第百三話 遅刻ヒーロー
【須藤香苗】
真っ赤に燃える、一振りの剣。
実際に燃えているのか、それともそう見えるだけの何かなのかはわからない。
けれど、その剣は間違いなく重厚な鉄の扉を突き抜け、堅牢な金属を軽々と切り裂いた。
爆音と共に、そこから颯爽と現れた男性は──。
……正直に言えば、見た目はちょっとアレだった。
けれど、その瞬間の私には、神様か何かにしか見えなかった。
彼は迷うことなく、かつて「木下」だったものを無造作に蹴り飛ばす。
その光景を見て、私はようやく、肺の奥に溜まっていた泥のような息を吐き出した。
──と、その時。
私のすぐ傍らで、耳障りなうめき声が上がった。
剥き出しの歯をガチガチと鳴らし、こちらに覆いかぶさろうとする「先生」だったもの。
濁った瞳が、私の喉元を正確に捉えている。
──あ、ヤバい。
不思議と、妙に冷めた気持ちで、その光景を眺めている自分がいた。
サキコちゃんと、さっきの男性は、こちらに気づいていない。
あと数センチ。あと一秒。
私は、このまま食い殺される。
──そうだね。結局、そうなるんだ。
私はゆっくりと、抗うのをやめて目を閉じた。
「ちょっと、ジャマ」
不意に、場違いなほど透き通った声が響いた。
現れたのは、見惚れるほどの美人だった。
黒いスーツを完璧に着こなしている。
……けれど、なぜかカメラを手に、『只今撮影中』と書かれた白いヘルメットをかぶっている。
彼女はカメラを片手に構えたまま、その長い足で「先生」だったものを容赦なく蹴り飛ばした。
その衝撃で、ようやくサキコちゃんと男性がこちらに気づき、慌てて駆け寄ってくる。
「ごめん! 大丈夫だった!?」
サキコちゃんが、泣きそうな顔で私の安否を確かめる。
その手を掴まれた瞬間、氷が解けるように、張り詰めていた体が一気に震え出した。
サキコちゃんは、そんな私をぎゅっと抱きしめる。
「もう大丈夫。大丈夫だからね」
その体温に触れて、ようやく現実が追いついた。
「で、グールたちは、あの魔法陣から現れたんだね」
男性が、私とサキコちゃんを交互に見て言った。
正直、最初は見た目に難ありかと思っていた。
でも、こうして必死に駆け寄ってきてくれる様子を見ると、その印象は少しずつ変わっていく。
──案外、優しい人なのかもしれない。
その男性──三十代後半くらいだろうか。
私の視線に気づき、少し照れたように、はにかんだ微笑みを浮かべる。
……なぜだか、目が離せなかった。
ぼんやりと見つめてしまっていた私は、「そうだよね!」と繰り返すサキコちゃんの声で我に返り、慌てて頷いた。
男性は、さきほど私を救ってくれた美人に問いかける。
「あの魔法陣を壊せば、彼らは元に戻るとか……」
「ないわね」
「リラに頼めば、聖属性魔法で……」
「それも無理」
短い否定が、淡々と積み重なっていく。
その一つひとつが、わずかな希望を確実に削り取っていくみたいだった。
「アンジュさん! あの二人、実は……」
サキコちゃんが、耐えきれないように声を上げる。
「うん。行方不明になってた被害者でしょ?」
彼女は静かに首を振った。
「可哀想だけど、一度グール化した人は、元に戻せないの」
きっと、優しい人なのだろう。
アンジュと呼ばれたその女性は顔を伏せ、小さく「ごめんね」と呟いた。
男性は「やっぱりか」と低く呟く。
そして、再び私たちのほうへ──。
よろよろと歩み寄ってくる「足音」を、私たちは黙って見つめるしかなかった。
フゥ、と短く息を吐き、男性は一歩前に出て剣を握り直した。
心配そうに、サキコちゃんが男性の背中へ「ヤマさん……」と声をかける。
それは、化け物になってしまった二人を憐れむというよりも、これからそれに向かおうとする彼自身を案じているようだった。
男性──ヤマさんと呼ばれた彼は、手にした燃える剣へ、まるでそれが言葉を理解できるかのように語りかける。
「マグナフォルテ……悪いけど、頼むよ」
その瞬間、剣を包んでいた血のような真っ赤な炎が、静かに色を変えた。
青白く、澄んだ光へと。
私の隣でカメラを構えていた美人が、「ほー、いつの間に」と小さく呟く。
それまで、ただ漠然と私たちを追いかけていただけの二人だったものが、今はまるで、その青白い光に引き寄せられるかのように歩み寄ってくる。
「ごめん」
ヤマさんは、小さく、けれどはっきりとした声で言った。
「君たちが悪いわけじゃない。ただ、このままだと……君たち自身が、傷つき続けることになる」
その背後には、すでに手を伸ばせば届く距離まで、「先生」だったものが迫っていた。
ヤマさんは、それを最初からわかっていたかのように、迷いなく身を翻す。
くるりと回転しながら剣を振り抜き、返す刀で、その胴を貫いた。
次の瞬間、マグナフォルテを中心に、青白い炎が一気に噴き上がる。
それはまるで、邪気を洗い流すかのように。
心臓から腕へ、腕から指先へと、蒼い炎が静かに、しかし確実に燃え広がっていく。
──悲鳴は、なかった。
そして、その背後から、今度は「木下」だったものが襲いかかる。
ヤマさんは再び振り向き、ためらいなく剣を突き入れた。
その体もまた、同じ青い炎に包まれていく。
やがて二人は、灰すら残さず、夜の空気に溶けるように消えていった。
ヤマさんが、ゆっくりと振り返る。
「……終わったよ」
そう言って、私たちに微笑みかけた。
けれど、その表情は。
なぜか──泣いているようにも、見えた。
新年あけましておめでとうございます。
新年一話目から、わりと容赦のない展開で始まってしまいました。
でも安心してください。
今年もこの物語は、ちゃんと笑えます。たぶん。きっと。
重かったり、怖かったり、時々どうしようもなくなったりしながらも、
それでも一歩ずつ前に進む人たちの話を、
読んでくださる皆さんと一緒に、今年も追いかけていけたら嬉しいです。
寒い日が続きますので、どうかご自愛くださいね。
本年もどうぞよろしくお願いします。




