第10話 春を告げる鳥
――何が起きた!?
ラークは突然の体調不良に戦慄した。
八乗祝福体となった自分は、すべての毒から守られているはずではなかったのか。
視線を巡らせた瞬間、地面に倒れ込んだ家畜たちが痙攣もなく昏倒しているのに気づく。
馬のように大きな獣までもが――。
無味無臭、空気より重く、神聖魔法の耐性をすり抜けるものといえば――
「――二酸化炭素!?」
背筋を氷柱が走った。
異邦人は、ラークが狂った家畜と戦っている最中……いや、それよりずっと前から、この納屋のどこかで木炭を燃やしていたのだ。
最初の爆弾すら布石だった。
黒色火薬の匂いで感覚を鈍らせ、木炭の煙を覆い隠すための――。
そうとは知らず、彼は狂戦士化した獣と斬り結び、大量の酸素を浪費してしまった。
光の神の加護といえど、空気を補給してはくれない。
一刻も早くここを出なければ――!
よろめく足で出口を目指した瞬間、鋭い衝撃が襲った。
「どこへ行く、祓魔師! アタシの話はまだ終わっちゃいない!」
闇に響く異邦人の笑い声。
「魔弾の投手」による狙撃が、再び始まった。
「さっきは茶会に招待してくれたな。ならアタシが最後に食事に誘われたとき――何が起きたか教えてやろうか?」
木の槍、陶器の破片、獣の骨――。八乗祝福体では防ぎきれぬ凶器が四方八方から降り注ぐ。
その威力は一撃でも食らえば、人の頭など瓜のように砕け散る!
「――罠にかけられ、毒を盛られて、殺されたのさ!」
「神の盾」は一方向しか守れない。このまま足止めされ、気を失えば、止めを刺されて終わりだ――!
「アタシを殺した奴らは、皆殺しにしてやった!毒を盛った店は灰になるまで燃やした!アタシの邪魔をするなら、この村ごと焼き払って、お前達も全員殺してやる!」
「……ブライアーさん達も殺すのか?」
――攻撃が、ぴたりと止んだ。
「リネットさんや赤ん坊のコーピン。君が家族や友人と呼んだ人間も、みんな殺すのか?」
「裏切った奴らは殺す!アタシは一人だ!今も、これからも……ずっと……!」
ラークは目を閉じ、静かにため息をついた。
――エレニア、君なら「馬鹿だ」と叱るだろうな。でも、僕にはこの子の魂に一筋の光が見える。その光を求める心がある限り、簡単に彼女を見捨てられないよ。
彼は貴重な酸素を肺に溜め、できる限り声を張り上げた。
「僕の名前はラーキス・マルキン。王都ベローナの灰色通りで生まれた。今年で二十一になる」
「なんだ!?貴様、何のつもりだ!」
転生者の声には、はっきりと困惑と焦りが混じっていた。
「何って?自己紹介さ。僕だけが君の経歴を知っているなんて、不公平だろ?」
「誰が貴様の過去など……!」
「まあまあ、そんなこと言わないで。退屈だけはさせないはずさ」
ラークは構わず語り続ける。
「父は吟遊詩人。母は“落ちぶれた元貴族”を名乗る酒場の踊り子だった。。母さんが本当に貴族だったかは怪しいけど、優しい人で、僕を心から愛してくれた。父は……どうしようもない酒飲みだった。四六時中酔っ払い、たまに素面の時は僕や母さんを殴り、酒代を稼がせた」
「……悲劇的な生い立ちだな。アタシがそんな戯言を信じるとでも、思ったか?」
ーーでも、君は惹き付けられてるだろ?その証拠に、攻撃がさっきから止まっているよ。
ラークは兜の下でほくそ笑んだ。
「さっきまで、殺し合ってた相手を疑うのは当然だよな。じゃあ、こうしようか。我が主、アマータと……闇の大神ジャグラーの名に置いて、ここに誓う!今より夜明けまで、我が言葉は真実のみを告げる!」
「お前……正気か!?」
転生者が息を飲んだ。異世界出身の彼女でも、ラークの行為がどれほど非常識か理解できた。
この世界には神々が実在する。そして、彼らは常に小さき者の声を聞いている。
善神の聖職者が邪神に誓いを立て、それを破ったとき――その魂は闇に属し、地獄に堕ちる。アマータの光でさえ、その者を救うことはできない!
「……悪魔や魔神が、お前の魂を手ぐすねして待っているぞ。ギャングだらけの刑務所に入った警官みたいに、大歓迎されるぞ」
「嘘をつかなければ、大丈夫さ。……さて、話の続きをしよう。僕が十一歳のころ、母さんがいなくなった。親父は、「男と逃げた」と言ってたが、僕は酒場の客に殺されたんだと思ってる。時を置かずして、親父は僕を売った。ひと瓶の焼き酒のためにね……」
「……どこかで聞いたような話だな」
ラークはじりじりと、納屋の入り口に向かって移動した。
転生者の追撃を覚悟したが、何も起こらなかった。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、話を続けた。
「……そう、ありふれた話さ。灰色通りには、僕みたいな子供達で溢れていた。でも、幸か不幸か、僕は母さんの顔と親父の声を受け継いでいた。手足を切られて物乞いになるか、魔術師の秘薬の材料になる代わりに、僕は『マダム・ラシーヌの悦びの館』に落ち着いた」
「男娼になったわけか……そのラシーヌはどんな奴だった?」
「まあ、普通だったかな。ラシーヌは高級志向だった。僕や他の子たちは、見映えが悪くなるほど腹を空かせたことはなかったし、読み書きも教わった。けど、逃げようとすれば死ぬより辛い折檻が待ってた……」
「……そうか……」
ラークは言葉を切った。
つかの間の沈黙が、二人を包んだ。同じような過去をくぐり抜けた者にしか分からない、理解と共感に満ちた静けさだった。
「僕は天使みたいに可愛いかったから、比較的大事にされたよ。客の大半は普通の変態親父で、迷宮から連れてこられた怪物のような相手は滅多に居なかった。おかげで、運良く病気にもならず、客に殺されもせずに十五歳になった……」
「スラム育ちの男娼が……どうやって司祭に成り上がった?」
「――異端審問官が殴り込んできたんだ。客の一人が生臭坊主だと騒いでね。店には用心棒もいたし、お偉いさんの客もいたけど、問答無用だった。あっという間にラシーヌたちは逮捕され、子供たちはアマータ教団の保護下に入った」
「出来すぎた話だな……」闇の奥から忍び笑いが聞こえた。「その客、本当に生臭坊主だったのか?」
「さあ? 真実は闇の中さ」ラークは肩をすくめた。「確かなのは、異端審問官のおかげで僕たちが自由になったことだ。子供たちは教団の孤児院に移され、体を売らされることも、背骨が折れるまで酷使されることもなくなった。かわりに、暖かな寝床と、手に職をつける教育が与えられた。十七の歳、院長に将来を問われたとき、僕は答えた――」
脳裏にあの日の記憶が甦る。
苔むした井戸のそばで、老いた院長に跪き、誓いを立てた。
頭上にはリンゴの木の枝が広がり、一羽の小鳥が止まっていた。
春と復活を告げる鳥、雲雀が……。
「子供たちを怪物から守るため、祓魔師になりたいと。リリィや――君みたいな子を、救うためにね」
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