第百話 AIという名の罠
ジイジは、ゆっくりと口を開いた。
「AI……?」
「はい。所有者、オーナーアカウントに寄り添う形での専用AIが実装されており、アプリを通した会話や行動に、直接干渉してくるのです」
「干渉?」
俺が眉をひそめて問い返すと、ジイジは口角をわずかに上げ、薄く笑った。
「おっと失礼、少々ひねくれた言い方をしてしまいましたな。
運営側の説明によれば、それはあくまで『相談・アドバイス』だそうです」
ジイジは皮肉っぽく肩をすくめて見せた。
寄り添うAI、か。
聞こえはいいが、一歩間違えれば、思考を誘導されているのと変わらないんじゃないか。
俺がそんな不穏な想像を巡らせていた、その時だ。
「できたぁっ! やったぜ、ゲットだぜー!」
突如、居間に素っ頓狂な叫び声が響き渡った。
見れば、アンジュがご自慢の『A-PHONE』を天高く掲げ、勝利の雄叫びを上げている。
──おい、嫌な予感しかしないぞ。
「見て見てシン!
これが噂の『シルベ』ね。インストール完了!
今から設定いじっちゃうもんねー!」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
「この馬鹿女神!
問題のアプリだって今言ったばっかりだろうが!
何やってんですか!」
「アンジュ様! それは──」
ジイジが慌てて制止の声を上げるが、時すでに遅し。
アンジュは既に、光り輝く画面をタップしまくっている。
「んー? 何々、『あなた専用のAIがサポートします』だってー。
へぇ、面白そうじゃん!
あ、名前も付けられるんだ。えっとねぇ……」
「やめろ、やめてくれ!」
俺の心の叫びも虚しく、アンジュは楽しそうに指を動かし続ける。
「よーし、決めた!
名前は『アンちゃん2号』ね!
これでOKっと……」
ピロリン♪
軽快な効果音と共に、アンジュのスマホから幼い女の子の声が流れ出した。
『はじめまして、アンジュ様。
私はあなた専用のAI、アンちゃん2号です。
これからよろしくお願いしますね♪』
可愛らしい声だ。
だが、その響きには、どこか作り物めいた不気味な冷たさが混じっている。
「わぁ、可愛い声!
これはいいわね。
ねえねえ、アンちゃん2号、何ができるの?」
『アンジュ様のご要望にお応えして、最適なアドバイスをご提供いたします。
チャットの相手選び、会話の内容、スケジュール管理、お買い物のサポート……
何でもお任せください♪』
「すごーい! 便利じゃん!」
アンジュが目を輝かせる。
だが、俺の中の警戒感は、音を立てて跳ね上がっていた。
──何でもお任せ、だと?
それは本当に、ただの「サポート」なのか?
「アンジュ、ちょっと待て──」
俺が制止の声を上げようとした、まさにその時だ。
ピロリン♪
再び効果音が鳴り、今度はサキコちゃんのスマホが光った。
「あら……?」
サキコちゃんが不思議そうに画面を覗き込む。
「どうした?」
「『シルベ』から通知が……。
『お友達が登録されました。挨拶してみませんか?』ですって」
サキコちゃんの言葉に、ジイジの顔色が変わった。
「お嬢様、まさか貴女も……?」
「ええ。調査のために、アカウントだけは作っていたんです。
でも、まだ誰も登録していないはずなのに……」
サキコちゃんが画面をタップすると、そこには見覚えのあるアイコンが表示されていた。
アンジュだ。
「アンジュ様が登録された瞬間に、自動で友達として紐付けられたようですな」
ジイジが渋い顔で呟く。
「位置情報か、それとも……連絡先を勝手に吸い出したか」
九頭竜さんが腕を組み、険しい表情で画面を睨む。
「ねえねえ、何よ何よ。
そんな怖い顔しないでよ。便利なアプリじゃない」
アンジュが不満そうに頬を膨らませる。
だが、俺には分かっていた。
この「便利」という言葉の裏に、何か恐ろしいものが潜んでいることを。
そして、その予感は──
すぐに、最悪な形で現実のものとなる。
ピロリン、ピロリン、ピロリン──。
不規則に重なり合う通知音。
部屋にいる全員のスマホが、まるで共鳴するかのように一斉に鳴り響いた。
「え……なに、これ……」
ルーリが困惑した声を上げる。
「私のところにも……知らないアカウントから……」
和泉さんが青ざめた顔で画面を見つめる。
そして、俺のスマホの画面にも、一通のメッセージが表示されていた。
『こんにちは、山川新次郎様。あなたの大切なお友達、アンジュ様が『シルベ』に登録されました。あなたも一緒に、素敵なコミュニケーションを楽しみませんか?』
──これは、まずい。
俺の直感が、激しく警鐘を鳴らしていた。
俺たちは、知らず知らずのうちに、その渦中に立っていたのだ。
そして──その罠は、もう逃れられない。
だが。
「やるしかないか」
俺は視線を向けた。その先には、ルーリ。
彼女も俺の視線を受け取り、静かに頷いた。
「やりましょう」
ルーリは静かに、しかし力強く告げた。
「もしそれが人々を苦しめるものなら、これは勇者の仕事です」
その瞳には、迷いも恐れもなかった。
ただ、真っ直ぐな決意だけがあった。




