい!」



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