第百十五話 悪意そして悲劇
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※この話には、ネット中傷の描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
(アキルより)本話では、現代社会で起きている問題をモチーフに、物語として描いています。不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、ご理解いただけますと幸いです。
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紫電が走った黒目玉は、その表面からドロドロと焼け溶けていった。
粘り気のある黒い粘液が、空中で光の粒子へと還り、霧散していく。
──手応えは、ある。
だけど、突き入れた剣は引き抜けるどころか、ずぶずぶと黒い球体の深部へ飲み込まれていく。
抗おうにも、私の足もまた、底なし沼のような不気味な感触に捕らえられていた。
ぬらぬらとした、不気味に脈打つ表皮。
その闇の中へと、じわじわと身体が沈んでいく。
『ルーリ!! 何をしてるんだ、早く離れろ!!』
耳元でムッシュが、悲鳴に近い声を上げた。
──AIのくせに、ホント、人間みたい。
切羽詰まった彼の声に、私は心のどこかで少しだけ安心していた。
頬に触れる黒い粘液の冷たさを感じながら、私は唇の端を吊り上げる。
「大丈夫だよ、ムッシュ! これは予定通り……」
視覚情報が、どろりとした黒に塗り潰されていく。
私は闇に呑まれながらも、手の中にある剣の感触だけは決して離さなかった。
「──このまま、中に入るわよ!」
私の身体は抵抗を止め、自ら「悪意の核心」へと身を投げ出した。
『何が大丈夫だよ! このままじゃデータの一部となって同化するぞ! まだ意識をしっかり持っててよ! 今、君の存在パケットを強引にカプセル化するから! それと、セーフティを全解除! オーバーライドするから、ちょっと待っててね! もーこれだから勇者ってのは……』
ムッシュの焦燥を含んだ声が、情報の濁流にかき消されていく。
身体の境界線が曖昧になり、熱いような、芯まで凍えるような不快感が意識を支配する。
──さあ、見せて。あなたたちの正体を。
暗黒の向こう側。
私は、底知れぬ悪意の深淵へと足を踏み入れた。
▽▽▽
どこが始まりで、どこが終わりかなんて、さっぱり分かりゃしない。
一面が黒で塗りつぶされた視界。
目は開いている……開いているはずなのに、顔の前に持ち上げてみた自分の手さえ見えない。
ただ、耳をすませば、どこからか聞こえてくる不気味なざわめき。
私は彷徨うように、その中へと進んでいく。
すると突然。
「イメージ」が「言語」となって、容赦なく私を殴りつけてくる。
《こいつチー牛じゃね?w》
《効いてて草。早く消えろよ》
《見てるだけで不快。界隈の害悪》
《身の程を知れよ、ゴミ垢が》
《はい、自業自得。お疲れさまでしたー》
それは、誰が放ったかもわからない。
画面の向こう側の「誰か」が、暇つぶしに、あるいは鬱憤晴らしに、指先一つで放り投げた無責任な礫。
一つ一つは、取るに足らない毒かもしれない。
でも、それが数百万、数千万という塊になった時、それは勇者の魂さえも溶かす「劇物」へと変貌する。
視界が反転し、どろりとした闇が私の全身を包み込む。
ムッシュのカプセルが弾けそうなほど、外側からの「圧力」が凄まじい。
耳を塞ぎたくなるような、数万人の嘲笑がノイズとなって脳に直接流れ込んできた。
それは、かつて私が現実の世界で耳にした、どんな罵詈雑言よりも冷たかった。
感情がない。
ただ「面白いから」「叩いていい流れだから」というだけの、無機質な暴力。
ルーガライガを握る手が、一瞬だけ震えた。
『ルーリ、意識を強く持て! 同調しちゃダメだ! それは君に向けられた言葉じゃない、ただの情報のゴミなんだから!』
「……わかってる。でも」
私は、歯を食いしばって叫んだ。
「みんな! やめて! その言葉が、誰かを傷つけてるんだよ!」
闇に向かって放った私の声は、呆気なく嘲笑の波に飲み込まれる。
《うわっ、こいつキショ……》
《自己責任。自業自得。界隈から消えろ、ゴミ》
《クソ勇者! とっととタヒレタヒレタヒレ》
──勇者!?
なんで、私のことを知ってるの?
《この人、勇者なんだって。どうするみんな!》
《なにそれ、逝ってる人?》
《いるいる。自己主張、存在証明に飢えたゴミカス》
《早く特定しろよ。身の程知らずの正義マンw》
《クソ勇者! とっととタヒレタヒレタヒレ》
《タヒレタヒレタヒレタヒレタヒレタヒレ》
憎悪がむき出しの刃となって、私の心に突き刺さってくる。
その痛みは、ムッシュのカプセルさえも貫通し始めていた。
『だめだ! それ以上そこにいたら君が汚染される! 今すぐ出てくれ!』
「だめよ。ムッシュ、このバケモノの根源を探して! 早く!」
『無理だ! これだけ情報が汚れてると、解析に時間がかかるんだ! そんなに君の精神がもたないよ!』
ひっきりなしにあふれ出てくる、憎悪、嫉妬、嘲笑。
だれが、なんで、こんな……。
──いや、待って。
思考のノイズを振り払い、私はある一点に集中する。
「ムッシュ! さっき私を『勇者』って言ったログ、たどれる!?」
『え? そりゃ、記録としては残ってるけど』
「だったらすぐに、それを逆探知して! そこに、この汚染の根源があるはず!」
勇者ルーリ。
私の正体を知っているのは、この世界でもごく少数の人だけ。
しかも、今この瞬間に私がここにいることを知っているのは、この騒動を仕組んだ首謀者だけだ。
「ムッシュ! お願い! 私が飲まれる前に、そいつを突き止めて!」
悪意がさらに濃度を増して、私を包み込む。
それが直接、身体を蝕むように侵食していく。
「ッ……!」
痛い。
悲しい。
全ての感情が限界を迎え、悲鳴を上げそうになったその時。
彼の声が、静かに呟いた。
『……見つけたよ、ルーリ。とびきり性格の悪い「発信源」だ。──そしてこれは、万能を自負する僕も予想できなかった悲劇だ』




