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第百十三話 荒野のルーリ

 

【勇者ルーリ】


  空には、手が届きそうなほど低く垂れ込めた、重苦しい曇り空。


  どこか饐えた匂いの混じる冷たい風が、容舎なく私の頬を撫でていく。


  ──これが、ネットの中の世界?


  あまりに想像していたイメージと違いすぎて、私は呆然と立ち尽くした。


  電子の世界なんて、それこそ──古いスクリーンセーバーみたいに意味もなく回転するロゴや、粗いポリゴンの地面がどこまでも続いて、空中にはエラーウィンドウの残骸が漂っている。


 そんな、安っぽい「未来っぽさ」を勝手に想像していたのに。


  私はゆっくりと膝をつき、しゃがんで地面に手を伸ばした。

  指先に触れたのは、ひどく乾燥した茶褐色の砂。


  一つまみ掴んで風に乗せてみると、それはさらさらと、無機質な音を立てて流れていった。


  周りを見渡しても、そこにあるのはゴツゴツとした岩肌だけ。

  草も、花も、鳥の声もない。生きているものの気配が、何一つとして存在しない。


  見上げる空はどこまでも厚い雲に覆われ、視界の及ぶ限り、ただただ茶色の荒れ果てた大地が続いていた。


「……音がない」


  呟いた声が、虚無に吸い込まれていく。


  そこには、風の音も、賑やかに会話する声も、何も聞こえなかった。

 ただ歩くたびに、砂を噛む自分の靴音だけが妙に大きく響いている。


  データの世界に行けば、何かを変えられると思っていた。

  この世界から生まれた憎悪を変えることができると思っていた。


  ──でも、なにもなかった。


  変えようと思っても、変えるべきものさえ見つからない。立ち向かうべき相手さえ、どこにもいない。


  そこにあるのは、無限に広がる荒野と、重々しい鉛色の雲だけ。


  途方に暮れてしまった私は、すがるようにその名を呼んでいた。


「ムッシュ……?」


  返事がない。


「ムッシュ! いないの!?」


  孤独感と不安感が押し寄せ、気がつけば、迷子の少女のように叫んでいた。


  喉の奥がヒリつく。それでも叫び続けた。


 しばらくして、ようやく耳元にジジ……ジジジ……とノイズが走った。


『ルーリ! ルーリかい?』


  ムッシュの声。

 さっき名前を教えてもらったばかりの、ただのAIモデル。

 

  それなのに、この存在の声が、今の私にはどれほど救いに感じられたか。


「ムッシュ! 何もないの、誰もいないの! 見渡す限り岩が転がってる荒野と、嫌な感じの曇り空だけで……っ」


『あー、うん。ルーリには、この世界がそう見えてるんだね』


「そう見えてる?」


  私は立ち止まり、耳に指を当てて辺りを見回した。どこからか聞こえてくる声の主を探し、集中するように。


『この世界に入るとき、情報を可視化させるために過去のイメージや、君の持つ想像力の源泉を使って視覚化するように設定したんだけど……なんだか、ひどい世界に見えちゃったみたいだね』


  ククク、とムッシュが可笑しそうに笑う。


  ──ホントにコイツ、AIなの?


『いやいや、ごめんって。とにかく言えることは、ルーリ。君が今、このネットの世界を「殺伐とした荒野」のように感じている……。それが君の深層意識にある、この場所への答えってことだね』


「つまり、私のイメージ力が貧困だから、こんな殺風景な世界になっちゃったってこと?」


『そうは言っていないさ。そうは……、ククッ』


  小馬鹿にしたような笑い声に、私はちょっと腹が立って、つい責めるような口調で返した。


「なんでさっきは、すぐに返事してくれなかったのよ。ここに来る時には『ちゃんとエスコートする』って豪語したくせに」


『いや、ごめんて。実は君を情報化するにあたって、不明なパラメーターが多すぎたんだ。それに戸惑っているうちに、君の意識がどんどん深層へ潜っていって、危うく見失うところだったんだよ』


