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第百四話 請求は、おいくら?


【須藤香苗】


 私たちが倉庫を出ると、そこは異様な光景が広がっていた。

 低く呻きながら倒れている生徒たちの真ん中で、日本刀のようなものを振るう一人の青年。

 そして、それをひらりひらりと高笑いを上げながらすり抜ける、ハルカの姿があった。


 さらに異様なのは、それを校舎の窓からびっちりと顔を出し、じっと見つめている生徒たちの視線だ。

 観客のいる処刑場か、あるいは質の悪い演劇か。


 ──なに、この状況。


「何よー、キリ。まだやってんの?」


 呆れたように声を上げたのは、カメラを構えて私の隣に立つ女性だ。

 明るい場所で改めて見ると、言葉を失うほど綺麗な人だった。

 たしか、さっき男性の方は彼女を「アンジュ」と呼んでいたけれど……日本人なのかな?


 じっと見つめる私の視線に気づいたのか、彼女は「ん!? どうかした?」と、くるりとこちらを向いてニコリと微笑んだ。

 その笑みは、慈愛というか、神々しいというか、まるで宗教画の女神のよう。


 ──不釣り合いなヘルメットさえ被っていなければ、だけど……。


 その時、ポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。

 画面を見ると、例のAIからの通知が入っている。


『よかった! 無事みたいだね』


「全然無事じゃないよ! もうちょっとで死ぬところだったんだから!」


 私はスマホを口元に寄せ、精一杯の「抑えた叫び」で抗議した。

 それでもAI野郎は、どこまでもスンとした口調で答えてくる。


『でも間に合ったんでしょ。本当に良かったよ』


 ……AIのくせに、心配するような口調だけは一人前なんだから。

 ──って、ん? 今、間に合った……って言った?


「間に合ったって、どういうこと?」


『来たでしょ? 助っ人が』


 私は顔を上げ、少し離れた場所にいる男性──ヤマさんと、隣にいる美人──アンジュさんを見た。

 ヤマさんはサキコちゃんと何かを話し、隣の美人は「どったの?」と不思議そうに首を傾げている。


 もしや、この人たちは……。

 私は思い切って、アンジュさんに尋ねてみた。


「あの、失礼ですけど、以前どこかでお会いしたことは……」


「初対面。だよ」


 食い気味に、にべもなく否定された。

 けれど、ここで引くわけにはいかない。確信はなかったけれど、私の口からは一番気になっていた「現実的な問題」が飛び出していた。


「……これって、後で、料金が発生したりするんですか?」


「ん?」


 女神のような美人が、今度こそポカンと、間抜けなほど可愛らしく首を傾げた。

 なんだろう、この反応。もしかして「料金」なんて言葉、彼女の辞書にはないくらい高潔な人なのかな。


「あのー……その、おいくらほどでしょうか……?」


 私は、下からお伺いを立てるように彼女の顔色を窺う。

 すると、数秒ほどフリーズしていたアンジュさんの口角が、グイッと、獲物を見つけた肉食獣みたいに吊り上がった。


「お金……もらえるの?」


「えっ? あ、はい。お父さんに相談しなきゃですけど、命を助けていただいた分は、もちろんしっかりとお支払いします」


「マジで!?」


 食いつきが凄い。さっきまでの神々しさはどこへやら。

 アンジュさんはおずおずと、だけど期待に満ちた目で、右手の五本の指をパッと広げて私の目の前に差し出した。


「ご、ごじゅう……。いえ、五百、ですか?」


 私の問いかけに、彼女はちょっとがっかりしたように、「いくらなんでも、それはちょっと……」と首を振る。


 やっぱり、五百(万)じゃ足りないよね。

 だってこの人たち、明らかに「プロ」の動きだったし。


「す、すいません! でも、急に五千は……ちょっとすぐには用意できなくて」


「いいよいいよ! いつでもいい! ある時払いの催促なしで!」


 五千(万)の請求に、彼女は恐ろしいほど美しく、満面の笑みで答えた。

 しかも、「これで、回収できなかった“あの子たち”の代金もチャラに……」なんて、嬉しそうに小声で呟いている。

 ……そんな笑顔で言われても、こっちは地獄だ。


 私は、目の前が真っ暗になるのを感じた。

 お父さんはなんて言うだろう。

 あの家だって処分しなくちゃいけなくなる。きっとお父さんは、聞いたこともないような難癖をつけて、支払いを渋るに決まっている。


 そうしたら、この人たちは力ずくで取り立てに来るのかな。

 日本刀(?)を持ったあの青年に、家の扉を完膚なきまでに叩き壊される未来が、鮮明に脳裏に浮かんだ。

 ──いっそのこと、ハルカが勝ってくれないかな。

 そんな、今の状況を全否定するような狂気じみた思いさえ浮かんでくる。


 その時。今度は、いかにも「営業担当」といった風貌の、ネクタイに地味なスーツを着た中年男性がこちらへ駆けてきた。

 サキコちゃんが彼を見つけると、「太洋さん!」と弾むような声で笑った。

 彼は「よかった。間に合ったみたいだね」と、心から安心したように微笑む。

 ヤマさんが「知ってるの?」と尋ねると、「はい、私をソニアさんに紹介してくれた人です」とサキコちゃんが答えていた。


 ……そっか。東龍院家なら、お金なんて腐るほど持ってるもんね。支払い、代わってくれないかなぁ……

 そんな、現実逃避じみた納得をしていると、太洋と呼ばれた男性が、切羽詰まった声を上げる。

 「とにかく、全校生徒が洗脳されたみたいになっているんだ! それで、リラさんとシュシュさんがこれから『ゲジゲジポポス作戦』を敢行するって! それを言えばわかるはずだから、みんなに知らせてほしいと言付かってきたんだ!」


 肩で息をしながら、必死に説明する彼。

 すると、その説明が終わるよりも早く、校内スピーカーから聞き慣れたチャイムの音が鳴り響いた。

 ピンポンパンポーン♪ ピンポンパンポーン♪


 『シーン! 聞こえてますかぁ〜? 今から、ゲジゲジポポス作戦を敢行しまーす!』

 『イェーイ! ドンドンドン! ヒューヒュー!』

 放送室から流れてきたのは、柔らかくて可愛らしい女性の声と、それを囃し立てる元気な女性の声。

 断言できる。うちの放送委員に、あんなにノリのいい奴はいない。


 『じゃあ、行きまーす。&#$6%……!』

 そこからは、何か不思議な音──いや、「声」のようなものが流れ出した。

 「マズい! サキコちゃん、太洋さん! 耳を塞いで! キリもだ!」

 ヤマさんが絶叫する。

 サキコちゃんも、太洋さんも、弾かれたように慌てて耳を塞いだ。

 先ほどまで激しい戦闘を繰り広げていたキリと呼ばれた青年までもが、即座にハルカと距離を取り、強く両耳を塞ぐ。


 「もー、急なんだから」

 不意に、アンジュさんが私を後ろから抱きしめた。

 彼女の豊かな胸に抱きすくめられ、視界が青い空と彼女の髪でいっぱいになる。

 「ごめんね。ちょっとだけ辛抱してね」

 耳に届いたのは、囁くような甘い声。

 アンジュさんの柔らかな掌が、そっと私の耳を覆った。


 青く、爽やかな香りが鼻先をかすめる。

 優しい温もりに包まれて、あれほど高ぶっていた私の心は、まるで魔法にかけられたように凪いでいった。

 意識が遠のく。

 私はそのまま、深い深い眠りの底へと落ちていった。



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