第百六話 可変不可逆
【勇者ルーリ】
雲ひとつない青空が、どこまでも続いていた。
濁りのないその青は、私の胸のざわつきなんて最初から存在しないかのように、どこか無関心に世界を覆っている。
フロントガラスの向こうで、『シルベ』のデータセンターが陽光を弾いていた。
巨大なガラスの塔は空の色をそのまま写し取り、まるで輪郭すら溶けていくようだ。
整然と並ぶ白い箱型の建物群。それは、影の角度まで計算し尽くされたような、冷たい「人工の静寂」をまとっていた。
完璧な空と、無機質な建物。
その間に挟まれて、私だけがひどく不確かに揺れている。
ヘリの影が着陸パッドに重なり、光と影の境界線が、私の迷いを断ち切るように見えた。
ローターが低く唸りを上げ、ゆっくりと着地する。
私は、青空を映したガラスの塔を、もう一度だけ強く見据えた。
「俺はここでスタンバってます。何かあるとまずいんで……」
後藤さんは、まるでこれから事件が起きることを確信しているような口ぶりで、ニカッと笑った。
ヘリを降りたのは、私とガースさん、九頭竜さん、和泉さん、そしてソニアだ。
それぞれ、ジイジが用意してくれたスーツに身を包んでいる。
ちなみにソニアは今回、あのトレードマークのヘルメットはお預けである。
さすがにあんな怪しい装備では門前払いだろう、という大人たちの判断だ。
代わりに、彼女はジイジ特製のチョーカー型カメラを首に巻いていた。
まぁ、美人なだけに、それはそれで余計に目立ってしまっている気もするけれど……。
照りつける日差しの中、私たち「異様なスーツ集団」は屋上の入り口へ向かう。
そこには、仕立ての良さそうなスーツを着た男性が、待ち構えるように立っていた。
「いやいや、まさかヘリでいらっしゃるとは。さすがは東龍院関係者の皆さまだ」
男は慇懃無礼な手つきで、メガネのブリッジをクイと押し上げた。
「この度は、急な申し出を受けていただき誠にありがとうございます」
ソニアが営業スマイルで手を差し出す。
「東龍院可変不可逆研究所、主任のソフィア・バランタインと申します」
「ご丁寧にどうも。私、当データセンターの管理責任者をしております、矢阿部と申します」
矢阿部はソニアの手を握り返した。……が、なかなか離さない。
そのまま薄い唇を耳元まで届きそうなくらい吊り上げ、下卑た表情でじっとソニアを見つめる。
ソニアは美人だ。何しろ本物の女神様なのだから。
──にしても、生理的に受けつけない男だ。
「さ、こちらへどうぞ。ここは風が冷たいですから」
矢阿部は手を握ったまま歩き出した。
ソニアは、やんわりと、だけど確実に拒絶するように微笑んで、その手を離した。
「おい。あの男、気色悪いな。魔者の類じゃないか?」
背後から、ガースさんが私の耳元に顔を寄せて囁く。
「聞こえますよ!」
私は、前方の男に悟られないよう、必死に囁き返した。
私たちは、広い会議室に通された。
そこは窓がなく、やけに空調が効きすぎている部屋だった。
ショートカットの綺麗な女性が現れ、一人ずつにコーヒーを配っていく。
一口すするが……あまり美味しくない。ただ苦いだけだ。
あの夜、ヤマさんがご馳走してくれたミルクティーの方が、何百倍も美味しかった。
場違いなことを思い出しながら、私は冷え切った部屋で、次の展開を待った。
「で、今回は『シルベ』に関してお尋ねとのことでしたが、可変負荷……えーと」
矢阿部が、わざとらしく言葉を詰まらせる。
ソニアがすかさず、ニコリと笑って訂正した。
「可変不可逆、です」
「そうそう。可変不可逆研究所さんは、どういったことにご興味がおありですか」
チラリと、ソニアが九頭竜さんに視線を送る。
九頭竜さんがコホンと咳払いをして、重々しく話し始めた。
「お伺いしたいのは、『シルベ』の制御機構についてです。とはいえ、企業秘密であるそんな核心を、外部の我々に易々とお話しいただけるとは思えません。ですので、まずは開発までの経緯をお教えいただければと思っております」
彼の言葉に、「ほおー」と矢阿部が深く背を椅子に預ける。
「何か、特別な理由がおありですか?」
彼の目がスッと細くなり、爬虫類のように私たちを見渡した。
九頭竜さんが一瞬、前のめりになりかけたところで、私は彼を手で制した。
ここは、私が言わなきゃいけない気がする。
私は一息深く吐いてから、矢阿部の顔を真っ直ぐに見据えた。
「実は、『シルベ』に対して、私たちはある疑いを持っています」
「ほう。疑い。……どんなでしょう?」
「それは……『シルベ』が微弱な低周波により、人の行動や精神に影響を与えているんじゃないか、との疑いです」
思ったことを、そのままぶつけた。
確証なんてない。
それしか、今の私たちが持っている手札がなかったからだ。
矢阿部はすぐには答えない。
ただゆっくりと体を起こし、私たちを値踏みするように順に見渡していくだけだった。
室内に、重苦しい沈黙が流れる。
やがて、彼はたっぷり時間をかけて口を開いた。
「……そういうことなら、開発者を呼びましょう」
そう言って、部屋の片隅に控えていた、さっきのショートカットの女性に耳打ちした。
彼女が部屋を出てから、数分後。
ゆっくりとドアが開き、ガリガリに痩せこけた一人の男性が入ってきた。
生気のない顔色。窪んだ目。
まるで幽霊のようだ。
彼はゆっくりとお辞儀をして、顔を伏せたまま話し出す。
「すいません。お話があるとか……。わたくし、『シルベ』の開発責任者をしておりました」
そして、ゆっくりと顔を上げ、名乗った。
「須藤と申します。よろしくお願いいたします」
そう言って男は、死人のように無表情のまま、椅子に腰かけた。




