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第十五話 彼女の理由


 俺は、公園の脇にあった自販機で温かいミルクティーを買い、まだしゃくり上げているるーりに手渡した。


「……ありがとうございます」

 彼女は小さく呟くと、キャップをひねり、こくりと一口飲んだ。


「……甘くて、おいしい……」


 彼女は、ありふれた缶を、まるで宝物のようにじっと見つめている。


「こんなに、おいしい飲み物だったんですね」


 その純粋な驚きを見て、胸が痛んだ。

 生真面目な彼女のことだ。きっと、自分のためには一切お金を使わず、ずっと切り詰めてきたのだろう。

 スーパーやコンビニで働いていても、贅沢なんて考えたこともなかったのかもしれない。

 ──缶コーヒー一つに文句を言う、どっかの女神とは大違いだ。


 俺は、彼女の隣に腰を下ろした。小さな喉が、こくこくと動くのを眺める。


「……どうして、そこまで頑張るの?」


 突然の問いに、るーりは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに手元の缶に視線を戻した。


「私の生まれた村は、エバンスなんです」


 エバンス……。異世界の村の名前、だろうか。


「シン様は、覚えてらっしゃらないかもしれませんけど……オーガの群れに、襲われた村です」


 オーガ? 確か、物語に出てくる怪物に、そんな名前の化け物がいた気がする。


「その日、私は母と姉と一緒に、森へ薬草を摘みに出ていたんです。お昼ごろ、村の方から警鐘が聞こえて、慌てて戻ると……二匹の巨大なオーガが、村を破壊していました」


 彼女は、思い出すように真っ暗な夜空を見つめている。


「村の家はみんな壊されて、オーガを取り囲んだ大人たちも、全然歯が立たなくて……。私たちが家に駆けつけると、屋根を壊された家の下で、お父さんが下敷きになっていて……」


 そこまで言って、彼女の目から、また一つ、大粒の涙がミルクティーを持つ手に落ちた。


「お母さんとお姉さんがお父さんを助けようとしている間、私、怖くて、何もできずに後ろで見てたんです。そしたら、すぐ後ろに、もう一匹のオーガが立っていました。それが、大きな棍棒を私に振り下ろそうとした……『あ、死んじゃう』って、そう思った、その時でした」


 ルーリが、潤んだ瞳で、真っ直ぐに俺を見る。


「私とオーガの間に、大きな、大きな背中が割り込んで……巨大なオーガを、たった一撃で倒してしまったんです。……それが、シン様でした」


 彼女は、じっと俺の目を見て続けた。


「シン様は、呆然としている私に、怒ったり、命令したり、ましてや偉ぶったりもせず……ただ、深く、深く頭を下げて、こう言ったんです」


「『遅れてごめん』って」



 都会の真ん中でも、わずかな植え込みがあれば、虫たちは逞しく生きている。

 まだ残暑が厳しい夜だが、気の早い秋の虫たちが、あちこちで懸命に鳴いていた。


「そのあと、駆けつけてくださった聖女リラ様のおかげで、父や村の人たちは何とか一命をとりとめました。でも、村は壊滅してしまって……結局、私は王都へ出稼ぎに出ることになったんです」


 ルーリは、ミルクティーの缶を両手でそっと包み込むように持っている。


「毎日、パン一つ食べられないような生活でしたけど、全然平気だったんです」

 そう言って、彼女はニッコリと笑った。

「だって、これはシン様に助けていただいた、大事な命だから。こんな私でも、きっといつか誰かの役に立てる。そう思うと、どんなことも、へっちゃらでした」


 その笑顔は、今まで見てきたどんなものよりも、力強く、そして美しかった。


「ずっと体だけは鍛えてたんです。いつか必ず騎士団に入って、シン様のお役に立ちたい。そう思って、毎年、入団試験も受けてました。……そんな時に、女神様の『放送』が始まったんです」


 ──ま、まさか……『女神チャンネル』か!?


「どんなに疲れていても、それだけは見逃さないように、いつも街の広場に通ってたんですよ」


 ルーリは、少しだけ恥ずかしそうに、クスリと笑った。


 その後、晴れて騎士団の試験に合格したルーリは新米騎士としては異例の大活躍で、その若さで、めきめきと出世し小隊を任されるまでになったそうだ。


 先日の戦闘でも、そつなく皆を指揮していたのはその経験があったからだろう。


「でも残念。小隊を任され、いざ、勇者パーティの援護に!って時に、シン様たちは魔王を斃しちゃうんですもん」


 ちょっと拗ねたように、足をプラプラさせる。


「でもでも、シン様たちが凱旋した時は、私。近くで護衛してたんですよ! きっと覚えてないでしょうけど」


 ──ごめん。その時どころか、全部覚えてないんです。


「いつかはきっと、シンさんと一緒に戦えるって思ってたら、シン様が急に元の世界に帰っちゃって、正直。寂しくて、もう騎士もやめちゃおっかなーと思ってた時、夢の中にソニアが現れて、お告げだよって言ってきたんです。『勇者がシンのいた世界を救ってくれって』」


 彼女が目をらんらんと輝かせて身を乗り出してくる。


「あれか3年。何とかここまでやってきました。そしたら、こうして夢が叶いました!」


 彼女がずいずい近づいてくる。


 俺は、その気迫に押されたじろぐ……と、3年?


「今こっちに来て三年って言った?」


「はい、大変でした。こっちの生活に慣れるまで。特に、お金 こっちじゃ学歴?とか職歴?とか面倒なことがいっぱいで」


「ちょっと待って、勇者シンが世界を去ったのっていつ?」


「えーと、私が勇者召喚の1年前だから4年前?」


 なんか計算が合わないんだが・・・・

 俺が異世界から帰って、もう10年近くたとうとしてるのに。


 そんな疑問が、ぐるぐる頭を駆け巡る中、ルーリがポツリと呟いた。


「でもシン様はなんで、そんなくたびれた中年みたいな恰好をしてるんですか?」


 ──いやいや。私、正真正銘『くたびれた中年』ですから。



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