第百二話 急がば回れは正しいか
「あ、今誰か落ちたねー」
のんきな実況解説の主は、アンジュだ。
「たぶん……サキコちゃんだったと思う」
リラが肩で息を切らしながら言う。
その横でシュシュが「さすが。重い女改め『見抜く女』ね」と余計な一言を添えた。
どっちも怖えよ。つーか、重い女ってなんだ。
「あ! また落ちた」
アンジュが逐一報告してくれるが、言い方! もう少し心配とかないのかよ!
校舎を仰ぎ見て立ち止まる俺たちを横目に、鏡氏は「急ごう」と短く急かした。
学校を囲む高い壁に沿って走ると、目の前に太い鉄柵でできた正門が見えてきた。
真昼間だってのに、門は「部外者お断り」と主張するように固く閉ざされている。
ガシャガシャと強引に揺らしてみるが、ビクともしない。
チッ、と舌打ちして柵に足をかけた瞬間、「こら、君ら! 何をしとるんだ!」という怒声が飛んできた。
青い制服を着た守衛が二人、血相を変えて駆け寄ってくる。
「君ら、なんだ一体!」
そう言いながら、腰の警棒に手を当てている。
まずい。ここで足止めを食らうわけにはいかない。
「いや、俺ら怪しいもんじゃなくて……その、東龍院サキコの知り合いで……」
必死に説明している俺をよそに、守衛たちの視線が俺の背後に釘付けになった。
なんだ? と釣られて振り向くと、そこには白いヘルメットを被った我がままボディの金髪美人が、カメラを構えてゼーゼー言っていた。
「……これほど怪しい人、俺も初めて見たわ」
ポツリと漏らした俺に、「仕方ないでしょー! ソニアに脅されてさー!」と何やら喚いているが、構っている暇はない。
鏡氏が小声で俺の背中を押した。
「ここは私が引き受けます。山川さんは壁を越えて行ってください」
そう言うと、彼はわざとらしく守衛たちの前に両手を上げて進み出た。
「実は私たちは、こういう者でして……」
大声で話し始める鏡氏。
俺はゆっくりと後退しながら彼らの視界から外れ、再びダッシュした。
五十メートルほど走ったところで、ちょうど壁の横に路駐している車を発見。
「ごめん!」
心の中で持ち主に謝り、ルーフに飛び乗った。
車高を足場にしても、壁の頂に手を伸ばしてやっと届くかどうかだ。
しかもその上には、ご丁寧にもトゲのついた有刺鉄線まで張り巡らされている。
「ままよ!」
意を決して手を伸ばした、その時。
横を風のような影が通り抜け、ふわりと壁の頂に飛び上がった。
「手を取れ!」
キリだ。
彼が差し出した手を掴み、俺は一気に壁の上へと引き上げられた。
「で? どうする」
キリが壁の上に立ち、鋭い視線で辺りを見渡す。
「さっき誰かが落ちたところに行こう。サキコちゃんのはずだ」
「わかった」
見事な身のこなしで飛び降りるキリに比べ、俺は壁に手をかけながらズリズリと無様にずり落ちる。
着地するなり、そのまま全速力で走り出した。
「お前、もうちょっと鍛えろよ」
走りながらありがたいお説教を垂れるキリに、「これでもマシになった方なんだよ!」と言い返しておく。
さっき遠目から見た光景を必死に思い出しながら探すと、それはすぐに見つかった。
「ここに着地したな」
キリが校舎下の花壇を指差す。
確かにそこには、派手に踏み荒らされた跡があった。
「そして、こっちに走った」
キリは、点々と残る黒っぽい土の足跡を追う。
その先には、ドーム型の屋根を持つ建物──体育館だ。
昨日送られてきたメッセージにあった、召喚魔法陣が描かれた地下室がある場所。
俺たちは体育館へ向けて走る。
と、突然、進行方向を塞ぐようにして集団が現れた。
全員がこの学校の制服を着ている。生徒たちだ。
歩みを止めた俺たちの前に、すらりと背の高い女子生徒が腕を組み進み出てきた。
「おじさんたち、誰ですかー? ヤバい人ですかー? 変態ですか? 警察呼びますよー」
どこか気怠げな、やる気のない声。
「君らこそ、今は授業中だろ?」
当てずっぽうに言ってみる。
すると、女子生徒の表情が急激に苛立ちに染まり、裂けんばかりの声で叫んだ。
「うっせぇんだよ、クソエロオヤジ! この学校から出てけっつってんだよ!」
さっきの気だるさが嘘のような豹変ぶり。
しかし、クソでエロなオヤジとは……。心外すぎて、ちょっと立ち直れそうにない。
俺が再び話し合おうと一歩踏み出すと、キリが俺を制した。
「待て。こいつらの目……瞬きをしていない」
え!?
