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第百十一話 蒼き共鳴(Azure Resonance)


【山川新次郎】



 校舎から溢れ出すように、暗い情念をその目に宿した生徒たちがこちらへ歩いてくる。

 ゆっくりと、だが着実に。


 俺たちはじりじりと押されるようにして、運動場の中央に追い詰められていた。


「ウソ! ちゃんとやったのに! 完璧な第二級睡眠魔法だったのよ!」

 リラが悲鳴に近い声を上げ、信じられないとばかりに激しく首を振る。


「ちゃんとしてたよ、リラ。ただ、相手の『解呪』の方が一枚上手だっただけ」

 アンジュが、ゾンビのように虚ろな足取りで近づいてくる生徒たちを見据えて言った。


「そんな! 二級魔術よ!? 魔術の存在しないこの世界で、一体どうやって解呪なんて!」

 アンジュは答えず、ただ静かに首を振るだけだった。


 そんな彼女に支えられ、ついさっき意識を取り戻したばかりの少女──香苗が、不安げな表情で俺たちの顔を窺っている。


「シン。どうする。これじゃ埒が明かんぞ」

 そう言って、キリが腰の刀をすらりと引き抜いた。


「可哀想だが、このまま襲ってくるなら、足を斬って動けないようにしてやるしかない」


 その物騒な言葉に、香苗が顔を真っ青にして叫んだ。


「待ってください! みんな、普段は真面目な普通の高校生なんです! 足を斬るなんて、そんな……!!」


「だからなんだ。今は普段じゃない。元がどうだろうが、今この場では敵だ」

 キリは冷徹に言い放ち、鋭い輝きを放つ愛刀を正眼に構える。


「安心しろ、薄皮一枚は残してやる。騒動が終わった後に、ポーションで治療すればいいだけの話だ」


 あまりに当たり前のように告げられた解決策に、アンジュがそっけなく、だが致命的な事実を突きつけた。


「ポーションなんて、この世界にはないわよ」


「へ?」

 キリが素っ頓狂な声を上げて振り返る。

 アンジュは呆れたように肩をすぼめた。


「あるわけないでしょ。魔術のない世界なのよ? そんな便利な物まであると思ってたの?」


「……マジか!?」

 腰を落とした戦闘態勢のまま、キリは固まった。


 そうしている間にも、俺たちは運動場のど真ん中まで追いやられ、気づけば完全な包囲網の中にいた。


「ごめんなさい! こうなったのも、全部私のせいなんです。私が、自分のことだけを考えて……っ」


 香苗がアンジュの手を振り払い、顔を覆ってその場にうずくまってしまう。


 そんな彼女の細い肩を抱くようにして、サキコちゃんが寄り添った。


 その時、再びスマホが激しく震えた。


『泣かないで、カナ。これは君だけのせいじゃない。ここにいる全員のせいなんだよ。そうでしょ?』


 驚いて顔を上げる香苗。それに答えたのはサキコちゃんだった。


「……ごめん。ムッシュの言う通り。これは、私たちのせいでもあるの」


「サキコ。あなたたちは一体……」

 香苗が何かを言いかけたその時──。


 パンパン、と乾いた音が運動場に響き渡った。


 視線を向けると、太洋さんが生徒たちの足元に向けて拳銃を発砲していた。

 彼は硝煙を逃がすように銃口を振ると、忌々しそうに吐き捨てた。


「……全く。恐怖という感覚すら、失っているみたいだね」


 威嚇射撃すら意味をなさない。

 何百人もの生徒たちが、濁った瞳のまま、津波のように押し寄せてくる。


「もう、やるしかないのか……っ」


 俺は奥歯を噛み締め、右手に『マグナフォルテ』を顕現させた。


 ずしりとした重み。だが、俺の手はわずかに震えていた。

 とてもじゃないが、この剣で、さっきまで授業を受けていたはずの生徒たちを切り裂くなんて、俺にはできない。


 そんな俺の葛藤を見透かしたように、アンジュが言った。


「シン。あの『蒼い炎』は出せないの?」


 ──蒼い炎!?


