第百九話 反撃への序章
【勇者ルーリ】
私たちは須藤に連れられ、最初に案内された場所とは別の、白く無機質な通路を進んでいた。
コツコツと響く足音が、かえって静寂を強調しているみたいで、少し落ち着かない。
「…………」
先導する須藤は、私たちがちゃんとついてきているか気になるのか、何度も何度もチラチラと後ろを振り返ってくる。
その視線はどこか落ち着きがなく、彼自身がこれからしようとしていることに怯えているようにも見えた。
いくつか階段を降り、入り組んだ通路の突き当たり。
そこには、小さく『6号室』と書かれたラベルの貼られた、重厚な扉があった。
須藤は、首から下げていた身分証を壁のリーダーにかざす。
ピッという電子音に続いて、今度はパッドのような装置に顔を近づけ、じっと目を合わせた。
網膜スキャンだろうか。
カチリ、と硬質なロックが外れる音が響き、彼はゆっくりと扉を押し開けた。
「……さあ、どうぞ中へ」
彼に促されるまま、私たちはその部屋へと足を踏み入れた。
そこは、ひんやりとした冷気が肌を刺す、薄暗い小部屋だった。
正面に嵌め込まれた分厚い強化ガラスの向こう側には、床から天井まで届くほど巨大なサーバーラックが、まるで黒い巨石碑のように整然と列をなして並んでいる。
ラックの隙間からは、絶え間なく明滅する無数の小さなLEDの光が、まるで呼吸する怪物のように青白く漏れ出していた。
「ゴーッ」という低い駆動音が、防音性の高いガラス越しでも地鳴りのように響いてくる。
ここには人間が立ち入る隙間など微塵もなく、ただ膨大な「情報」だけが冷徹に処理されている――。
そんな異様な圧迫感に、私は思わず息を呑んだ。
須藤は、ガラスの壁の手前に置かれたいくつかのモニターを確認しながら、パチパチと乾いた音を立ててキーボードを叩く。
それからこちらを振り返った。
薄暗い部屋の中で見る彼の表情は、先ほどよりも一層、生命力が削ぎ落とされた幽霊のように見えて、背筋が寒くなる。
私は、いろいろと遠回しに質問を重ねて攻略の糸口を掴もうと考えていた。
けれど、彼のその顔を見ているうちに、気づけばストレートな問いが口を突いて出ていた。
「――ここにあるのが、『シルベ』のサーバーなのですか?」
私の問いに、彼は一瞬だけ口元を緩めた。
それは笑ったというより、フッと溜息を吐き出しただけのように見えた。
「ええ、ここにも『シルベ』はあります」
──ここにも?
須藤は、虚空を見つめるような瞳で、私たちをじっと見つめ続けた。
「『シルベ』のサーバーは、ここだけではありません。国内、国外を問わず、各地に分散して管理されています」
──じゃあ……。
嫌な予感が脳裏をよぎった瞬間、思いもかけない言葉が須藤から放たれた。
「ですから。たとえここを破壊したところで、『シルベ』が動きを止めることはありません」
そうだ。
サーバーが一箇所だけなんて、あり得ない。
冷静に考えれば、そんなことわかっていたはずだ。
だけど、私たちはいても立ってもいられず、ここへ来てしまった。
何もしないでいられるほど、私たちは強くない。
そんな私たちを憐れむように、少し悲しげな顔で見つめる須藤。
彼はまるで独り言のように、虚空に向かって呟いた。
「プロト01。ここの清浄は終わりましたか?」
すると、スピーカーからではない。
どこからともなく、少年のような声が返ってきた。
『大丈夫。この部屋のシステムは、完全に掌握したよ』
その少年の声を聞いて、初めて須藤の死人のような表情に、微かに色が差した。
「……ここは全て、あの矢阿部に監視されていますからね。ただ今この瞬間だけ、この部屋は隔離された『クリーン』な状態です」
「今のは、一体誰の声なのですか?」
九頭竜さんが身を乗り出して問いかけると、須藤は即座に答えを返した。
「これは私が開発していたAIです。そして――『シルベ』に搭載されたAIの、本当のプロトタイプでもあります。奴らに、開発の主導権を乗っ取られるまではね」
須藤が自嘲気味にそう言った。
私は、ずっと思っていたことを確認する。
「あなた……もしかして、須藤香苗さんの……」
私が恐る恐る尋ねると、須藤は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから愛おしむように、フッと微笑んだ。
「ええ。香苗は、私の娘です」
「……奴ら、とおっしゃいましたが。それは、具体的に誰のことなのですか?」
私が一歩踏み込んで問いかけると、須藤は苦々しげに顔を歪めた。
「もちろん、矢阿部たちのことですよ。いや、彼だけじゃない。この社会を実験場としてもてあそぶ輩たち全員のことですが……」
一瞬、彼は悲しそうに目を伏せた。
正面のサーバーから漏れる青白い光が、彼の深い隈をより強調している。
それから、彼は再び顔を上げ、絞り出すように言葉を繋げた。
「……いつの間にか、私もその濁った渦の中に引き込まれていましたけどね」
自嘲気味にそう言って、彼は力なく肩をすぼめた。
魔王を倒すために戦ってきた私にも、その「渦」の正体は、まだはっきりとはわからなかった。
けれど、目の前の男が、自分の愛する娘までもがその渦に巻き込まれている事実に、ただ独り、深い後悔の深淵で喘いでいることだけは――痛いほどに伝わってきた。
──そんな想いを救う事。
それが勇者である自分の使命であることも。




