第二話 勇者と女神
その後、俺はゴージャスウェーブの金髪美人に、無理やり居酒屋へと連行された。
それはもう、本当に無理やりだ。
言葉通り、襟首を掴まれ、引きずられるようにして。
「あー、ここでいいじゃない。エールが飲める場所、『いざかや』って言うんでしょ! ここにしましょ!」
ドアをバンッと開けて、ズカズカ入っていく。
「あのー、看板に『準備中』ってなってますけど……」
俺の声は完全に届いていない。彼女はお構いなしに中へ進む。
奥から疲れた顔の店主が出てきて、「お客さん、まだ準備中なんだけど」と顔を顰めた。
「いーから、いーから。気にしないで!」
彼女が大げさに手を振ると、店主は声を固くして言った。
「あんた、勝手なこと言ってるんじゃ……」
「私が命じているのです。席を用意しなさい」
その一言で、店主の顔から、すっと表情が消えた。
「……かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
彼女は「よろしい」と頷き、振り返って俺に「フフン」と自慢げな顔を向ける。
──この人、ちょっとアレだ。ヤバい感じが満載なんですが。
奥まった席に案内され、どかりと座るゴージャス……いや、アンジュだったか。
店主は、無表情でこちらの注文を待っている。
そんな彼に、彼女が「エールを二つ!」と威勢よく言うが、店主は戸惑ったように首を傾げた。
「……エール、でございますか?」
「そ! 庶民の飲み物でしょ? エールを二つ!」
今度は、威勢よく指を二本立てて高らかに叫ぶ。
「……あのー、生中二つでお願いします」
俺が小声で訂正すると、店主は深くお辞儀をして去っていった。
「何よ! あの親父」と、アンジュが不満げに唇を尖らせる。
「あの……まず、お名前をお伺いしても? それと、さっきの店員さんへの……あれは一体?」
「え? さっき言ったじゃん。私はアンジュよ」
「できれば、もう少し正式なお名前を……」
「正確にはアンジェリーナ。でもアンジュでいいわ。シンはいつもそう呼んでたでしょ。本当に、何も覚えてないのね」
そう言うと、彼女は髪をかき上げて続けた。
「さっきのは、簡単な『暗示術』よ。人間って案外単純だから、声のトーンを変えて命令口調で言えば、素直に従っちゃうものなの」
「あ、暗示術……?」
「そうそう。でも効果は一時的だから、もうあの店主さんは元に戻ってるはずよ」
アンジュはあっけらかんと言ってのける。
俺の頭はすでにフル回転を越えてパー状態だ。
この美女は何者だ? なぜ俺を知っている? なぜ、俺をそんな親しげに呼ぶ?
ビールが運ばれてきて、俺は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます」
「おう」
店主は、確かに普通のにこやかなおじさんに戻っていた。
アンジュはジョッキを掲げ、俺をじっと見て言った。
「で、シン。本当に何も覚えてないのね」
「すいません……どうしても、思い出せなくて」
「はぁ……」
深いため息をついて、アンジュは少しだけ寂しそうな表情を見せた。
その横顔があまりにも美しくて、俺は思わず息を詰める。
「じゃあ、説明するしかないわね」
アンジュはジョッキを置くと、真剣な顔になった。
「私は女神よ。正確には“超絶美人な女神”」
「め、女神……?」
「そう『超絶美人な』ね。そしてあんた、山川新次郎は、かつて私の『担当』だった人間」
「担当……?」
「『勇者』って知ってる? ほら、世界を滅ぼそうとする魔王を斃す、神に選ばれし者のこと」
俺の脳が、完全に理解を拒絶し始めた。
「ま、まさか……」
「その、まさかよ。あんたが、それだったの」
アンジュはビールを一口飲むと、「あら、案外いけるじゃない」と不敵に笑う。
「ちょうど十年前、あんたは魔王を討ち取った。で、その時、私はあんたの記憶から私の存在を消して、この世界に戻したのよ」
「……この、世界?」
「そこから説明しなきゃダメ!?」
アンジュは、呆れたようにジョッキをテーブルに置いた。
「シンはね、今から十五年前に『トラッグリア』っていう、ここじゃない世界に勇者として召喚されたの。そして、五年かけて、見事、魔王を討伐した」
「……もう、意味が分かりません」
「黙って聞きなさい!」
一喝され、俺はビクリと背筋を伸ばす。
「で、魔王討伐のご褒美に何が欲しいって聞いたら、『元の世界に帰りたい』なんて言うから、仕方なく記憶をきれいさっぱり消して、ここに帰してあげたのよ」
──勇者? 召喚? トラッグリア?
もう、この目の前の美人が、まともな人間ではないことだけは確定した。
「それは……何かのお話し、ですか?」
「あんた自身の話よ! 思い当たるとこない?」
「いや、全く……。トラッグリアというのは、どこの国です?」
「国じゃない、世界! ここは『地球』でしょ? それとは別の世界!」
異世界……召喚?
テレビゲームや小説でしか聞いたことのない単語が、俺の頭を殴りつける。
「なんで……そんなことを?」
「それは……」
アンジュの表情が、急に曇った。
「時空の壁を抜ける瞬間に、勇者としての力が付与されるから……って、もう、そんなことはどうでもいいの! 」
彼女は感情的に畳みかけ、そして急に声を落とした。
「それより、シン! その落ちぶれっぷりは一体どういうことなのよ」
気まずい沈黙が流れる。
やがてアンジュは、俺の目をじっと見つめると、絞り出すように、小さくつぶやいた。
「……あたしの知ってるシンは、こんな……こんな情けない顔、してなかったわよ」
第三話 シン
は、明日18時10分に公開です!!