「さっき、グールを仕留めた時に使った炎よ」


 俺は手にしたマグナフォルテを見つめた。

 刀身は今も赤々と、まるで怒りそのものが形になったかのように燃え盛っている。


 俺とアンジュのやり取りを、キリも太洋さんも、みんなが固唾を呑んで見守っていた。


「もう一度言うよ。シン、蒼い炎をもう一度出す自信はある?」


 自信!? そんなもの、あるわけない。


 俺はマグナフォルテを目の前にかざした。


「わからない。少なくとも今は青くならないんだ。そもそも、どうしてマグナフォルテがこんな風に……」


「あの炎は、剣の力じゃないわ」

 アンジュが俺の言葉を遮り、真っ直ぐに俺の目を見つめた。


「今のあなたに、マグナフォルテが合わせたの。いわば──あなた自身の魂の炎よ」


「俺の、炎……?」


「そう。臆病で、逃げ腰で……それでいて、誰よりも傷つきやすい。ま、そんなところ! やれるの?」


「でも、炎なんてここで使ったら、みんな火傷じゃ済まないんじゃ」


「あなたの炎でしょ! あなたが支配するのよ! 誰も傷つけないと決められるのも、あなただけ。……信じてるわよ、シン」


 アンジュの瞳に、俺自身の震える姿が映っていた。


 目の前には、ひたひたと近づいてくる生徒たちの群れ。

 その瞳に宿るのは、どす黒い情念。


 自分を、そして他人を傷つけることでしか生きていけないと叫んでいるような。

 残酷な日々に、ただ絶望して泣きはらしたような。


 そうだ。

 この光景、どこかで見たことがある。


 それは、鏡の中の俺自身だ。


 他人を羨み、自分の境遇を呪い、何者にもなれない自分を憐れんで。

 それでいて、何かに抗う勇気もなく、ただ泥沼の中で自堕落に酔いしれていた日々。


 ──ああ、そうか。


 この嫌悪感と恐怖の正体は、こいつらが「俺」だったからだ。


 だったら──。


 マグナフォルテに宿る赤い炎は、かつて俺がシンと呼ばれていたころの情熱。

 世界を救う。非道な悪を許さない。弱き者たちを救うという情熱。


 なら、今の俺がやるべきことは一つしかない。


「……みんな、下がっててくれ」


 俺はマグナフォルテを逆手に持ち替え、渾身の力を込めて、地面へと突き刺した。


 ドォォォンッ!

 という地響きと共に、赤い炎が爆発的な波紋となって広がった。


 周囲の生徒たちが、その熱圧に悲鳴を上げる。


 傷つけることでしか満たされない欲望。

 競い合うことでしか得られない悦楽。

 その果てにある、空っぽの絶望。


 その邪悪なものを焼き尽くそうとする炎は、凶暴なまでに赤く燃え盛り、さらに勢いを増して広がっていく。


 ──そうじゃない! 今の俺ができることを!


「大丈夫。傷ついて、人を妬んで、夢を失くしていたあなたなら、誰よりもわかっているはずよ」


 アンジュが隣に立ち、俺の肩にそっと触れた。


「みんなの、その震える心を」


 彼女の指先から、冷たい雫のような感覚が俺の心臓へと一滴、溶け落ちた。


「さあ。今のシンを見せて」


 イメージしろ。

 俺が知っている、あの暗闇を。孤独を。恐怖を。

 そして、その裏側に隠されていた「助けて」という叫びを。


「マグナフォルテ……! その情熱を、救いの光に変えろッ!!」


 激しく燃え盛る赤を、透き通るような「蒼」が塗り替えていく。


 ゴォォォ……という暴力的な燃焼音が、いつの間にか、凛とした鈴の音のような澄んだ響きへと変わっていた。


 脳裏に浮かぶのは、ひとつの答え。


 俺もお前らも、一人じゃない。


「──蒼き共鳴(Azure Resonance)!!」


 瞬間、視界のすべてが幻想的な青に染まった。

 周りを囲む生徒たちを、墓標のように立つ校舎を。


 そして蒼は爆発的に広がり、邪悪な実験場と化していたこの街全てを包み込んでいく。


 その炎は熱を奪わず、むしろ凍てついた心を溶かすように、優しく、静かに、狂える人々の魂を包み込んでいった。



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