「パラメーター? どういうこと?」


『言葉にはしにくいんだけどね……。まぁ、ひとことで言えば──勇者という存在が、システムにとってどれほど異質かってことだよ』


「異質……。それ、絶対に褒めてないよね」


『とんでもない。私にとっては最大の称賛だよ!』


「あ、そ」


  そっけなく返事をして、私はもう一度周りを見渡した。


  事情が分かったところで、何一つ変わらない殺風景な風景。つい、大きなため息が漏れる。


「こんな荒野じゃ、何もできないわ。どうすればいいの?」


『その質問に答えるとするなら──「僕も分からない」だね』


「そんな……!」


  思わず大声をあげてしまう。


『この世界は広大だよ。見える範囲に何もなくても、どこかに必ず「何か」がある。それを探すしかないね』


「そんなこと言ったって……」


  見える範囲には、本当に何もない。

 何かを探すといっても、どれほど歩き回らなければならないのか。


 考えるだけで途方に暮れてしまう。


「こんな時に、愛車のあの子があれば……」


  ぼそりと呟いた言葉が漏れていたのか、『あの子って?』とムッシュが反応した。


「私の使ってる自転車よ。歩いて回ってたら、何も見つからないもの」


  しばらくの間、ムッシュは「うーん」と考え込むような沈黙を置いた。


『ねえ、ルーリ。ちょっとジャンプしてみて』


  突然、訳の分からないことを言い出すムッシュ。


「ジャンプ?」


『そう。いいから、ほら。ぴょーんって、思いっきり高くジャンプしてみてよ!』


  釈然としないけれど、とにかく言われるがままに地面を蹴ってみる。

 

  ──その瞬間。

  私の体はグンと跳ね上がり、恐ろしいほどの加速で空へと吸い込まれていった。


「ひゃああっ!?」


 あまりの出来事に悲鳴が上がる。

 視界はいつしか分厚い雲を突き抜け、その上の世界にまで達していた。

 

 どこまでも広がる抜けるような青い空。澄み渡った空気。

 足元には、先ほどまでの絶望が嘘のように、雨雲が白い絨毯となって広がっていた。


「す、すごい……っ」


  感動したのも束の間、今度は猛烈な勢いで自由落下が始まる。


「死ぬ死ぬ死ぬーっ!」


『大丈夫だ、落ち着いて! 膝を柔らかくして、いつものジャンプの着地と同じ要領で!!』


  ドォォォォォォォンッ!!


  私の体は土煙を上げながら着地した。

  凄まじい衝撃。巨大なクレーターのど真ん中で、私は呆然と立ち尽くしていた。


『どう? すごいよね!』


「%&@@ー%%……っ! な、なんなのよ今の……!」


 今の衝撃で言葉が上手く出ない。


「特異って、限度があるでしょ! 今、雲の上まで行ってたんだよ!? ビューンって昇って、ヒューッて落ちてきて……。それでも私、生きてるし……っ」


『それが君のポテンシャルだよ。人は本来、自分の可能性を知らずに生きていることが多い。本当は無限の可能性を持っているのにね……。ああ、いや、君は勇者だったね。そりゃー、凄いはずだ』


「黙って!」


 つい強い口調になってしまったが、私はすべてを理解した。


 ──無限の可能性。


 私は手を開いたり握ったりして見つめる。


 そして今度は、耳の後ろに手を広げ、意識を集中させた。

 音を拾うかのように、神経を研ぎ澄ましていく。


 さっき風に運ばれてきた、あの饐えた匂い──腐臭の方向から、微かに声が聞こえた気がした。


「ありがとう。探してるもの、見つけた気がする」


『それはよかった』


 私は、足に力を込める。

 ぐっと地面を蹴り出すイメージ。


 そして──「行くわよ!」

 地面を思いきり蹴り上げる。


 体が加速し、衝撃波が周囲を薙ぐ。


 いま私は、風を超え、音よりも早く走り出した。



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