改めて生徒たちの顔を見る。だが、素人の俺にはよくわからなかった。
キリは愛刀を鞘ごと抜き、獣のような姿勢で低く構えた。
「悪いが急いでる。通らせてもらうよ」
対する女子生徒は、ニヤリと口角を吊り上げ、今度は耳をつんざくような大声を上げた。
「みんなー! ここに変質者がいるぞー!」
その瞬間。
校舎の窓という窓が一斉に開き、そこから無表情な学生たちがヌッと顔を突き出してきた。
……おいおい、何のホラーだよ!
固まる俺に、キリが前を向いたまま鋭い声を飛ばす。
「隙を作る。お前は死ぬ気で走れ!」
言うが早いか、彼はあえて集団とは逆の方向へ視線を走らせた。
「わかった!」
俺の返事を聞く間もなく、キリは地を這うような低空の姿勢で集団に突っ込んでいった。
俺は逆方向へ、心臓が破けるほどの速度で校庭を迂回する。
視界の端で、キリが舞う。生徒たちを傷つけないよう、鞘のままなぎ払っていく。
校庭を大きく迂回し、体育館の前へと辿り着いた。
中を覗くが、人の気配はない。
──確か、脇に地下室へ繋がる扉があるはずだ。
壁伝いに扉を探していると、不意にスマホが鳴った。
ピロリン♪
画面を見ると、昨日と同じ形式のメッセージにマップが表示されている。
赤い点のすぐ近くに、青い点。
「これか!」
俺は青い点を目指して走る。
すると、目の前に赤く錆びついた鉄扉が見えた。
扉は半開きになっており、俺は迷わず、その闇へと滑り込んだ。
中は真っ暗だ。
微かに見えるのは、下へと続く無機質なスロープ。
「誰か……開けて……なんで……」
微かな女性の声が下から聞こえた。
俺はそのままスロープを駆け下り、突き当たりのドアの前に立つ。
「誰か、助けて!!」
今度は、はっきりと聞こえた。
思考より先に、体が勝手に動く。
──頼む! マグナフォルテ!!
咆哮に近い叫びと共に、視界が爆発したような「赤」に染まった。
猛烈な熱気がスロープの空気を焼き、俺の右手に宿る。
行く手を阻むのは、重厚な鋼鉄の扉。
俺は、扉の向こうにいるだろう女性に向かって叫んだ。
「壊すぞ! ──扉から離れていろ!」
そして、マグナフォルテを鉄扉へと突き入れた。
ズブッ、と豆腐でも切るように、赤熱した刃が鋼鉄を貫く。
俺はそのまま、勢いよく扉を蹴り破った。
ガイン!!
背後からアンジュの「待てよー!」という声が聞こえた気がしたが、構っていられない。
部屋に飛び込んだ俺の目に映ったのは、倒れ込んだサキコと、その上に覆いかぶさろうとする男──いや、その土気色の肌は、グールだ!
「離れろッ!!」
走った勢いをそのまま足に乗せ、グールの腹を思い切り蹴り抜いた。
ドゴォッ!
重い手応え。
化け物はゴミ袋のように壁まで吹き飛び、めり込んだ。
俺はサキコちゃんに手を差し出す。
「無理しすぎだよ。無事かい?」
彼女は俺の手を取り、「えへへ」と照れたように笑う。
そして、安心しきった瞳で俺を見上げ、言った。
「遅刻ですよ……ヤマさん」
その笑顔に、俺はようやく息を吐いた。




