第9話 狂戦士たち
遠くで息を呑む音がした。
――やはり、知らなかったんだ。ラークは思った。
「暗黒神……? あいつはそんなこと一言も……。アタシが可哀想だから、助けてくれるって……」
「詐欺師が自分を嘘つきだと明かすはずがないだろ?そもそも、アマータ様や他の善神が、無垢な少女の体を乗っ取れと唆すと思うかい?」
重い沈黙が、二人の間に落ちた。
硫黄の匂いが充満した空気越しに、戸惑いと混乱が伝わってくる。
――今だ。
ラークは一歩踏み出し、言葉を放った。
「……この世界に来たばかりの君には、知らないことがたくさんある」
爆発で肩や背に積もった金属の屑を払い落としながら、ゆっくりと歩みを再開する。
憑依者からの追撃は――ない。
「だから、まずは話し合おう。一緒にケーキでも焼いて、お茶会でもしてさ。まずは――自己紹介から始めようよ。君の名前を教えてくれ」
「……名前だって?」
その瞬間、それまで落ち着きかけていた気配が一変した。
燃え上がるような敵意が、大気を焦がす!
「アタシの名前が知りたいか!」
何かが飛んできた!
ラークは反射的に剣を閃かせ、迎撃する。闇の中に赤い火花が弾け、轟音が木霊する。腕に衝撃と痺れが走り、思わず唸った。
「そんなに、アタシの名前が知りたいか!」
さらに二撃目!
さきほどの一発を凌ぐ破壊力が、矢継ぎ早に襲いかかる。
「なら教えてやる! 産みの親はアタシを犬コロと呼んだ!育ての親は、記号と数字で呼んだ!情が移らないようにな!」
『八乗祝福体』の防御すら無視する威力と速度。
もはや剣で受け止めきれるものではない。ラークは堪らず、光の盾を動かし、その後ろに身を隠した。
「名前を聞いて呪いでも掛けるつもりだったか? 残念だったな!」
吐き捨てる声は鋭く震え、狂気すら帯びている。
「アタシには――名前なんか、最初から無かったのさ!」
視線を床に落としたラークは、彼を苦しめた投擲物の正体を知る。
それは木の槍。
アマータの八重の加護は、火と水と鉄と毒から彼を守るが――
樹木は、その庇護の外にあった。
ーー「蝙蝠の聞き耳」で、祝福を聞いて「賢王の指輪」で聖句の内容を理解したのか!?
憑依者がこちらの弱点に気づいているなら、この投槍は陽動だ。
本命は、この後に来る。
予感を裏付けるように、横から強烈な殺気が襲った。
仰け反った祓魔師の顎先をかすめ、鋭い牙が空を噛む。
同時に、右脚に激痛。
犬だ。それも狼狩り用の大型猟犬が二匹。一匹に気を取られた隙に、もう一匹が脛に牙を食い込ませた。
獣の爪牙もまた、『八乗祝福体』の加護の外だ。
「くそっ、僕は犬好きなのに!」
剣の柄頭で犬の頭蓋を殴り、顎が緩んだ隙に脚を引き抜く。
だが次の瞬間、背後から吹き飛ばされた。
戦鎚を思わせる衝撃に肋骨が軋み、苦い液体が喉に込み上げる。
踏みとどまったラークの目に飛び込んできたのは――雲のような純白の毛玉。
横長の瞳に狂喜を宿し、その羊はラークが聞いた中で最も邪悪な声でメエエエと鳴いた。
羊の背後で、無数の赤い光が灯る。納屋にいた全ての動物たち。
彼らの血走った目に、怯えや躊躇いは微塵もない。
あるのは手当たり次第に生き物を引き裂き、血肉をむさぼりたいという欲求だけ。
人間に飼い慣らされたはずの動物が、ここまで血迷い、異常な力を発揮する理由は一つしかない。
――狂戦士の茸か!!
ラークは剣を指でなぞり、付与効果を斬撃から麻痺へ切り替えた。
その動作を合図にしたかのように、家畜達が雪崩を打って襲いかかる。
豚は猪のように牙を剥き、鶏は青年の眼球めがけて嘴を突き出し、猫は喉笛を裂こうと飛びかかる。
闇の中、剣が白雷を纏って舞い踊った。牙、爪、蹄、嘴――迫るものすべてを叩き落とす。
雷を浴びた獣は泡を吹き、地面で痙攣した。
ラークが動物達を殺さず、無力化したのは、慈悲だけではない。狂乱状態の獣は、半身を断たれても戦い続ける。しかし麻痺の刃に触れれば、こうしてのたうつしかない。
群れの三分の一を倒した頃、残りが不意に攻撃をやめ、じりじりと後退した。
狂戦士に退却はあり得ない。
嫌な予感が頭を満たす。
次の瞬間、大地が震えた。
顔を上げる。
角を並べた牡牛の群れが、雷鳴のような足音を立てて突撃してきた。
破城鎚のような速度と質量を剣一本で受け止めるのは不可能だ。
そう判断したラークは、武器を捨て、両手を突き出す。
激突の瞬間、全関節を総動員し衝撃を吸収!
なおも余った力を、巨牛の頭上を跳び越え前方へ転がることで受け流す。
稲妻のような激痛が全身を駆け、胃袋が重力を見失って腹の中で転げ回った。
祓魔師が武器を捨て、宙に浮いた一瞬の隙を――“彼女”は逃さなかった。
天井から縄でぶら下がり、振り子のように襲いかかってきた。
右手で縄を握り、左手の棍棒を振り下ろす。
火で炙り、金槌で整形したそれは、ほとんど木製の戦斧だった。
ラークは左手を握る。籠手から、光明神の加護を宿した短剣が飛び出した!
木の斧と鋼の刃がぶつかり合い、木屑が火花のように散る。
燃え上がる破片が、睨み合う二人の顔を照らし出す。
「死ねえええッ!!」
リリィの顔には、もう可憐さのかけらもない。
瞳孔の開いた野獣の眼、剥き出しの牙、黒い泥で戦化粧施した顔は、小さな悪鬼そのもの。
血走った白目と全身に浮かぶ黒い血管は、彼女自身が「狂戦士の秘薬」を摂取した証だった。
怪力と神の加護がぶつかり合う。
先に耐え切れず、悲鳴を上げたのは即席の武器だった。
白く燃える短剣が、棍棒を真っ二つに断ち割った!
“彼女”は舌打ちし、縄を引いて天井の闇へ消えた。
ラークはそのまま落下する。
下には、顎を開けた獣の群れ。
彼は目を閉じ、手を組み祈った。
「アマータよ。安らぎをもたらす者よ――傷を癒し、毒を清めたまえ。治癒之波!」
掌から放たれた光の波が家畜を包む。血と脳を満たしていた狂戦士の薬は瞬時に浄化された。
苦痛と恐怖、そして正気を取り戻した獣たちは悲鳴を上げ、四方へ散った。
ラークは空中で身体を捻り、着地。
よろめきつつ剣を拾い上げ、
「さて……仕切り直しだね」
再び、膝が地面を打った。
闇の奥から、嘲るような笑い声が響く。
「仕切り直しだって? それはどうかな?」
立ち上がろうとして、また崩れ落ちる。
身体が重い。まぶたが重い。
疲労と眠気が、岩の塊のように全身へ圧し掛かってくる――。
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