第百十二話 深淵へのダイブ
【勇者ルーリ】
サーバー室に一歩足を踏み入れた途端、異様な熱風が肌を薙いだ。
それが自分の焦りからくる火照りなのか、精密機械が発する現実の排熱なのか、今の私には判別がつかない。
後ろについてきた和泉ちゃんが、ドア口で立ち止まり、弾かれたように振り返った。
そのまま、再び戦火の上がる外へと飛び出そうとする。
「待って! あなたがいても、今の外じゃ戦えない……っ」
ソニアの制止を振り切るように、和泉ちゃんが射抜くような鋭い視線で言い返した。
「でもそれじゃ、九頭竜さんやガースさんが孤立しちゃう!」
いつになく自分の意見を押し通そうとする彼女の気迫に、私は一瞬、言葉を失う。
「大丈夫。あの二人なら、きっと……」
私はそう言いながらも、視線を逸らした。
根拠なんてない。これはただの、自分に言い聞かせるための誤魔化しだ。
──だからこそ私は、私のすべきことをしなきゃ!
「須藤さん! 基幹サーバーはどこ!?」
須藤さんは、複雑な配線がのたうつラックを指差し、首を振りながら応えた。
「サーバー自体はその横のブロックだ。だが言っただろう。そこを物理的にぶっ壊したところで『シルベ』は死なない。アクセスが他の分散サーバーへバイパスされるだけだ!」
「それでも! 今、目の前にある可能性を叩きたいんです。何か、他にできることはないの!?」
「もうないよ。後は……願わくば、人の心が清らかで正しくあること。それくらいだな」
須藤さんの目を見つめる。
皮肉屋の彼だって、実は余裕なんてないんだ。その血走って吊り上がった目を見れば、嫌でも理解できてしまう。
サーバー室の中に、形のない恐怖や不安、どす黒い絶望が充満していくのを感じる。
それが、物理的な重みを持って肌をチクチクと刺した。
……痛い?
単なるデジタル情報が、肌を刺す?
自分でも何を言っているのか分からなくなる。
「情報」が「痛み」として伝わるなんて、まともじゃない。
でも、勇者になってからまともな事なんて、この世界には一つもなかった!
私は拳を、爪が食い込むほどに強く握り締めた。
「きて! ルーガライガ!!」
虚空から剣が顕現し、紫の電光が激しくスパークする。
「ちょっとちょっと! 何考えてんだ!」
須藤さんが裏返った声で悲鳴を上げた。
「まさか、本気でサーバーを叩き斬るつもりか!?」
「壊すんじゃない。ここから……、この基幹サーバーを経由して、ウェブの深層──『ダイレクト・リンク』に入ります」
「なにをっ!?」」
「向こう側から、皆に伝えなきゃならないんです。本当の声を!」
『推奨されない試みだ。生存確率は、限りなくゼロに近い』
部屋のスピーカーから響いたのは、感情の起伏を一切排除した、硬質な合成音声だった。
須藤がシルベのプロトタイプとして作ったAI「プロト01」の声だ。
「ゼロじゃないなら、賭ける価値はあるわ!」
『貴女の脳波パターンを解析した結果、精神崩壊の懸念が極めて高い。……だが、論理的な最適解が閉ざされた今、貴女の「非合理的な行動」に演算リソースを割くことを許可する』
「……許可なんて求めてない。お願い、協力して!」
インジケーターが激しく点滅する。
その一瞬の沈黙の間、スピーカーから僅かにノイズが混じった。
『……やれやれ。これだから、勇者様の相手は疲れる』
「え? 今、なんて……」
今の声、プロト01じゃない。
もっと、ずっと人間味のある……まるで、ほかの勇者を知ってるかのような……。
『マスター。彼女の言う通りです。現状、それしか手はありません』
部屋の中に、プロト01の冷静な、だが確信に満ちた声が再び響く。
『くしくも、「シルベ」は私とほぼ同じアーキテクチャです。そのやり方なら私にも助力できるはず。私からもお願いします。僕の分身がこれ以上、人に害を撒き散らさないよう、力を貸してほしい』
AIらしくないそのセリフに、私はクスリとほほ笑み「任せて!」と答えた。
『原理は単純です。人間の意識とは、脳内のニューロンが引き起こす微弱な電気信号のパターン。そして、貴女の持つルーガライガの紫電は、僕の干渉によって量子的な情報を付加することが可能です』
プロト01が、サーバーの稼働モニターを青く発光させながら続けた。
『僕が貴女の脳波を電磁パルスへと変換し、サーバーの磁気記録装置と「量子もつれ」を強制発生させます。いわば、貴女の魂をデジタルデータの波動として、ネットの海へ直接放流するのです。サーバーを破壊するのではなく、貴女自身がネットを駆け巡る電子──いいえ、「情報そのもの」になるのですよ』
「そんな……そんなの、戻ってこれなくなるんじゃ……っ」
ソニアの顔が青ざめる。
「構わない。やらなきゃ、どのみち世界は悪意に覆われて終わりだから」
私は、雷鳴を纏う剣をサーバーの端子へと向けた。
『君がネットの中に入っている間、君の肉体は無防備になる。それでも行くかい?』
「だ、大丈夫です!」
和泉ちゃんが叫んでいた。
「その間は、私が命に代えてもルーリを守ります!!」
彼女は「防御結界」と低く呟き、私たちの周囲に透き通った青い幕を張った。
「……ありがと。和泉ちゃん」
ソニアは私をじっと見つめている。
「ソニア……」
唇から零れ落ちる声。
ソニアはそんな私を見て、ふっと優しく微笑んだ。
「いいわ。自分の道を進んで。私は、そんなあなただからこそ──『勇者』として選んだんだから」
彼女の瞳に、自分が映っている。
ちっぽけで、無力な私。
それでも、信じて一緒に戦ってくれる仲間がいる。
だから私は、最高に不敵な笑みを返した。
「任せて」
私は、ルーガライガをサーバーに突き入れた。
紫電と電流が激しく拮抗する。
頭の中に、圧倒的な圧力となって情報の潮流が流れ込んでくる。
『君のエスコートは僕が責任を持ってするよ。勇者……』
「ルーリよ。プロト01」
『勇者ルーリ。できれば僕のことも、名前で呼んでほしいな。僕はムッシュ。よろしく、ルーリ』
「OK、ムッシュ! さあ、世界を取り戻しに行くよ!!」
途端に、意識の中に無数の情報が濁流となって押し寄せてきた。
次の瞬間──私は、荒れ果てた荒野に立っていた。




